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M. Horkheimer「唯物論と道徳」(1933)

①人間の諸行為は善なのか悪なのかという問いを人間が独立して決定しようとすることは、明らかに後期歴史的現象である。高度に発達したヨーロッパ的個人は、単に重要な決断だけでなく、個人の生が大部分を構成する最も本能的で慣習になっている反応を明晰な意識の光に先立ってもたらし、道徳的評価を行うことができている。その一方で人間の諸行為は、強制的になればなるほどそれだけ行為の主体を初期歴史的に形成することと密接に結ばれているように見える。道徳批判の衝動的な反応を混ぜ込み、個人の懸念に基づいてそれを変化させるための資格は、社会のいや増す区分でもってはじめて形成されるという。近代の道徳的問題提起がそこでの動揺に由来している中世の権威原理は、すでにこうしたプロセスの遅れた段階を表現している。こうした原理の支配に先行する不屈の宗教的信仰が、すでに愚直な体験と衝動的な反応の間を相当複雑に調停していたとき、次の中世の基準はすでに道徳的葛藤を示している。すなわち、教会に認められた伝統、言うまでもないことだが、きつく強制的に締め上げるような性格がなおもその独占的な妥当性を担っていた伝統の中世の基準である。アウグスティヌス[1]が「私は、自身がカトリックの教会で働くことを信じるのでなければ、私は福音を信じない〔Ego vero evangelio non crederem nisi me catholicae ecclesiae commoveret auctoritas.〕と公言したとき、この裏付けは、ディルタイ[2]が見抜いたように、すでに信仰への疑念を前提としている。近代社会における生のプロセスは、最も進んだ諸国における個々の階層の構成員がその現存在の比較的広範な領域の中で単に本能ないし習慣に従うのではなく、より一層表現された諸目標の下で継続することができるような人間諸力を強く促進している。こうした能力の行使は、言うまでもなく、一概に仮定されたものよりも相当小さい範囲で生じる。仮に技術についての意識、すなわち定められた目的へと用いられうる手段についての検討が、社会的個人的生の少なからぬ分野で外見上は純化していたとしても、人間のいくつもの目標はいつだって弾力性もなく固定されている。そうした目標の総和の中で社会的歴史的に有意味である諸行為の中でこそ、概して人間は全く典型的であるように振る舞う。すなわち、諸動機の決められた図式、人間の社会集団に特徴的な図式に相応しく振る舞うのである。今や生に必要不可欠でもない私的な事柄のもとで人間は時折、人間の動機を誠実に吟味し、人間の知的な諸力を目標設定に適用するのが常である。それでも現在の社会、特にそこでの若者たちの中で、正しい諸目標に従った問いというのは積極的に立てられてきた。権威の原理が揺さぶられ、諸個人の著しいまでの総数が彼らの生活態度についての決断を広範に掌握してきたとき、この世界の個々人を整備することでもって没落している審級の地位を占めることができた精神的な規範に従う欲求が生じたのだった。こうした欲求が、より高い社会諸階層の構成員にとって道徳的諸原理を得るために重要であった。それというのも、この道徳的諸原理があの構成員の地位に基づいて、権威によって早くにそうした諸原理から取り去られてしまった断固たる決断を絶え間なく適切に表現する必要があったからである。その一方で、合理的に基礎づけられた道徳がより必然的に国家における大衆を支配することになればなるほど、それだけ大衆の生活上の利害関心から逸脱する行動様式は、大衆によってますます要求されてきたのである。

②近代観念論哲学は、諸原則を配置することを通じてこうした欲求を満足させるよう努めてきた。ルネサンス以来、人間に身の上を命じた諸関係に従って人間はこの格率を、理性を通じて、つまり原理的かつ普遍的に到達可能な基礎を通じて裏付けようと努めてきた。同様に、例えばライプニッツやスピノザの体系、啓蒙の体系など常にあれこれ存在できたのは事実であるものの、これら諸体系は総じて次のような努力について証言している。すなわち、世界や人間についての永遠の体制から断固として相応しいものとしての一定の振る舞いを基礎づけるような努力である。それゆえ、この諸体系は無条件の妥当性を要求するのである。正しいと呼ばれるいくつかの尺度は、言うまでもなく、たいていは普遍的に保持されているし、―フランス啓蒙思想に固有の唯物論的で戦闘的な諸理論を除いて―決められたわずかな命令しか与えない。生はここ数世紀において宗教と同様に道徳にもあまりに多くの適応力を要求している。内容に関して十分に検討された指示がほんのわずかな永遠性の仮象を維持しえたにしても、この適応力の要求はあまりに多すぎる。初期の道徳説についての形式主義に明確に着手した近代倫理学者でさえ、この永遠性の仮象の中で、あの内容に関して十分に検討された指示から逸脱することは決してない。「倫理は、今この場で行わねばならないことを直接所与の状況の中で教えることはない」とニコライ・ハルトマンは書く。「そうではなく、その人が手に入れたように、一般的に行わねばならないことを普遍的に教えるのだ。[…]倫理というのは、鳥瞰図のように時宜にかなったものから客観的に見られる普遍的な基盤を生み出す」[3]。観念論的な道徳哲学は自身に固有の無条件さを、観念論的な道徳哲学それ自身が歴史的瞬間に関連がないということでもって得る。この哲学は党派に就くことはない。たとえこの哲学の諸見解が未だ歴史的に連れ立って闘争している人々の集団に相応しく、彼らの利益になりうるとしても、この哲学は態度表明を定めることはしない。ハルトマンは次のように説明する。「人間がはじめて責任を強く自覚した対立の前に据えられるような場所で当の人間が為さねばならないものは、一様に次のことである。すなわち、〈より良い良心〉に従って決定を下すこと、つまり、価値の高さについての良心に固有の生き生きとした感情に従って決定を下すことである[…]」[4]。倫理というのは「自己を生の葛藤の中に混ぜ込むことではないし、この葛藤に向けられるかもしれない指示を与えるものでもないし、権利のような戒律や禁令の法典でもない。倫理は率直に人間における創造的なものに頼るのであり、いわば今この場で行わねばならないものの占いをいかなる場合でも新たに認めるということを誘発するのである」[5]。そのとき道徳は永遠のカテゴリーと見做されるのだ。真理や非真理に従って諸命題を判断すること、美しさや不快さに従って具体的な形象物を判断すること、こうした判断が人間の本質の一部であるように、いくつかの性格や行為が良いか悪いか、それらを判断することもまた、いつでも可能であるべきなのである。永遠の道徳の可能性ないし不可能性についての激論にもかかわらず、近代哲学者たちは永遠の道徳概念についての意見は一致している。内容の不安定さや個々の諸命題の生得的な存在というのは主張されているし反論されてもいるが、道徳的な価値判断のための資格は規則の中で、少なくとも理論的認識に対等な人間本性の根本的性質と見做されている。徳〔Tugend〕についての新たなカテゴリーは、ルネサンス以来、哲学、すなわち道徳哲学の中で生まれてきた。道徳哲学は、幸福へのより良い道と関係していたギリシア人たちの倫理的表象とも、中世の宗教的倫理とも多くを共有することはない。道徳哲学とこの哲学の現象の結合が存在するにもかかわらず、新たな道徳問題は、市民的秩序の根本的特徴の中でこの問題の根を持つ。こうした秩序の少なからぬ経済的な要素でさえ、社会の初期の形式の中で見出されるのと同様に、この問題のいくつかの観点も確実に現れてきている。しかし、この問題それ自身というのは、今終焉を迎えている時代の普遍的な生活状況からでしか、理解されえない。

