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【#思い出の展覧会】   「快慶(日本人を魅了した仏のかたち)」展 @奈良国立博物館  in 2017

これは、オトナの美術研究会の「月イチお題note企画」の2月のお題「#思い出の展覧会」のための記事です。イタリア語版はありません。このマガジンの更新は不定期です。

快慶との真の出会いは2014年の「醍醐寺のすべて」展(奈良国立博物館)。
《弥勒菩薩坐像》を見たとき、私は最初に「嘘でしょ」とつぶやいた記憶がある。この世に本当にこんな美しく気高い仏像が存在するものなのか、それを本当にこの世の人間がつくったのか、たぶん信じられなかったのだと思う。

学生時代から京都・奈良の寺社仏閣めぐりが好きで、醍醐寺にも行ったことはあったが、《弥勒菩薩坐像》までは拝観しないまま。そして本格的に仏像に対して物心がついたころには、この像は秘仏となっていた。
京都の大報恩寺で快慶の《十大弟子立像》の写実性にうならされたこともあって、《弥勒菩薩坐像》もぜひ一度見たいものだとは思っていた。ただ、ときどきある特別拝観に都合がつかず、この美仏を見る機会をもたないままだった。

だから「醍醐寺のすべて」展で《弥勒菩薩坐像》が出品されると知り、ちょうど夏休みの時期だったこともあって、「社会の教科書に出てくる法隆寺の実物を見せてあげる」という口実で、当時小学生の娘を奈良へ連れ出すことにした。
近畿や東海地方に大雨をもたらした台風の翌日に福岡を出発したので、実際、現地で列車の遅れなどにも遭遇した。拝観日も、諸状況から博物館が閉鎖されていてもおかしくないと思いながら奈良公園へ。結果的に、観覧者が少なくて混雑を避けることができた。

《弥勒菩薩坐像》が展示されていたのは、最後の方の展示室。呆然としている私をよそに、娘はもうたくさんの仏教美術に飽きていたようだ。「すごい…」と立ちつくす間もなく、私は娘に手を引かれて退場口へと向かわされた。

「快慶って、何者?」という疑問を晴らすべく、それからしばらくは彼に関する資料をひたすら読みまくった。
その年に刊行されていた『日本美術全集』の運慶・快慶の巻もどうしても欲しくなって、年末、「1年間頑張った自分へのご褒美に」と大枚はたいて(実際はカード払いだが)購入した。Amazonで “ウィンドーショッピング” ができるようになっていた娘からは、本の値段を調べられて「贅沢!」と怒られた。

結局2年くらいかけて色々調べたり、可能なかぎり彼の仏像を見直しに出かけたりして、頭のなかを整理し、自分なりの快慶像を文章にもしてみた。
そういえば、敬愛する生物学者・作家の福岡伸一ハカセが、ご自身の大好きなフェルメールのリ・クリエイト展を開催していたな。私もお金持ちなら、誰かに3Dプリンターで快慶仏を再現してもらって一人でニヤニヤ眺めるか、利他精神が残っているなら展覧会を開くのになぁ。
でもその昔、研究室で「妙案だと思っても、世間に3人くらいは同じことを考えているから油断せぬように」と注意されていた。さらに、たいがいの場合は彼らの考えの方が優っているとも。
悲しいかな、今回もそれが正しいと知ることになる。2017年、奈良国立博物館で本物の「快慶」展が行われるというではないか!

開催期間が春で助かった。ゴールデンウィーク中の1日なら、なんとか奈良まで行けそうだ(その年の秋の「運慶」展@東京国立博物館は、どうしてもスケジュールを合わせられずに断念した)。
福岡から奈良への日帰り往復を予定していたから、身軽にするために、展覧会図録はオンラインで購入。売り切れたら一生後悔しそうだから、発売と同時にという早めの入手。送料込みでも、『日本美術全集』よりはずっと安い。でも新鮮な目で展覧会自体を楽しみたいから、図録での予習はしないままで。

当日は、一緒に寺社めぐりをしたこともある関西の知人と訪館。
入場券を買う列に並んでいる間の、「快慶って、運慶の弟?」という知人の発言に心を乱される。

そうだよなぁ、見仏が嫌いじゃない人でも、一般的な知識ってそんなもんだよなぁ。
快慶は、運慶のいわゆる兄弟弟子だよ。慶派のその時代の棟梁、康慶の息子が運慶で、快慶は康慶の弟子というだけ。
だいたい、“運慶・快慶”って、快慶はいつもNo.2の存在感しかないよなぁ。運慶とちがって、出自や生没年もはっきりしないし。

