【我に還る(カエル)】note*不登校児を持つ保護者へ贈る〜心の保ち方 *後編
不登校問題に直面した時には、戸惑う親がほとんどだと思います。
不登校問題に直面した時に、何を解決するべきか、明確にしておくと心が楽になります。ストレス軽減の為に、少し考えてみましょう。
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以下、二人の元不登校児を育てたアラフォー凡人の個人的見解です。一つの考え方として、こんな例も存在するよ。という提案です。参考出来る所は参考にして、親子で、家族で、心安らかに過ごせるように工夫してみてください。前編よりも多少過激な思想を含みます。鵜呑みにせずに、自分の心と頭で精査して、よりよい人生を送る材料として、上手く取り入れてください。
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まず、第一に、子供が学校へ登校するには?
という視点を、捨ててください。
それは、子供の課題であって、親の課題ではありません。
親の課題は、いかに自分の人生をより良く生きるか。
そして、子供に関しては、いかに安心安全な環境で育てるのか?
自分の人生を生きる事と、子供を安全な環境で育てて社会へ返して行く。この2つが大きな役割だと認識してください。
学校へ行く事は子供の使命でも役割でもありません。勉強することは、子供だけの特権ではありません。大人になっても、人生は一生勉強です。あなたも、こうしてnoteの記事を読んだりして日々勉強していますよね?
勉強は、いつでもどこでも出来ます。いつから始めても遅過ぎることはありません。本人が学びたいと思ったタイミングで、知りたいと思った事を学ぶのが、一番身に付くし、頭にも入るし、意欲を持って学ぶ時に一番記憶も残ります。本人のタイミングで学ぶ事が、一番効率的な学び方です。
学校は、大勢の生徒を一括で教える場であって、効率を重視しています。そこに個々の事情は勘案されません。規格に外れれば烙印を押されて捨てられる、まるで工場のような大量生産の場です。
生まれた時期でひとくくりにされて、身体の成長も心の成長も、その速度は千差万別で、1人1人まるで違うのに、ただ学校が管理し易いという理由で、年齢で区切られる事により、比較しなくても良いのに、無駄に比較される環境に放り込まれます。
学校以外の場で、生まれた時期によって、厳格に組み分けされる組織はありますか?軍隊でしょうか?それだって、入隊時の年齢が違っても入隊するタイミングでの組み分けになるので、多少の年齢差を含みます。
つまり、学校は特殊な環境を作られている場である。
どんな環境にも適応できる、順応できる、そんな子供も一定数居ると思います。が、全員が全員、そうとは限りません。個性があるのですから。
本来なら、みんな同じである必要も無いのに、同じを強要される、非常に過酷な環境が学校という特殊な場所です。(現代日本の教育システムに限定する=戦前の教育システム、日本古来の教育システムは全く違うものでした)
学校や現代の教育システムを妄信していると、痛い目に会います。
少し前の時代には、必要なシステムだったのでしょう。戦後の混乱期です。そんな時代にはマッチしていた教育システムであっても、当時の日本とは時代がまるで違う現代で運用しているのが、そもそもの間違いです。
現代に合わせて、改善と更新をしていかなければならないのに、残念ながら、アップデートがまるで間に合わず、化石と化してます。旧石器時代の暮らしを強要しているようなものです。そのレベルの話と変わりません。
旧石器時代の暮らしを強要されたら、嫌ですよね?文明の力を一切使えないなんて生活に、今から戻りなさいと制限されたら、ストレスしか無いのは、簡単に想像できませんか?
今の子供にとって、学校へ行く困難は、それと同等だと認識してください。
順応性の高い子は、それでも順応して楽しむ事もできるでしょう。
しかし、自分の子供が、無理だと判断したならば、それを尊重するのが親の役目だと、私個人は思うのです。
子供を甘やかすとどうのこうのと言う専門家や人が居ますが、果たしてどうでしょうか?子供を1人の人間として、その人格や人権を尊重した場合、それでも、お前は間違っているよと、言えるのでしょうか?
自分が旧石器時代の生活様式を今更受け入れられないように、新しい時代の感覚を持って生まれて来た新しい子供たちは、旧時代のシステムを搭載した学校など、到底受け入れられないのです。極自然な感覚だと思いませんか?
相手が子供だから、親の価値観を押し付けるのは当たり前ですか?
親が子供を洗脳するのは、当たり前ですか?
