Vol.2 理由
今日は、私がnoteに投稿する理由を書いていく。
理由は2つである。
①「文系」博士課程大学院生の進路について知ってもらう
②自らの経験・葛藤を言語化する
①「文系」博士課程大学院生の進路について知ってもらう
私は大学院生であるが、「文系」の大学院に属している。そして、日常生活(飲み屋やバイト先など)で「大学院生」と言うと、「『大学院』ってどんなところ?」とか、「将来何になるの?」という質問をよくされる。
そして、その答えには窮することが多い。ざっと説明することも出来るし、細かく説明すればいくらでもできる。
しかし、この質問は全う(?)である。大学院に在籍している人が身近にいる可能性は、それほど高くないと推測できる。だから、大学院の中身、進路について知らないことは当然のことではないか。私もその1人だった。
その中でも、ここでは「進路」について焦点を当てる。
博士課程大学院生の進路は「アカデミア(研究職)」と「それ以外」に大別される。前者は世に知られる「研究者」と呼ばれる職業であるが、後者に関して語られることは少ない。
先日、岩波書店から「アカデミアを離れてみたら 」という本が刊行された。須藤潤氏によるこの本の書評が2021年9月25日の朝日新聞朝刊に掲載されていた。須藤氏は、「博士号を持つ人々の活躍の場は多様」とし、「博士号取得者がアカデミアのみならず社会を変革する力を持つことを示すロールモデル」と述べている。
しかし、本書は「理系」大学院生に焦点が当たっている。さらに、巷にあふれている大学院生のキャリア支援も理系の大学院生を対象にしているものが多い。これは「文系」大学院生を対象とはされておらず、「多様」な大学院生のうちのかなりの部分を捨象していることになる。
そこで、私の経験を通して、「文系」大学院生の進路を示す一例となればというのが、理由の1つである。(「ロールモデル」とはおこがましすぎて書けなかった。)
②自らの経験・葛藤を言語化する
私が博士後期課程に入学して2年半が経過した。修士時代を含めれば、4年半大学院に在籍している。そこでは、苦楽様々な経験をした。その経験と葛藤を言語化し、相対化するのが理由である。
「言語化」や「相対化」であれば日記で十分で、noteとして公表する理由は見当たらない。では、なぜ公表するのか。
それは、私の経験・葛藤を読んで同じ境遇にある方の一助になればいいと思うからだ。
頭木弘樹氏の著書「絶望読書」において、著者が長期入院中に読んでいて救われた本は絶望した気持ちに寄り添ってくれる「絶望の本」であったという。それを踏まえて、「絶望のときこそ、絶望の書が必要」と述べている。これは、一種の「同質効果」である。
そこで、私の経験や葛藤に共感し、同じ境遇で悩んでいる方の心が救われる(?)ことがあればと思ったのである。