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そうか、「できない」のではなく「してもいい」と思っていなかっただけなんだー!

生徒を観察していて、今日新たな気づきがありました。
気づいたことは、このタイトルの通りです。
生徒は発展的なこと(批判的なことや創造的なことなど)ができないのではなく、発展的なことを授業でしてもいいと思っていないだけなのです、そしてそれは個人の能力とはまた別のことではないでしょうか。

少し詳しく書きます。

英語の授業で短時間でしたがALTが用意してくれたスキットを行った時のことです。与えられた原稿をグループで読んで役を決め授業の最後に前で発表をします。しかし生徒には多くの壁があるようでした。

その壁とは

単語の意味をわかっていないといけない
セリフは暗記しないといけない
原稿に書かれている順番通りにしないといけない

というような「〜でないといけない」壁です。この壁があるとクリエイティブに考えることはとても難しくなります。そして生徒のやる気は削がれたり、え〜難しい〜とか、できない〜とか、時間がない〜とかそういうネガティブなフィードバックが返ってきます。

私がこの時間で評価したい生徒の能力は初見の英語の原稿の単語の意味をすべて分かっている事でも、セリフを暗記する事でも、その通りにすることでもありませんでした。

そこで、生徒と話すたびに「〜でもいい」を売り込みました。もちろんセリフは覚えていないくてもいい、紙を見てもいい、内容が近ければ原稿通りでなくてもいい、好きな様に変えたければ変えてもいい、発表の時の小道具や場所も自由にしてもいい。単語の意味は生徒がわからなくても質問すれば答えました。つまり、わからなければ聞いたらいい。です。

これは私の授業スタンスであります。
いつも私は授業中に生徒から「〜してもいい?」と聞かれたら大体はOKを出す様に心がけています。それは生徒がやりたいという意志を持っていることだからです。動機があるからです。生徒の自発性を否定することができるほどの権力や理由を教師は持っていないと思っています。

そして今日ようやく気づきました。
生徒はクリエイティブにできないのではなくて、与えられたものと違うことをしてもいいという発想がないだけなんだと。〜してもいいと知らないから、しないだけであって、それだけを見て生徒はできないと思ってしまうのは間違っています。

生徒は今までやってきた「こうでなければならない」を必死に守ろうとして、教えられた通りにやろうとしているだけなのだな、と今日の授業をしていてふと思いました。

そのアンカーを少しずつ授業で外すことができたらもっと自由な思考を得られるのではないかと思います。
「こうでなければならない」場合はその理由と目的を明確にした上で、そうでなくてもいい時との差別化を図っていくことができれば、今まで身についてきたスキルや能力をもっと伸ばすこともできるのではないでしょうか。

生徒は教えられた様に育つものですよね。
今日は生徒を見ていたらなんかこの子たちすごいな〜と思った1日でした。

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Kae Takaoka
Teachers of Japanではティーチャーアイデンティティ (教師観)の発見を通じて日本の先生方がもっと自分らしく教育活動に専念し本来は多様である「教師」の姿を日本国内外へ発進しています。日本の先生の声をもっと世界へ!サポートいただけたら嬉しいです。