意識せずとも、世の中は洗脳で溢れています。教育とは、すなわち洗脳ですし、時代と共に変わるのに、常識が溢れているのも洗脳です。
表面的な事にとらわれるのは、やめましょう。
本質を見抜きましょう。
親が学校へ子供を通わせたいのは、親が楽をする為です。
教育という分野を、家庭の外に丸投げするシステムがあるので、それに乗っかって、子供の教育を外部へ丸投げして、自分は楽をしたいのです。
私は、自分の子供が不登校になった時、思った事はただ一つ。
勉強ならいつでもどこでも好きな時にできるから、別に学校へ行かなくても良い。けれど、給食だけは食べて来てくれないかなぁ。お昼ご飯まで用意するのが大変なんだよね。
でした。お昼ご飯だけでも学校で食べて来てくれたら、自分が楽をできるのにな。だけでした。自分でも酷い親だと思います。ポンコツの自覚もあります。
だけど、私は、子供に対して、何故学校へ行けないのか、行かないのか、責めたり問いただしたりした事は、殆どありません。行きたく無いなら、行けないなら、行かなくても良い。
口うるさくない親だったので、子供にとっては、家が居心地の良い場所だったでしょう。そういう意味で、私は、子供の安心と安全を確保できていました。
よくよく考えてみてください。
例えば、職場で嫌な事が毎日あるとする。上司とも同僚とも上手くいかない。仕事もうまくいかない。ストレスに晒される毎日。もう仕事に行きたく無い。転職したい。
というタイミングがあったとして、ある日突然、頭痛腹痛吐き気で動けなくなって、朝から出勤できなくなったとする。そんな時に、家族から、なんで仕事行かないんだ?と、無理矢理引きずり出されて、職場まで連れて行かれたら、どんな気持ちですか?
嬉しいですか?ありがたいですか?
不登校になった子供を、周りの大人が学校へ無理矢理行かせるって、そういう事ですよ。
大人相手ならやらない事を、相手が子供だから、という理由で、平気でそういう事をするようなら、人権や人格を軽視している。と思って間違いないです。子供も1人の人間として扱ってください。1人の人間として、その意思や気持ちを尊重してください。
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少し厳しい事を書きましたが、ここで勘違いしないで欲しい事があります。
それは、既存の教育システムが全て間違っている訳では無い。という点です。順応している子供もいるし、楽しんでいる子供もいる。
どちらか一方が正義で、反対側が悪、という話では無いです。
どちらも間違っていないし、どちらも正解なのです。
今の学校に通える子供も、それで良いし、通えなくても、それで良い。
そういう話です。
学校制度は改善の余地があるけれど、全部が間違っている訳ではありません。良い点も沢山あります。
だから、自分の子供が学校へ行けないから、全て学校が悪い。という話では無い。学校との相性が悪かった、だけの話です。
学校制度は改善されるべきですが、そこに注力するよりも、まずは、子供の安心安全を確保することを最優先してください。
その上で、学校の教育制度を改革したいのであれば、子供の問題とは切り離して、自分の課題として取り組む事をお勧めします。後世の、未来の子供たちの為にも、そういった活動をする大人は必要だと思うので、学校改革に取り組んでくれる人がいるなら、私は全力で応援します。
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さて、ここまでは、子供に対する親の心構えを書きました。
ここからは、1人の大人として、自分の人生を生きるヒントを書いて行きます。
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子供は、親の言う事はきかないけれど、親のやる事は、そっくりそのまま真似をする生き物です。
これを踏まえて、親の課題は、自分の人生を生きる事です。そして、言葉だけでなく、背中で語って、お手本を見せてあげましょう。
自分の生き様で、子供に学ばせる。
それだけです。
子供を親の都合の良いように、コントロールするのはやめてください。子供には子供の人生があります。親とは別人格を持った他人です。家族であっても大切な宝の子供であっても、その子の考えは親とは別の所にあります。子供に依存するのは、やめましょう。
それでも、不登校問題では、親は心を痛めます。子供が苦しんでいる姿を観るのは、自分の身を切られるよりも、辛くて哀しい事です。
心配するよりも信じてあげましょう。
あなたなら大丈夫。学校が合わないだけ。社会に出たら活躍する人になるよ。だから、好きな事をやりなさい。好きな事に取り組みなさい。自分で勉強を進めなさい。どんどん学びなさい。世界は広いのだから。
親は常に、笑顔と感謝を忘れないことです。
あなたが生まれて来てくれただけで幸せなんだよ。ありがとう。笑顔でいてくれたら、それで良いんだよ。ありがとう。
ここでも、勘違いしないで欲しいのが、子供を自由にさせる=親が子供の奴隷になる。ではありません。子供の言いなりになる必要は無いし、奴隷になってはいけません。
親は毅然とした態度で、子供のご機嫌を伺うことはしないで、自立を促す行動を心掛けてください。自立させるには、甘える体験が必要ですが、甘やかすこととは違います。しっかりと甘えて、安心した体験をすると、精神が安定して自立しやすくなります。
親は子供に安心感を与える。それだけで充分です。
安心できて、ここは安全であると認識させる事ができれば、子供は自然と自立していきます。
自分が苦しい時に、家族にどうして欲しいか?どんな言葉をかけて貰いたいか?常に想像して、相手の心が明るくなる言葉を掛けるようにしましょう。
責めたり、問いつめたりは、何の効果も得られません。それよりも、子供の心を傷付けるだけで、心が離れるだけです。
笑顔と感謝と、心が明るくなる言葉。
必要なのは、それだけです。
それは、子供や家族に対してもそうですが、自分自身に対しても同じです。自分が頑張っていること、悩みながらも日々向き合っていること、時には苦しくて逃げたとしても、それでも大丈夫だということ、常に誰よりも自分が自分の味方でいましょう。
自分自身に、優しく温かく愛のある言葉をかけましょう。
頑張ったね。頑張ってるね。偉いね。凄いね。出来たね。やったね。たまにはそんな日もあるよね。何もできなくも良いんだよ。それでも笑顔で居られたね。子供に優しくできたね。今日は怒っちゃったけど、後で謝ろうね。ちゃんと伝えられたね。失敗しちゃったけど大丈夫だよ。何とかなるよ。大丈夫だよ。信じてるからね。
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苦しいのは、何故なのか?苦しみ悩む道を選ぶよりも、今ある環境で、どう動いたらベストなのか、一歩引いて俯瞰して考えてみましょう。
なんで学校行けないの?と答えの出ない問いに振り回されるより、学校へ行かなくても人生を楽しむ方法を探して進む道を、選べないものか?
