西村雄輔個展 地と対話するために@3331ArtsChiyoda
3331ArtsChiyodaにて西村雄輔さんの個展「地と対話するために その行為・生きる場・時間を記憶するもの」を観てきました。
実は、「見に行くぞ〜!」と出かけたわけではなく、ArtsChiyodaで用事があって、その帰りに中をぶらぶらしてこの個展を見つけて入ってみた、というのが本当のところなのだけれど、これがまた素晴らしかったので、紹介したい!
さてさて、これはなんでしょう?
わけわかんないと思うけど、答えは蜂蜜なんですよ。しかも、固めてないの。これ、蜂蜜、ただただ床にぶちまけられてます。年数が経っているもののようで、嗅いでみたけど、匂いは特にしなくて。色も多分、時間が経っているから若干濃くなってるのかな。よく見ると蜂蜜の中には気泡もあったりする。この個展の作家である西村さんは、「地」という生きている、動き続けるものと対話するために、蜂蜜という素材を選んだらしい。蜂蜜は場の状況を取り込み変化し動き続けていく。鑑賞している際に目に見えて動きがあるわけではないのだけれど、その無くなったであろう匂いだとか、途中で生まれたであろう気泡だとか、変わったであろう色だとかを思うと、その地の過去に、そしてその未来に、私たちは想いを馳せることができるし記憶を紡いでいくことができる。これがズバリ本個展のサブタイトルである「その行為・生きる場・時間を記憶するもの」なのだなぁと胸落ち。
まあ難しいことは置いておいても、普通に生きていて、蜂蜜が四方に広がっている空間に出会うことないよね。そして、その前に立ち尽くすなんて経験ないよね。すごいサプライズが過ぎる。だからもう、私、現代アートが好きなんですわ…という気持ちでいっぱい。その後ろでは、ひたすら上から蜂蜜を垂らし、蜂蜜が白い画面いっぱいを埋めていく、という10分ほどのムービーが流れています。
わーい、蜂蜜たくさんうれしいな〜。気づいたら、自分がクマのプーさんのような気持ちになってきます笑。でも、なんだか、蜂蜜が画面を埋めていくのを見ていたら、自分自身の心もじんわりと満たされていくような感覚、今までの人生すべて許されたような気持ちになるから不思議です。時間を忘れてじーっと見てしまった。
蜂蜜が垂れて落ちる時、ミルククラウンではないけれどいろんな形状をしているの。でも、そんな落ちた時の自己主張もむなしく、一瞬で落ちた先の蜂蜜に同化していくのには、儚さと安堵とを感じた。エヴァの人類補完計画を思い出したよ。
西村さんは使われなくなった工場という「地」に生命を与える取り組みもしているよう。古い工場だから手をかけてまた使えるようにする、という単なる修復、セルフリノベーションの作業ではなく、目標とする完成図を持たない、いわゆる動き続ける修復作業のようなことをしている。床を引いたり、屋根を組み直したり、椅子を作ったりガラスを貼ったり、壁を塗ったり…そんな営みの記録写真がたくさん並んでいたよ。
2006年から今まで、10年以上ゆっくり時間をかけて一つの「地」に、気持ちの良い空気を通す作業をしているとのことで、その地はすごく幸せ者だなぁと思った。写真は壁に展示されているだけではなく、パラパラマンガのように手で冊子をめくれるような展示の仕方もされていて、面白い。その写真の中には修復作業の風景のみならず、時々地面に咲いた綺麗なお花や空にかかった虹の写真も入っていて、心ほっこり。
「地」と対話する、そして自分と対話すること。忙しい日常の中でそういったことはおざなりになりがちだし、心にゆとりを持っていないとなかなかできない。自分自身まだうまくできない日が沢山ある。でも、ひとつひとついろんなものを丁寧に見つめていきたいし、見つけていける私でありたいと思う。そんな祈りのような気持ちが私の場合、こうやって美術、アートを見ることに繋がっている気がしています。