③カントによる定言命法〔kategorischer Imperativ〕の定式化において、市民階級の道徳表象は最も純粋に明らかになる。「それが普遍的法則になることを汝が同時に意思しうるその格率に従ってのみ行為せよ」[6]。普遍的法則の原理に相応しく、直接その原理のために行われる諸行為は、カントに従えば、道徳性(Morarität)の性質によってあらゆる他の諸行為から区別される。カント自身は、こうした命法をあらゆる他の行為の規則から「特別区別する目印」[7]が探求されうるところにおいて、すなわち「あらゆる利害関心とその関係の断絶」において明らかにした。理性自身は道徳的諸行為に沿って純粋かつ直接的な利害関心を選び取るのかもしれないが[8]、諸行為というのは対象についての利害関心から生じるのでもなければ、欲求から生じるのでもない。義務に由来する行為は利害関心に由来する行為と対置される。徳は、たしかに個人の諸目標に逆らって行為されることの内にはないのかもしれないが、こうした諸目標から独立して行為されることの内には存する。人は自身の利害関心から自由にならねばならない。カントの見解は、周知のごとく、〔彼と〕全く相反する主義、例えばシラーやシュライエルマッハー〔の思想〕によって戦われた。しかも利害関心を喪失した行為は不可能であるとして説明されている。「動機の意志への作用にほかならない利害関心…とは何なのだろうか。それゆえ動機は意志をどこへ動かすのだろうか。その場合、意志は利害関心をもつことになるが。しかし、動機は意志をどこへ動かさないのだろうか。その場合、意志は本当に少ししか行為できないが。そのとき、石はこの位置から衝突も変移することもできない」とショーペンハウアーは述べる[9]。間違いなくカントは動機のない行為という道徳的行為を理解しようとすることはなかった。事実、彼もまた、利害関心からの行為を人間の自然法則と見做していた。それに対して道徳的な原動力は、道徳法則を前にした尊敬の内にある。しかしこの道徳法則の一つは、ショーペンハウアーが自己に固有の倫理を詳説することによって具体的なものに転じた、彼による批判を正しくかつ適切に表現していた。つまり、具体的な行いの現実的な諸根拠はカント的な意味での道徳的諸行為によって隠されたままである。普遍的なものが特殊なものを超えて存続せねばならない理由が具体的な行いによって認められることもなければ、どのように個々の場合においてその両者の一致が正しく打ち立てられうるのかということも認められることはない。「自己自身から心情の中で入口を見つけ出すが、意志に反して(恒常的な服従ではないにしても)崇拝を手に入れる」[10]〔定言〕命法は、個人を一定の不穏さや不明瞭さに残してしまう。個人の魂〔心〕の中で、個人的な利害関心と全体的な利害関心の漠然とした表象の間の闘争、個人的な合目的性と普遍的な合目的性の間の闘争が起きるのである。しかし、如何にして理性的決断がその両者の基準に従って可能になるのか、ということは見られえない。根本的に乗り越えられえない持続的な憂慮や終わりなき葛藤が生じている。人間の内面で生じているこうした問題〔性〕は、必ず社会的な生活プロセスにおける人間の役割に由来している。そのため、カント哲学というのは、人間の役割の忠実な鏡として、自身の時代の完全な表現である。

⑤市民的秩序の構造を自覚することは、今なお話題になっている心的な状態の基盤を容易に認識させる。社会全体は、あらゆる個々人の所有本能を解き放つことによって存続している。彼らが自身の所有物からもうけやその維持ないし増大を欲することによって、社会全体は維持されるのだ。誰もが、できる限り自分の面倒を見ることが期待されている。ただ、そのとき彼はその他大勢が必要とするものを成し遂げねばならないが故に、うわべだけは自立し、自身の幸せを目的とする活動を手段にして、普遍性の欲求は自己を貫徹する。こうした秩序の中で社会全体の実存の生産物が、所有物への主体の要求と重なり合ってしまっているという実情は、主体の心理機構を刻印してしまった。あらゆる時代の中で人間は、自身の完全な存在に従い、社会の生活条件に沿って自己を適合させてきた。そして、近代においてこうした適合の結果は、人間諸力が個人の利益を贔屓することに順応する、ということである。個人の感情もその意識も、そして個人の幸福の形式も個人による神の表象も、いずれも生を支配するこうした原理から逃れることなどできない。極めてわずかでうわべだけは遥か遠く隔たった人間の動きの中でさえ、人間が社会の中で果たす機能というのは、なおも効力が現れ続けている。経済的な利益はこの時代において、個人の生がその下で存続している自然法則である。定言命法は個々人のこうした自然法則に対して、「普遍的な自然律」〔Naturgesetz〕、つまり尺度としての人間社会の生活法則を非難する。もし特殊な利害関心や普遍性への欲求がそこまで高度に精密な概念把握をするのではなく、必然性でもって互いに概念把握するのだとしたら、こうした自然律は意味を成さないだろう。しかし、自然律が生じないということは、市民的経済形式の欠如である。すなわち、手段としての個人の競争と仲介者としての社会全体の実存の間に理性的な関連などないのだ。このプロセスは意識的な意志の操作の下で行われるのではなく、自然の出来事として行われるのである。社会全体の生は、盲目で偶然で悪質に、個人や工業、国家が入り混じった活動性から生じる。この非合理性は、すべての人間の大多数の苦しみ(Leiden)の中に現れている。それゆえ自己自身についての不安によって利用され、いくつもの「存在」〔Seine〕を煩わせる個人は、単に全体の生を明瞭な意識もなく促進するのではなく、自身の労働を通じて、その他〔の人々〕の労働による幸福の外でやはり労働の悲惨をもたらすのである。どの程度まで、そしてどのような個人に向けて自身の労働が単一のものや他なるものを意味しているのだろうか。こうした疑問は決して完全に明らかになりえない。普遍性についての思考は、固有の労働との一義的な関係の内へともたらされることはない。社会それ自体だけがあらゆる構成員の計画的な参入を通じて、社会の意識的に管理された労働プロセスの中で理性的に解決可能でありうるというこうした問題は、市民時代の中で、社会の主体の内部における葛藤として姿を現すのである。