よくよく考えてみてください。
例えば、学校へ行かない期間に、家で引きこもらなければならない。と思い込んでませんか?学校へ行かなくても良いならば、その間に出来る事は、山程あります。ただ単純に、学校へ行かない経験、だけでなく、プラスαで、何かやりたいことをやってみたら良いんじゃないでしょうか?
例えば、自転車で日本一周の旅をする。例えば、親子の貧乏旅行で世界一周の旅をする。(今はコロナ渦で難しいけれど)。例えば、興味のある分野で壮大な自由研究をする。ゲームで大会に出てみる。などなど、とにかく何かに挑戦するチャンスです。
引きこもりなどと、謙虚でいなきゃならない訳ではありません。勿論、疲れてしまって休みたいなら、存分に休ませてあげてください。しかし、もしも親子で学校へ行けない事を嘆いているようなら、思考を切り替えて、視点を切り替えて、今しか出来ない事に、どんどん挑戦してみよう。
それは別に、何か壮大なチャレンジばかりではありません。
絵やイラスト、漫画、を描いてみる、本や小説などを読む、または書く、でも良いし、手芸をやってみる、料理をしてみる、ゲームに没頭する、プログラミングを学んでみる、スポーツをやってみる、運動してみる、歴史を学ぶ、科学を学ぶ、数学を学ぶ、DIYで何かを作る、お笑いのコントを作る、唄を歌う、曲を作る、作詞をする、伝統芸能に挑戦する、寄せに行く、歴史ゆかりの場所を巡る、神社仏閣を巡る、温泉巡り、観光地巡り、園芸を学ぶ、畑をやる、工場見学、博物館や水族館巡り、動物と触れ合う、ボランティア活動に参加してみる、片付けや掃除を極める、お芝居をする、ダンスをする、哲学を学ぶ、心理学を学ぶ、医療を学ぶ、瞑想する、散歩する、などなど、
そう、何でも良いので、興味のあることは片っ端から挑戦しましょう。コロコロ興味の矛先が変わっても良いのです。納得したら次へ行くようにプログラミングされているので、どんどん新しい挑戦を繰り返して行けば良いのです。どんな経験もプラスにこそなるけれど、マイナスになることは滅多にありません。(事件や事故に巻き込まれてトラウマになるなど、特殊な事情がない限りマイナスにはならない)
自分から見えない檻に入る必要はありません。例えば、誰かが、学校にも行かずに自由に行動する子供に疑問や批判を投げかけたとしても、親は絶対的な子供の味方で居てください。
外野からの声は、無責任です。その人が、子供の人生の責任を取れますか?子供の人生の責任を負うのは子供本人です。挑戦する機会が在るのに、何も挑戦せずに、貴重な体験をする機会を奪われたら、損をするのは子供です。外野は痛くも痒くもありません。無関係な外野の声に惑わされないように気を付けましょう。
誰が作った常識ですか?それを守ると決めたのは誰ですか?誰が作ったかも分からない常識を、常識として受け入れて、子供の可能性を潰しているのは、一体誰ですか?
大人も子供も、本来はもっと自由に生きて良いのです。普通と違っても良いし、大丈夫です。(犯罪はダメですよ。)自分だけの人生を、子供だけの人生を、それぞれ自由にデザインして、今を楽しく笑顔で過ごせるように生きましょう。
常識を考え直すチャンスを与えてくれた子供に、感謝しましょう。
あなたの目の前にいる子供は、素晴らしい子供です。無限の可能性しかありません。親であるあなたも同じです。無限の可能性しかありません。素晴らしい人生を自分でデザイン出来るんだ。と、信じて、希望を胸に進みましょう。
不登校児とその保護者の人達に、より多くの幸あれ。
(終わり)