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マタニティパラドックス

妊娠初期、まだつわりも感じなかったころ、お腹の膨らむことと一緒に、楽しみにしていた事がある。

マタニティドレスを着る事だ。

決して今時のマタニティウエアじゃない。
ドレスだ。

マタニティドレス。
それは昭和の頃の妊婦さんが着た、ジャンパースカートや、ワンピース型の妊婦用の日常着、普段着。
昭和後期生まれの私にも、朧げながら記憶があるそれは、なんとなく乙女チックでファンシーなやつ。私はそれを猛烈に着てみたかったのだ。
普段着は変な柄のTシャツにジーパンのワシ。ファンシーというよりファンキーな趣味だが、おつむの中身は割とファンシーなので、妊婦になればきっと体からもファンシーなオーラを纏い始め、きっとそれが似合うようになるのだろう。
母性ってきっとそういう事。

と、ヤキの回った頭で、自らの身体に生命を宿した喜びを存分に味わっていた。

その直後、つわりという激しい嘔吐と脱水が私を襲い、主治医に
「点滴しないと死にます」と言われ病院に通うことになった。よって強制里帰り。
その時着ていたTシャツが斬新すぎた事を気にするあまり、医者に点滴しなきゃ死ぬと言われた実娘を

「こんなみっともない人間、医者に連れていけない。」

と、実母が突如叫けび病気に行くことを阻止。
(一応言っとくけどこれ実話だよ)
結果、私は点滴を受けられず、ド脱水で1日耐えた。私が本気で死を覚悟したのは、後にも先にもこれっきりだ。
(妊娠中、または体調不良の皆様は絶対にマネしないで下さい。大概の産婦人科は重度のつわりの点滴はいつでも受け付けてくれます、多分。かかりつけ医に即電してください)

そんな経緯でやむを得ず里帰りした私を、おしんの姑のように、仕事しないゲロ吐き穀潰しとして接してくれた実母を、私は一生忘れないだろう。
結果、翌日、即点滴、即バイタル確認。ミンナが素敵な服を着るのは、こんな事にならないためかもしれない。なーんて。

マジで母子とも殺されかけた後、

お腹も少しずつ膨らみ、念願のマタニティウエアを買いに行くことになり、私はワクワクしていた。
きっとあのノスタルジーと幸せに溢れた古風なマタニティドレスがあるはずだと。

なかった。

そんなものはどこにも無い。当時はまだ平成だったが、無情にときは流れまくっていた。

非妊娠時と変わらないような、今時の可愛いマタニティウエアはたくさんあるのだ。
でも、私の着たいのはそれじゃ無い。
ピンクハウスの服のような、ノスタルジーとカントリー感のある奴だ。
なんか可愛くて、妊娠中しか着られないような、照れ臭いファンシーなのが欲しかったのである。

結局かろうじて、ジャンパースカートを買った。
昔っからある定番のそれは、やっぱり形状からして便利なのだろう。私の記憶にあるマタニティドレスもそんな形だったので、とりあえずそれを購入したのだった。

出産も終え育児をし、無事2人目も産み終えたあと、ふと私は思った。
昭和のマタニティドレスってホントはどんなだっけ。
頭では幾度となくイメージしてるが、具体的な画像は脳内にはない。よって現実世界のツールを使って調べることにした。

令和の今、調べ物は簡単である。
ネットでサクッ!唐揚げをあげるよりはるかに早く簡単に調べられる。
で、調べました。
出てきました。サクッとね。

まず近代から現代までのマタニティウエアの歴史がまとめてあるサイトを発見。
ダイアナ妃のドット柄ドレスが、シンプルに美しい。
私の求めていたデザインは、おそれ多くもこういうものだった。鮮やかなエメラルドグリーンは目を引くが、小ぶりなドット柄でとても落ち着いている。妊婦でも品よくオシャレを楽しむ。実にそれを体現していた。

では、その頃の日本のマタニティウエアはどうだったのか。これは少し時間がかかりました。電子レンジで食べられる冷凍食品唐揚げを調理するくらいの時間が必要でしたが、やはりネットないにありました。


それは、妊婦女装家の方のブログでした。

妊婦女装家。

初めて見るワードに混乱する。
妊娠中の女性の変装をする。
女装界でもど真ん中ではない香りがするのは気のせいではない、はず。

女装愛好家の方はたくさんいらっしゃるし、その方々を蔑む意図はないし、服装など各々好きな物を身につければよい。
性的に倒錯し、他人を傷つけるなら大問題であるが、この方のサイトにはそんな気配はなさそうなので安心して腰を据え、画像をみるとする。