⑥中世の支配的統一から個人を解放することで、たしかにその当の個人は自立した本質としての自己についての意識を維持してきた。しかし、こうした自己意識は抽象的である。すなわち、あらゆる個人が自身の労働によって社会全体の進展を共に生じさせ、その進展によって影響されている様式は、完全に真っ暗闇のままである。あらゆる人々は社会全体を良くも悪くも発展させることに関与するが、この発展は自然の出来事として姿を現す。個人がその本質の中で必然的に規定されうるこのような全体における〔人々の〕役割は、目撃されることはない。それゆえ、誤って考えられた自由な決断の模範として単に心理学的カテゴリーでもって概念把握可能な自身の実存についての虚偽意識というものを誰もが必然的にもっている。しかし、自身の労働が目指している社会全体の理性的組織化が欠けているため、彼らは社会的全体と自身の真の関わりの中で自己を認識できないし、また、全体にいくらか関係している個人としてしか、自分自身を知らない。実際に何をどれだけ彼らが自身のエゴイスティックな行いを全体のために生じさせるのか、ということはもはやこの先、その全体にとって明らかになることもなく。それゆえ全体というのは督促状や要求として姿を現し、道徳的な考えの中で、自身の労働を拠り所にして、率直に進歩主義的な諸個人の良心を悩ませるのである[11]

⑦こうした唯物論―ただし、今示されたような一般論だけでなく、さまざまな時代や社会階級を特に考慮に入れている―は、道徳的な問題が出発点とし、仮に歪められた方法においてであったとしても、道徳哲学的な教説の中に映し出す現実の諸関係を説明しようとしている。カントが定式化したのと同様に、道徳の理念は次の真理を包含している。すなわち、経済的利益の自然法則のもとでの行動様式というのは、同時かつ必然的に理性的な行動様式であることはない、という真理である。この真理〔理念〕は、例えば個々人の利害関心に対して盲目的な服従への感情、それどころかそれへの帰還を対置しない。そして、利害関心も理性も誹謗されることなく、理性は次のことを認識している。つまり、詳しく言うならば、上述の真理が全体についての自然法則を自身の意志とともに取り入れるとき、この真理は自然法則つまり個々人の利益に仕える必要はないということを認識している。言うまでもないことだが、個人は全体を理性的に構成する要求を満たし得ない。人間を介して社会の全プロセスを支配することがただ遂行されるだけである。事実、この支配は社会のアナーキーな形式を乗り越え、現実の主体として、すなわち社会的な行いによって構成されている。こうした支配は個人に由来しているのではなく、言うまでもなく良心がそのダイナミズムにおいて重要な役割を果たす社会集団の星座的布置〔Konstellation〕に由来している。道徳的な憂慮〔Unruhe〕は生産プロセスにおける個人の労働だけに負担をかけるのでは決してない。個人の全体的な現存在〔Dasein〕は道徳的な憂慮によって適切に表現される。常に人間が、自身にとってこの社会の中で当たり前である法則に従うようなところで、人間は、自分自身の名を引き受ける利害関心の主体についての事柄を直接片付けているにすぎない。市民階級の個人の理性が自身の個別諸目的を超えて手を伸ばす限り、その個人が単に自身の私的な不安や願望でもって規定された諸目的であるXだけではなく、Xの不安が、仮にも直接彼個人の現存在に関わるとしても、Xに本来的に取り掛かるようなものを同時に自身に対して問いただすことができる限り、そして、それゆえに彼自身がこのXというだけではなく人間社会の構成員である限り、カントの戒律が定式化している「自律的な」意志というのは、そのXの中で動き回るのである。他人の利害関心などというものは、カントが首尾一貫して分析したようなもの[12]のもとで、蓋然的なものと見做され、同時に特異な利害関心と見做される。というのも、普遍的な生に対するYの熱心な試みとの関係でさえ、通例に従うならば、Xからしてみれば自身の関係よりも不透明であるからだ。市民の経済状況の中であらゆる葛藤を経験することができない人は、発展の裏に取り残され、その人には、この時代を生きる人間に備わる反応形式が欠けているのである。

⑧それゆえ、道徳は唯物論によって、例えば虚偽意識の意味における単なるイデオロギーとして拒否されることは決してない。道徳は、市民時代の期間中ずっと全く乗り越えられえなかった人間の現象と見做されている。しかし、道徳哲学的な表現は多くの点で歪められてきた。とりわけこの問題の解決は、しっかりと形式化された戒律の遵守の中にあるわけではない。定言命法を実際に使用する試みのもとで即座に道徳的意志が本当に憂慮している普遍性は、この試みとともに完全に救出されることはないということが判明する。仮に万物がこの普遍性のあとに来るとしても、仮に万物が普遍性の意味の中で品行方正な生を全うするとしても、同一の混乱はいまだかつてないほど支配的となるかもしれない。本質的なものの無は変わってしまうだろう。

⑨カント自身が道徳的行為のために挙げている4つの例は、善意志のこうした困惑と無力を明らかにする。第一の例において、絶望者は、道徳法則を顧慮して自殺を放棄している。しかし、絶望者の決断の疑わしさは明らかに次の点にある。すなわち、なぜカントはこの手の疑わしさに本気で取り組まなかったのかということに読者が驚愕しているという点である。「希望を喪失するまで増大した、災いの一連を通じて生への嫌悪感を経験している」[13]人間はなぜ、同時にこうした行為の格率が普遍的法則になることを意志できるようにしなければならないのだろうか?むしろこの世界には、理性的なものがあの〔自殺という〕逃げ道の可能性を慰め〔Trost〕として経験せねばならないような性質など存在しないのではないだろうか?この哲学者〔カント〕が真の啓蒙家と実証した、自殺についてのヒュームの論文は、言うまでもなく『道徳形而上学の基礎づけ』以前に出版されているが、書かれたのはそれより前であった。しかし、この論文はカントの並外れた説への解答のような気を起こさせる。ここで問題なのは、「生から自己を退ける人間」が「社会に苦しみを与えないことであり、この手の人間は、仮に不正が存在したとしても、それがほんの僅かな方法による不正であるような人間の善を成すことを単純に停止しているのだ。…しかし、社会の利害関心を促すことはもはや我が権力内にはないということ、私が社会の重荷になっていること、私の生は社会にとっていっそう役に立っている他者を妨げていること、このような事態が設けられている。そのような事態において私が生を断念することは、単に無実というだけでなく、称賛に値することに違いないのだ。そして、現実存在〔Dasein〕を離れたい気持ちに駆られる大抵の人間は、そうした状況の中にいる。普通、健康・力・名声を持つ人々は、この世界に満足している傾向がある」[14]。こうした意見に対して、カントによって引用された、社会との諸矛盾に注意を向けることがない論述がどれほど回りくどく見えることか!第二の例において、ある人間は、期日がすぎた返済について虚偽の約束をすることで金を調達することを先延ばしにする。誰しもがこの約束をしようとするなら、―そのときカントはこの約束を道徳的に反映させているが―結局、約束というのはもはや真面目に受け取られなくなるだろう。ここでの例を吟味するために、この約束は、金がその目的のために用いられねばならず、両契約相手の関係のような性質を持つ知(Wissen)を必要としている。カントによって道徳的だと名付けられた解決を、カントが同じくらい多くの人工物のみで防衛できた事態、カントがこうした防衛を他の機会のもとで偽り〔Lüge〕一般の動因から試みたような事態というのは、存在するのである[15]。さらに第三の例において、現実性を度外視することは第一のそれよりも命取りであることが実証される。裕福な男は自己のうちに才能を発見するが、それを形成するにはあまりに快適すぎる。カントは、その男はあらゆる他の人間が自分の地位に無為に居続けることを意志することは不可能であり、それゆえ無駄な骨折りを引き受けねばならない、と考える。しかしながら、カントの見解に反して、才能のある男の意志があらゆるライバルを―事実、そうしたライバルは総じて手許に存在しているが―呼び出すという表象は、才能ある男をこうした事象と遥か遠くからでも関わり合うことから安全に守るのである。この男がこの強固な試練を引き受けねばならないのならば、そのとき彼はこうしたライバル社会の枠内で率直に、彼の意志が普遍的規則にならないことを願わねばなるまい。第四の例では、善行〔Wohltätigkeit〕を題材にしている。この例において善行は、道徳法則〔Sittengesetz〕を前にした尊敬によって推奨されようとするよりも、金持ちがその尊敬それ自身をかつて必要としたであろう、人をそこまで惹きつけない指示によって推奨されようとしている。この例において問題となるのがガラクタのペニヒではなく実際に気をそそる額であらねばならないのなら、そのとき金持ちは当然、疑わしい未来よりも安全な現在を優先することになるだろう。しかし、こうした問題がエゴイスティック〔利己的〕ではなく、カント的な意味で道徳的に、つまり普遍性を顧慮して討議の対象にならねばならないとしたら、前者にとって好ましい金持ちの理論は、乞食の理論と完全に区別される。つまり、誠実な心で乞食は莫大な税を有害なものとして明らかにすることになるのだ。高尚なもの、例えば社会的な責任もしくは労働賃金が問題になるのならば、社会集団が存在するのと同じように、普遍的な法則にとって役立つものについての多くの信念が存在することになるだろう。