私だって、たとえば外国の人に仏像を紹介するなら、絶対に運慶の作品を見せる。
興福寺北円堂の《無著菩薩立像》は、日本の仏像の最高傑作。ミケランジェロが活躍する約300年も前にこれだけの彫刻作品が生み出されているのは、世界に誇るべきことだと思う。私はなぜか北円堂の特別開扉とは縁があって何度かこの像を見たことがあるが、写真で見るのと同様、本当に深い精神性が漂っている。
運慶は、金剛峯寺の《八大童子立像》もすばらしい。2014年冬、出張ついでに「高野山の名宝」展で見ることができたが、魂を持っているかのような活き活きとした表現と肉感。ベルニーニにも負けてはいない。

でも。しかし。
運慶の作ったそれらは、あくまで彫刻作品。すばらしい仏像の一種かもしれないが、けっして「仏」ではない。

一方で、快慶の「仏」を見よ。
「快慶」展では、最初の展示室に鎮座しておられた《弥勒菩薩坐像》。
金泥塗りという、粉末状の金を溶かした顔料で装飾された像の表面は、金箔とちがって “いぶし金” とも呼べる艶かしさ。
像と視線が合う位置に立つと、「快慶って、慶派のなかでも特殊な玉眼を使ってたっけ?」と思わせるような眼の輝き。

「醍醐寺のすべて」展でも、「快慶」展でも、それが奈良博の展示力のなせる技であることはわかっている。拝観者が少し仰ぎ見る高さの畏怖を感じる位置に像を置き、かつ絶妙な光の当て方。
醍醐寺三宝院での特別拝観では像のこんなにも近くに寄ることはできないそうだし、おそらくライティングもないだろうから、展覧会で見る方が有利であるのは間違いない。
それでも《弥勒菩薩坐像》に関して、2回の拝観の前にも後にも、あの実物に匹敵する写真を目にしたことがない。運慶の作品のたたずまいが写真どおりであるのとは違って。

快慶 《弥勒菩薩坐像》 (醍醐寺)

「快慶」展では、退場口まで来たところで「もう一度だけ《弥勒菩薩坐像》を見に戻らせて」と、知人を待たせてしまった。予想されていた行動だったけれど、ごめんなさい。
いま手元にあるのは、「快慶」展の図録。表紙は、東大寺《阿弥陀如来立像》がまとっている衣の下半身の部分。仕事に “完璧” を求めていたとしか思えないこの金泥塗りと截金文様に、図録だとわかっていながら頬擦りしたくなる。

図録のおもて表紙。 快慶工房のこの完璧な仕事!

芸術作品は、作家云々ではなく作品そのもので評価されるべきだとは、素人ながら聞いたことがある。私は文学でも音楽でも、思い入れのある少数の作家を追求するきらいがあるから、快慶作品を “アバタもエクボ” で見ている可能性は高い。
でも、快慶の人生あっての《弥勒菩薩坐像》ではないのかな。作家の人生を知ってから作品を見直してみるのは、そんなに邪道なことなのかな。

東大寺の勧進僧である重源のもと、自らを “アン(実際は梵字)阿弥陀仏”と署名するほど熱心な阿弥陀信仰者だった快慶。妻は娶らず、子供もいなかったとされている。でも阿弥陀仏だけでなく、金剛峯寺の《四天王立像》や《執金剛神立像》など、パンチの効いた密教仏をつくった熱き一面も。
私が同時代に生きていたら、間違いなく快慶を口説きにいっただろう。不謹慎な書き方かもしれないが、歴史上の “抱かれたい男”。
私に魅力がないのは大前提として、でも快慶は決してそんな誘惑に惑わされることはない。己の進むべき道を歩き、「その身浄行なり」と評された人生を変えることはないと思う。功績をつんで、法橋・法眼という僧位に準じた称号も得ているくらいだから。(いや、法印という最高位まで上りつめた運慶は判明しているだけで7人の子供をもうけているから、僧位は関係ないか)

図録のうら表紙。 快慶のサイン入り!

とにかく、快慶が《弥勒菩薩坐像》をつくってくれたことに感謝。
私は直感を大切にしたいとは思っているものの、基本的にはエビデンス証拠にもとづいて生活しているタイプ。不遜にも特定の宗教は信仰していない。でも自分の死を目前にしたら、きっと恐怖におののいてしまうことだろう。
そんな時に迷わず心に思い浮かべられる存在として《弥勒菩薩坐像》がいることは、とりあえず今、あれやこれやと不安を予期しなくて済む助けになっている。死にあたって本当に《弥勒菩薩坐像》が私を救ってくれるかのエビデンスはないけれど。

もうひとつは、「やっぱり背筋をのばして生きていかなきゃ」と思いおこさせてくれる存在であること。そんな気持ちにさせてくれる実際の人間、人生の先輩・仲間・後輩たちにも恵まれているのは実にありがたいと思っているが、《弥勒菩薩坐像》はすでに「仏」である点で別格かな。
次にいつ《弥勒菩薩坐像》にお目にかかれるかはわからないけれど。


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