あったあったこんなジャンパースカート。
昭和のマタニティドレスは、こんなところでみつかった。
紺とかピンクとか赤とか、いかにも当時の女性が手に取りそうなフェミニンカラーに、少女趣味な飾り襟やボタンのデザインのものたち。ドレスというには少々物足りないが、昭和のそれをドレスと言わずになんと言おう。
サイトに出てくる、黄色い小花柄やドット柄のワンピースなんて、カジュアルでいてとても可愛いし、私も着てみたかったなと思う。
が、出産が寒い季節しか経験のない私は、仮に昭和にお産してたとしてもそれを着る事自体、あまりなかったかもしれない。残念。

また現代のマタニティウエアは、その多くが授乳対応できるデザインになっているが、当時は必ずしもそうでなかったらしい。
画像を見る限り、胸が開かないデザインも多く当時の物資の豊かさがうかがえた。
妊娠という短い期間のためだけの服が作られ、それが売れるのだ。
実際知り合いの、昭和に子育てした方には、オーダーでマタニティドレスを作ったという方もいる。
もっとも、妊婦の人数も出産回数も今のそれとは比べ物にならないので、多分そういう事なのだろう。こちらのサイトで伺い知るより、もっと豊富な種類の品があったに違いない。

また現在より妊婦体重制限なんてものも、ゆるゆるだったらしく、かなり大きめの作りの服もたくさんあった様子がこちらのサイトを通して伺える。
また女装家さん自身が大柄なことから、あ、こんな感じの妊婦さん、昔たくさんいたわ、と思い出した(実際私の幼少期の写真に、見知らぬ大柄妊婦さんがうつっていたりする)

前述したか、現在のマタニティウエアは、大半が授乳対応し、産後も着られるデザインが本当に多い。いわゆるコスパってやつだ。あとバブル崩壊後、いまの子育て世代は圧倒的にお金がない。
悲しいかな、それがマタニティウエア9割が授乳対応してる理由ではなかろうか。

それに、そもそも産んだからと言っていきなり腹がへっこむわけではないので(私は1人目産んだ後も、2人目産んだ後も、シャワー室でびっくりしたよ。そのくらい凹まない)産後もマタニティウエアにはしばらくお世話になる。
そしてある日、いつまでもマタニティウエアが手放せないことに疑問をおぼえ体重計にのり、ようやく産後太りを自覚したりするのだ。

さて、このマタニティドレスのブログサイトを運営している、妊婦女装家の方は、昔の風船ゲーム(腹部に風船を仕込み、どんどん空気が入り膨らむゲーム。ボタンは弾け飛び服も裂けたりする。)を見て、妊婦女装に目覚めたらしい。

そんな事もあるんだ!

世の中何があるか分からないもんだと、私は一つ学んだ。


マタニティドレスを探していただけなのに…と、画面に映し出されるモノに、ひたすら驚き、またその興味の過程も興味深かった。
まあね、生理用品が痔の大出血時には男性にも必要とされることは知ってたけど、まさかマタニティドレスがね、妊婦ですらない男性が着るとは!予想外すぎましたよ。

でもこの方の、素敵な写真館でプロのメイクを施しドレスを着た姿は、最高にチャーミングだった。かわいい。本当にかわいい。
そしてその格好で、自撮りをする姿も楽しそうで素敵だった。私もやりたい。マジで。

きっと、ネットってこういう場所なのだ。
何かと何かが容易につながり、それがすぐさま見られるカオスな世界。

ネットというより他人がカオス。

それを心得ることこそが、自他ともに心身の健康を育む手助けとなろう。人として心のソーシャルディスタンスを持ち続けたい。

そんな結論に達した、マタニティドレスであった。おわり。

※イラストの全貌が載せられなかったので、ここに。今はアースカラーが人気なので秋色グリーンに。本当は赤やピンクが着たかった。
若い子のなかでは三つ編みも流行してて、太めのヘアアクセも流行りだから、逆にアリかもと思う。
もしも叶うなら、もう1人産めるなら、着てみたいんだな。かわいいマタニティドレス。


※参考にした、マタニティウエアのサイトはこちら。
妊娠し大きくなったお腹は、昭和の世代までは隠すものだったようですが、いつしかキムガーダシアン筆頭に、魅せる時代へ。
色々思うことはあるけど、そりゃあ隠すより、胸張って歩いた方がいい。
それは希望に満ち溢れ、幸せなことなんだから。

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