⑩誰もが自身の良心に従って行為することによって、その結果生じる混沌も悲惨も止むわけではない。反駁されない意志を持つために自分自身を精算し続けろ、とうわべだけ命令することは、道徳的な憂慮の基礎を除去しうる指針を形成しない。また、すでにこれまで善い良心とともに犯されてこなかった悪行しか存在しないのだろうか?引き続き個人が自身の行為と普遍的な自然法則との一致を保つことではなく、どの程度まで現実の中で自身の行為とその法則が一致しているのかということが、人類の幸福に向けて決定的な影響を与えるのである。―それが重要な衝撃のようでありうるかもしれない―善意志が固有の善であるといった見方、単純にこの見方が意味しているものに従い、また、その都度の歴史学的瞬間の中で現実に意味しているものに従うことなく行為を評価することは、観念論的な錯覚である。カント道徳哲学のこうしたイデオロギー的側面から次のようなものへの道が延びている。すなわち、かつてカントを不当に引き合いに出した、犠牲と服従の近代神秘主義への道である。普遍性の中で構想された諸力を具体化し、都合よく操作することが最高の目的と見做されねばならないのならば、品行方正な内面や単なる精神、例えば規律を通じた所有本能を抑制することに気を配ることは決して十分とは言えないが、あの幸福がもたらしうる外的な催しもまた、実際に行われていることに気を配れば十分である。どのように人間は何かを成すのか、というだけでなく、人間は何を成すのか、ということが重要である。すなわち、あらゆる人間が危険にさらされているまさにそこで問題なのは、目的を追求する人々の動機よりも、彼らがその目的に達することである。たしかに、対象や状況もまた、行為している人間の内面なしには規定されえない。というのも、内面や外面というのは、全歴史の中と同様に、個人の生の中にも多様で弁証法的なプロセスの諸契機があるからだ。しかし、市民道徳の中で支配的で、専ら価値を心情の上に置く傾向は、特に現代においては、進歩を妨げている立場として示されている。専ら義務の意識や熱狂そして犠牲〔そのもの〕ではなく、なんのための義務の意識や熱狂ないし犠牲なのかということが、支配的な困窮を目の前にして、人間の運命を決定する。言うまでもないが、犠牲を厭わない意志が、あらゆる権力や最も反動的な権力に仕える、善良な手段でありうる。しかし、意志の内容が全社会の発展の側に立っている関係を超えて、良心が情報を与えるのではない。正しい理論こそが情報を与えるのだ。

⑪秩序における万物が頭の中にしかないのならば、この世界はすでに秩序の中にあらねばならないという、カントによるこうした観念論的な道、そして観念論哲学が思考の全能さ、すなわち魔法についての原始的な信仰の洗練された形式として実証した、幻想と現実の間の相違のこうした欠如は、彼の教説の一側面を形成している。この側面は、現実への相当活発な関係を持つ。上記で示そうとしたように、定言命法が孤立した個々人によるこの社会の中で意味もなく現実化することの不可能性に逢着した。それゆえ、この世界を変化させることは、定言命法の必然的な帰結である。この命法がひっくり返り、その形式の中で定言命法が自身に固有の目的を保持しているように見えるこうした個人もまた、定言命法とともに消えねばならないだろう。市民道徳は、この道徳を起点にしてはじめて可能かつ必然的となる秩序の止揚へと〔自己を〕駆り立てる。自身の格率が普遍的法則に役立つように人間が振る舞うとき、人間は次のような世界を招く。すなわち、こうした検討がカントによって名付けられた事態におけるように疑わしいままであるのではなく、この事態の中で実際に試金石に従って行われうるような世界である。そのとき社会は次のような性質を帯びるに違いない。すなわち、社会が自己に固有の利害関心、それどころか社会のあらゆる構成員を合理的方法で立証するような性質である。こうした前提の下でのみ自己自身をそうした計画に主観的ないし客観的に参与するに至るような個人にとって、個人の生をその参与に適合させることは無意味である。事実、近代倫理学において、所与の諸関係を追い出している動態的な一連の代わりに、この諸関係、すなわち変革を阻止している主観主義はカントの見解によって否定的に展開されている。そのため、その基礎はカントによるものよりも、それ以来経過してきた歴史の中に横たわっている。

⑫たしかにカントの教説というものは、自由な主体に対して要請される永遠の戒律という疑わしい概念を含んでいる。しかし、同時にこの教説は、道徳の終焉が先取りしていた諸傾向を閉じ込めてもいる。市民階級が自身の時代全体の間ずっと取り憑かれていた表現との矛盾がその教説の中で生じている。すなわち市民階級は、自己に固有な理性概念と対立する秩序を創り出し、その秩序に固執していたのである。カントは道徳の絶対性について主張し、必然的にその絶対性を止揚〔Aufhebung〕することを明言せねばならず、無常なものと見做さずにはいられない。ここでの道徳は利害関心と義務との相違に基づいている。両者を結合させるための課題は、その先駆者によって市民的社会に据えられたが、「十分に理解した自己の利害関心」(ベンサム)の哲学的代弁者はその課題を完全なものとして説明しようとすることはほとんどなかった。この課題は支配的な社会形式の中では不可能である。というのも、その都度偽って普遍性として展開する部分的な利害関心や諸権力を、公共的な意見との矛盾において批判している理論でない限り、この支配的な社会形式の中で人類は、世論も意識も持たないからである。市民的な意味における道徳の前提、特殊と不変の利害関心の相違が歴史学的な行いによって消失しうるということは、市民階級の唯物論的人間学にとって、すでにはやくから馴染みがあった教説である。エルヴェシウスが述べるところによると[16]、人間は、「その個人的な利害関心が普遍的な利害関心と結合するとき、幸福になることができるだけである。こうした原理の前提の下、道徳というのは虚しい科学にすぎないということが明らかになる。事実、道徳は政治と立法と、次のことが原因で融合することはない。すなわち、哲学者たちは、その点で自身が有用であると実証されることを意志したとき、諸対象を同一の視点から立法者のように考察せねばならないということを、私が結びつけていることが原因で融合することはないのである。言うまでもないことだが、〔あくまで〕同一の精神に感化されることなく、である。立法者が諸法則に彼の権力の印を押し付けることによって法則を提示することは、道徳的事象のために、確固たる法則を実現する立法者となる」。カントでさえ、よりよい社会における幸福と義務の統一が可能であることに固執していた。彼にとって「実践と理論の衝突」[17]は存在しないが、「純粋な権利の諸原理は客観的な実在性を持つ。すなわち、この諸原理は遂行されつつある」[18]のである。政治が「公衆の普遍的な目的(幸福性)」[19]と合致することを政治の本来的な課題のために保持することは、彼の信念である。無論、政治的な諸格率は、「あらゆる国家における政治的な格率を遵守することから予期されつつある安寧や幸福性を出発点とする必要があり、それゆえ、あらゆる国家それ自身が対象となるような目的を出発点としてはならない」[20]。そのため、固有の国家も何かしらの権力集団も自身を普遍性だと見せかけてはならないのだ。結局、カントによれば、真の政治の中では、そうした部分的な性質である個々の利害関心とともにその利害関心を否決するに至るのでは全く無く、むしろその原理が純粋理性によって与えられている目標の達成に至るのである。事実、カントはこうした目標をなるべき高度な幸福の状態と規定しようとはせず、諸法則に従った偉大な人間的自由の体制として規定しようとしている[21]が、カントは後者の自由と前者の幸福の間に矛盾を見ていたのではなく、自身のとある幸福がその他の自由から導かれることを説明していた。完全な秩序それ自体を顧慮するのではなく、その秩序を追求する人間を顧慮することでカントは、利害関心と義務の根本的な相違を強調した。目標と見做される社会においてあらゆる個人の目的は、あらゆるその他の個人の目的と共存しうる。たしかに、それら目的の中で個々人の私的な目的は、その内容に応じて異なるのかもしれない。だが、その内容は相互の妨害の必然性を耐え抜けない。道徳的行為は自然法則と一致するかもしれないが、いずれにせよ自然法則との葛藤にたどり着くことはないだろう。こうした来たるべき社会の可能性についての明確な諸命題にもかかわらず、カントはその社会の実現の度合いをよろめきながら越えようとしている。『純粋理性批判』の草稿でカントは、理想の遂行は「挙げられたすべての境界を凌駕しうる」[22]ことを確信していた。自身の実践を褒めたて、現実の中で支配的な暴力に調子を合わせる、いわゆる政治的手腕のある男たちに対して苦言を呈していた。というのもその男たちは、人間の自然本性が理念の意味において改善することを不可能にするかもしれないからである。彼らにとって、「既存のあらゆる法的憲法、そしてそれがより高いレベルで改正された場合、その後に続く憲法は常に最良のものとなる」[23]。哲学者は人間の認識に懐疑的な姿勢でよりどころを求めるのではない。むしろ哲学者は人間認識するのであり、「人間から作られうるもの」[24]を知るのである。悪しき社会的諸関係を克服することに対する、人間学の論駁されない異議など存在しない。絶対主義を心理学的に擁護することに対するカントの論証は、こうした擁護でさえ、他の諸科学の下で進歩に対する戦いのために人間によって利用されているようなあらゆる時代に当てはまる。ショーペンハウアーが「道徳的なユートピアの配置」[25]と名付けたもの、道徳の実現と同時に道徳の止揚であるものは、カントにとって幻想などではなく、政治の目標であるのだ。

⑬言うまでもないことだが、カント哲学もまた、ユートピア的な諸要素を提示している。この諸要素は完璧な体制についての思考の内にあるのではなく、完璧な体制への恒常的な適応の非弁証法的な表象の内にある。彼によると、市民社会のあらゆる規定は、あの終末の状態において観念論的なものとして再び立ち返り、現在におけるよりもより良く相互に順応する。また、カントは、支配的なシステムのカテゴリーを不朽のものにする。彼によって目標として表現された秩序は、再び自立して行動する諸人格、個人的に当てはまる決断から言うまでもなく全体性の安寧が円滑に生じる、そうした諸人格であるかもしれない。この理想は事実、ユートピアである。どのユートピアでもそうであるように、憧れの思考〔sehnsüchtige Gedanke〕は現在の変化しない諸要素から美しい形象を形作る。あらゆる個人の利害関心を一致させることは、カントのユートピアにおいては単に予定調和として、慈悲深い奇跡として理解されうる。それとは異なって科学は、歴史的な変動というのもまた、初期状態の諸要素を変化させているという事情を考慮している。

⑭完璧な体制についてのカント的理念におけるユートピア的性格を止揚するためには、社会の唯物論的理論が必要である。個々人の相異なる利害関心はなるほど最終的な事実などではなく、独立した心理学的な構造の内にその利害関心の基礎を保持しているのではない。そうではなく、この利害関心は自身の基礎を物質的諸関係の内に、そして個人がその一部であるような社会集団における現実の情勢全体の内にあるのだ。全く埋め合わせのできない利害諸関心の相違は所有諸関係の相違に由来する。そして人間というのは今日、誰もが他の矛盾に満ちた発展の諸傾向に見ている相異なる経済的ポテンシャルとしてお互いに存続している。その導入がかつて異常な進歩を意味し、他の進歩の下では自己を意識する人間の発展可能性を意味していたまさにその矛盾した経済様式が、生産の所有は単に健全な意図に応じてだけでなく普遍的利害関心における理性的必然性とともに管理されている、という社会の生活形式から剥ぎ取られつつあるときにはじめて、奇跡として姿を現す個々の目的の合致は活動を止めるのである。しかし同時に、そのとき私的な目的の代表たちが存在するための諸個人でさえ活動を止めてしまう。あらゆるものはもはや単なるモナドではなく、カントの言葉で言うところの普遍性の「環」〔Glied〕である。

⑮動態的な要素を超えて理性的社会を指し示す道徳的現象においてカントが動態的な要素を示しているこうした〔「環」という〕表現は、近代社会学の中で悲劇的な機能を獲得してきた。この表現は、問いから移行した現在の社会のこうしたメカニズムの中で絶望した人間を、次のような局所的「全体」〔Ganzen〕、すなわちその領域の中に人間が血統ないし運命によって迷い込んでしまった局所的「全体」、同様に、率直に人間の歴史の中で役割を果たす局所的「全体」に身を任せるように促さねばならない。その際、臓器学的転換は率直にカントと相容れない意味において理解される。この転換は、人間の諸関係が実際に理性によって制御されている時代の代わりに、あらゆる事象が単に本能や伝統、服従によって媒介されてきたような社会の背後にある段階を指し示している。カントは有機物の像を、来たるべき社会が摩擦なく機能することを知らせるために利用する。その際、合理的思考の役割は、少しも否定されることはない。それに対して今日、有機物の像は独立性ないし経済的非同一性〔Ungleichheit〕のシステムを示し、人間の増大した批判的状態を前にもはや正当化されえず、それゆえ形而上学的な慣用句をあの批判的状態と宥和させる〔aussöhnen〕ためにこうした慣用句を必要とするようなシステムを示している。あらゆる力の増大によって疑わしく変容した事態、あらゆる力がこうした有機物を単に規定し、他の有機物を詳説する事態を永遠の関係として盲目的自然から基礎づけるために、有機物は引き寄せられている。苦しみを被っている人間は今日、メネニウス・アグリッパの時代にかけてのように、次のような思考で満足している。すなわち、そうした全体における人間の役割は、自身と最も動物的な身体〔Körper〕を区分するように人間に生来から与えられたものである、という思考である。自然における強固な独立性は、社会の分割に対して、先例として非難される。不正を排除していると思っているこの観念論的な社会学とは逆に、この社会学が増大する意識をそこからいわゆる精神的刷新を通じて斬首することから遠ざけるという努力によって、カントによる道徳教説の傾向は、次のような社会に向けられている。すなわち、たしかに実質的な遂行はか細く分割されているが、個人の展開可能性や幸福は段階的推移〔Stufenfolge〕には屈服せず、運命に委ねられることはないような社会である。「生命の中で分裂など存在しないが、いくつかの環が相手に同じような配慮をするために」[26]と新約聖書に書かれている。カントにおいて有機体は、率直に目的の概念によって規定されている。彼によると有機体による出来事は常に「概念の因果性〔Kausalität〕」[27]、換言すると意図と計画を指し示している。

⑯道徳意識を目論むような来たるべき社会において個人のそれと同様に全体の生というのは、単に自然的な作用としてだけでなく、個人の幸福に任せて同様の様式に撤退する理性的な構想からの効果として生じる。現在、幸福を条件づけ、人類の大部分のために不幸を条件づける経済的諸闘争の盲目なメカニズムの代わりに、際限のない財産を目的に沿って利用することは、生産物の人間的かつ実質的な諸力に沿って進んでいく。カントによればあらゆる個人というのは、「たしかに普遍的な立法ではあるが、こうした諸法則それ自身に隷属」[28]せねばならない。あらゆる個人は単に形式的な民主主義の公的-合法的意味において「立法的」〔Gesetzgebend〕なだけではなく、個人それ自身がその可能性とともに全社会的現実の中で配慮を見つけるのと同様に、あらゆる他の配慮を見つけることも「立法的」なのである。カント的な意味において、絶対的な目的と見做されている栄光〔Ehre〕は特別な全体性に相応しいのではなく、諸個人にこそ相応しい。すなわち、諸個人だけが理性を持つのである。カントは、道徳がその基礎を喪失するこうした人間に相応しい社会の理念を、道徳的意識の分析によって示した。つまり、この理念は理念自身の要求と帰結として姿を現すのである。ヘーゲルはこうした理念を自身の哲学の基礎にした。ヘーゲルによれば理性性〔Vernünftigkeit〕というのは具体的に主観的自由と客観的自由の統一、つまり普遍的意志と、理性性の目的を追跡する諸個人の統一において存続している[29]。言うまでもないことだが、ヘーゲルはこうした状態を―国民経済学についての彼の自由主義的な教説と同じように―、彼の時代ではすでに現実的なものであると見做していた。利害関心から区別された人間の力としての道徳は、彼の体系においてさほど大きな役割を果たしてはいない。そして、彼の体系は、こうした完結したように見える歴史の形而上学に従えば、もはや前方へと駆り立てる力ほどこの道徳を必要としていない。しかし、カント哲学と同じ様に、精神についての彼の概念は、市民的世界を思考するすべての頭脳の中に置く、同様の理想を含んでいる。彼の現実化についての理論は、哲学から政治的な経済の批判へと行き着く。

⑰認識、つまりそれへの意志と布告が現在の経済様式においてその根を持ち、他の生活様式と同じようにそれとともに変化するような認識を通じて、道徳は同時に概念把握され、消滅する。所有本能〔Eigentumsinstinkte〕の支配が人間の自然法則であり、さしあたり他の法則において誰しもカントの規定に従ってそれ固有の目的のための手段を見やるような時代の中で、道徳というのは、生一般を具体化しその幸福についての不安を意味している。伝統的な道徳の反対者でさえ、その批判の中でそうした努力とともにある不特定で道徳的な感情を前提としている。ニーチェが『道徳の系譜学』への序言の中で自身が抱く問題を明らかにしたとき、「どのような条件のもとで人は良い(gut)か悪い(böse)かというあの価値判断をしてきたのか?」という唯物論的な問いのあと、即座に次のような道徳的な問いが続いている。すなわち「そしてどのような価値をあの価値判断は保持しているのか?これまであの価値判断は人間の繁栄を阻止するもしくは必要としてきたのだろうか?あの価値判断は生の苦境や貧困化、退廃の象徴であるのだろうか?もしくは逆に、そうした価値判断において豊かさ、力、生の意志、その勇気、その確信、その未来は自己を暴露するのだろうか?」と。人類の普遍的な理念はカントによるそれと同様に、そこでは尺度と見做される。言うまでもなくニーチェは、普遍的理念を組織化する実りある形式に対する諸条件がすでに日を見るより明らかであった時代において、全く正反対の手段をこの理念の平定に委ねた。そしてこうした理念は「その目標を、自己を超えて押し出さねばならない―が、それは偽なる世界においてではなく、理念の持つ継続においてである」[30]という現在の人類についての主張はニーチェ自身に向けられている。というのも、彼の実践的な提言は総じて偽なる推定に基づいているからである。その個人的な利害関心の自然諸法則に基づいて行為する諸個人についてのニーチェによる心理学的な探求から、ニーチェ自身は次のことを締め出した。すなわち、普遍的な実現というものは、諸個人が何を求めるかということ、換言すると、確実さと幸福、プチブル的な俗物の社会、「最後の」人間の世界を発生させるに違いないということ〔=確信〕である。ニーチェは、彼が嫌う諸特性が現在まさに、普遍性に対する良き諸条件の欠如に由来しているということを認識していなかった。彼がシワを寄せるような理性の拡大、社会の全諸関係に理性を適用することでもって、真理の中で私的な利益にあらゆる本能の中心を置くことに基づくあの諸特性というのは転化せねばならないし、異なった形で諸表象どころか欲求にさえ変化せねばならないのかもしれない。弁証法についてのニーチェの認識の欠如はニーチェ〔自身〕によってカントと同様の「正義の欠如」を予見〔voraussehen〕させている。「我々が願うように正義が存在するとしたら、あらゆる道徳性は利己心〔Eigennutz〕に変わってしまうだろう」[31]。しかし実際のところ、利己心は同時に道徳性へと変わってしまった。というよりむしろこの両者は、人間の利害関心についての、理性的状態に相応しく新しい形式に埋没してしまった。ニーチェの歴史理論は的外れである。そして、彼は仮に彼岸の世界に目的を置くのではなく、逆さまの世界に目的を置いている。というのも、彼は経済諸法則についての認識の欠如から現在の諸法則を動かすということを誤解しているからである。しかし、ニーチェ独自の道徳は彼によって制圧された諸要素と同様の要素を包含している。彼は自分自身に対して憤怒しているのだ。

⑱また、ベルクソンによれば道徳は人類の進歩についての思想を含んでいる。「…私達がいる現実の社会から理想の社会へ思いを馳せる。自分の中にある人間の尊厳を前に頭を垂れ、自分自身を尊重して行為していると宣言するとき、理想の社会への経緯が高まるのだ」[32]。彼によると道徳は二つの側面を持つ。すなわち、一つは「自然的な」道徳である。それは社会の生活条件に社会を適合させることに由来する―この道徳は、慣習のために硬化し社会的な目的にかなった反応、原始的な一族や文明的な国民の構成員と動物的な部隊の模範的なものとが同じように固有のものであるような反応の内に存する―。そしてもう一つの道徳は、真理において人間的な側面、すなわち「エラン・ダムール」〔愛の波〕という側面である。この概念は自己の内に「進歩の実感」[33]を含み、個人が偶然属している部分的な集まり〔Verband〕をもはや単に維持し保護することに向けられるだけでなく、人類にも向けられている。「社会的圧力」の一つとして、そして「前進」とは異なるものとして姿を現すこの両側面の相違は、カントによる自然法則と人間性を前にした尊敬の間にある相違にほかならない。公的に追放された感情と未来志向の道徳の区別を適切に表現するためのベルクソンの視線は今日まで十分に深くまで達している。「現代人の生来の基本的諸傾向」[34]は家族や利害団体、国家に向けられており、集団のありうる敵意を集団に必然的に含めている。憎しみというのはこのような目的を満たした愛の一部であって、未来に向けられている道徳的感情の連帯〔Solidarität〕の一部ではありえない。「というのも、国家がいかに偉大であろうと、人類との間には、有限から不定へ、閉鎖的から開放的へと、あらゆる距離が存在するからだ」[35]。ニーチェも同様に言うまでもなくベルクソンも、真なる道徳によって指示された理想的な社会、その現在の諸力が真なる道徳に対して反対する社会、真なる道徳を明言してそれに尽くす人のいる社会はどのようにして実現されうるのか、という問いのもとで自分の視線の鋭さを喪失している。ベルクソンはそこで英雄の理論を繰り返し述べている。「そのひとつひとつは、新しい種の出現と同じように、創造的な進化の努力を表している」[36]。古い迷信によれば、それらはただ個々にのみ、そして長い時代の始まりのために生じねばならない。これらが最も外的であることなどめったにないのだろう。それら珍しさにおける確実さの中で、無論ベルクソンは次のように問いかけることを忘れている。すなわち、結局、今日の「社会的理念」についてのこうした英雄たちは存在しなかったのかどうか、そして、「閉鎖的な魂」にとって固有であるあの認識とは異なる認識を哲学者たちが英雄たちから奪い取ることなしに闘争の中で存続しているのかどうか、このような問いかけである。こうした失念の中に、すなわち道徳において思考に関して先取りされたあの社会を求めた闘争の向こう側にある無関心さの中に、未来に向かって駆り立てている諸力を不十分ながら結合させる中に、それが現在でさえ真面目に受け取られつつある哲学において発見されうる方法のように、この不道徳の断片は横たわっている。

⑲唯物論は道徳の中で一定の人間の生の表出を見ており、この表出を彼らの生成と消滅の諸条件から概念把握しようと、それ自身の真理のためではなく、特定の歴史的動因との連関において試みる。唯物論は、手許にある不幸を無くすための努力の理論的な側面として自身を理解している。唯物論が道徳の歴史学的な現象に沿って撤廃している道は、特定の実践的な利害関心を前提することのもとでのみ出現する。唯物論は道徳の背後で歴史学を超越した審級を推測することはない。道徳的命令が―それはなおもかなりの程度まで精神化されているが―宗教的な自律性に由来するその血筋からこちらまでなおも持ち合わせている不安というのは、唯物論にとっては未知のものである。あらゆる人間の諸行為の帰結は最終的に空間-時間的な世界に姿を消す。その帰結がこのような世界の中でその世界の創始者に反作用を及ぼすかぎり、この創始者はあのような世界を恐れる必要はなにもない。哲学者たちが公的な意見一般のように「倫理的」行為を包み込む栄光や、哲学者たちが「倫理的」行為を委ねるあらゆる論証でさえ、理性を前にして抵抗は不可能なのだ。シェーラーやハルトマンの近代的「価値研究」〔Wertforschung〕は、「本来的価値の領野」[37]というのは他の専門分野と同様に究明されうるという見解とともに、不可能な課題、つまり単なる哲学から行為様式を基礎付けることを解消するために依存する他の方法だけを打ち壊してきた。「価値帝国〔Wertreich〕の構造と秩序」についての科学的主張は、必然的に戒律をそのように告知することの試みを表現する。というのも、仮にこの知が「隠れている知の追求や模索の段階におけるなおも完全なもの」[38]として呼ばれているとしても、倫理学者が示そうと努力しているあらゆる価値に、「為すことの契機」〔Sollensmoment〕[39]が張り付いているからだ。そしてその契機は一定の状況の中で「主体の事行〔Tunsollen〕」[40]に変わる。決断が常に主体の良心の内にあることを明らかにしているにもかかわらず、なるほど哲学的な道徳教説の本質の一部である普遍性にもかかわらず、振る舞いが相応しくあるべきであるような序列の相違が存在しているということが主張されている。「だから、例えば価値性格の中で隣人愛が正義よりも高尚であり、遠い人間への愛が隣人愛よりも高尚であるが、個人的な愛の方が(どうやら)両者よりも高尚である。同様に、勇ましさは支配よりも高次に位置し、信仰と忠誠は勇ましさよりも高次に位置し、割愛するが美徳と個人性は再びこれらよりも高次に位置している」[41]。それはそうと、当の内容がカント以来強く反動的になりつつある哲学の機能の結果として、単により広大に、道徳的感情と結びついているようなああいった〔ハルトマンが述べる〕いくつかの主張は、定言命法のように戒律の性格を保持している。これら主張は、言うまでもなく「社会的圧力」と「エラン・ダムール」が、甚だしく分析されつつある、こうした結合を引き受けてきた心的な事態についての神秘化された表現である。永遠の価値帝国など存在しない。欲求と願い、人間の利害関心と激情、これらは社会プロセスの連関のなかで変化している。歴史に関する心理学とその補助科学は、その都度正当と認められた価値とその変化を説明することへと一つにまとまらねばならない。

⑳拘束力をもつ道徳的な戒律は存在しない。唯物論は、親切心と利潤欲、善さと残酷さ、強欲さと自己献身とを区別する、人間を超越する審級を発見することはない。論理学もまた、沈黙し続けており、道徳的な物の考え方に優先を認めることはない。来世を顧慮する代わりに現世の思慮深さに基づいて道徳を基礎づけようとする―カントでさえ、〔先ほど〕検討された例が示すように、いつでもこうした傾向に逆らっているわけではない―あらゆる試みは、調和せし幻想に基づいている。さしあたりこのあらゆる試みとあの思慮深さはたいていの事例の中で崩壊している。この思慮深さは基礎づけに適していない―直観によってでも、論証によってでも。むしろ思慮深さは心的な体制〔Verfassung〕を表現する。生殖についての心的な構造の個人的な諸条件とメカニズムの中で、世代によって納得のゆくように他の世代を生み出すためにこうした心的構造を記述することは、心理学の事柄である。「自然法則」から逸脱し、私的な占領とは何の関係もなく所有と関わり合わねばならない利害関心は、道徳的な感情にとって典型的なものである。現在、ほとんどすべての人間による運動は、こうした法則によってであろうと、単なる習慣によってであろうと、〔とにかく〕規定されている。この時代においては愛でさえ所有物のカテゴリーの下にあるということは、市民階級の思想家による定義に由来している。「我々は…必然的に愛するものは、愛するもののために、所有し、保持することを賞賛する」[42]とスピノザは述べる。「人格の性的な特性の、生を長引かせる相互所有に関する、人格を区別する二つの性の結合」としてカントは婚姻[43]を記述し、夫妻の「所有物の同一性」という言葉を用いたが、それは単に物質的な善性によってではなく、「相手と相互に持っている諸人格」[44]によるものである。また、この近代的な表現が完全にはイデオロギー的なものになっていない限りで、この表現は類似の定義を包含している。フロイトの教説に従えば、成人の欲動の系列でさえその内ですでに発見されうるような幼児的欲動の性的な目標は、彼によると「性感帯…を適当に刺激することによって充足感を生じさせる」[45]ことの内に存する。これに従えば愛された人格は、主としてあの刺激を行うための手段として姿を現すのである。この点でフロイトの理論は、婚姻に関するカントの定義に近しい叙述であるような感を起こさせる。

㉑こうした愛の性質から道徳的感情は区別されるし、カントが道徳的感情を単にエゴイズムと区別するだけでなく、あらゆるそうした「傾向性」とも区別しているのならば、カントは正しい。市民的世界において規則であるものとは対照的に人間は、道徳において単に手段ではなく、常に同時に目的でもあるというカントの教説を通じて彼は心理的な事態を示している。道徳的感情はおよそ愛と関わり合わねばならない。というのも、「愛、崇拝、完全な見やり、憧れは目的の内にある」[46]からだ。しかしこうした愛は経済的主体としての人格ないし、恋人同士の可能的状態における持ち場としての人格に関わるのではなく、幸福な人類の可能的な構成員としての人格に関わる。この愛は市民的生活における特定の個人の機能や外見に向けられているのではなく、未来を指し示している個人の諸欲求や諸力に向けられている。無論、啓示に基づいてではなく現在の困窮から結果として生じた、あらゆる人間の来たるべき幸福な生への方向が、こうした愛を記述することの内へと受容されることなしに、この愛は決して規定されえない。あらゆる人間一般が人間であるかぎり、総じてこうした愛というのは、その実り多い諸力を自由に具体化することを望んでいる。この愛にとって、生ける本質というのは幸福への要求を持っているように見え、愛はその事に対する正当化や基礎づけに対する疑問を少しも持っていない。厳格さ〔Strenge〕というものは、愛と根本的に矛盾している。仮にその両契機それ自体を支えている心理的プロセスが存在しないかもしれないとしても。市民社会において厳格な道徳へ教育することは、自然的法則からの解放の標識の下よりもいくらか自然的法則の奉仕の内にあった。軍に属する伍長ではなく、第九行進曲の結末こそ道徳的感情の一つの表現であるのだ。

㉒この道徳的感情は今日、二つの形態において作用している。第一に共苦〔Mitleid〕として作用している。カントの時代において、私的な着服によって調停された社会的生産物は進歩的であった。その一方で、今日この生産物というのは、力〔Kraft〕を拘束し、それを破壊についての諸目的へ悪用することを意味している。巨大な経済的権力集団によって世界基準でとことんまで行われている闘争は、善き人間の素質を減少させることにまで導かれ、〔さらに〕内外での狡知〔Lüge〕を差し出し、途方もない憎しみを発展させることにまで導かれることになる。人類は市民時代には豊かになり、人類が品格のある〔評価された〕目標設定の下で統一されて存在しうるような、大いに自然的かつ人間的な補助力を意のままにしている。こうした至るところで半透明である事態を充填する必然性は、国際関係に及ぶだけでなく私的な関係にまで侵入してくる見せかけの領分を条件づけ、文化的な努力を含めた科学を低下させることを条件づけ、個人的であり公的でもある生を粗野なものにすることを条件付ける。その結果、精神的な悲惨はいまだに物質的な生に招集されている。人間の貧困はその可能な富と現在よりも甚だしく矛盾することなどありえなかったし、子どもたちが腹を空かせ、父なる創造主たちの手が爆弾を仕向けるこうした世代よりも、あらゆる諸力が残酷に束縛されてきたことなどありえなかった。我々に委ねられた歴史の内部で古代の没落としか比較されえない災厄に世界が近づいていくように見えるか、むしろすでに世界はそうした災厄の中にいるように思われるかのいずれかである。個々の運命の無意味さ、つまり理性の欠如や生産プロセスの単純な自然性によってすでに初期から条件付けられていた無意味さというのは、現在の段階において、現存在の最も強力なラベル〔Kennmal〕へと高められていた。幸福な人間は、自身の内なる価値に従って最も不幸なものの場所にも立つことができるのかもしれないし、その逆も然りである。誰しもが前の見えない偶然〔Zufall〕に委ねられている。彼の現存在の進展は自身の内なる可能性との関係においてあるのではないし、たいてい現在の社会における彼の役割というのは、自身が理性的社会の中で成し遂げうるかもしれないこととの関係を持つことがない。それゆえ、こうしたことに対する道徳的諸行為の態度は、その品格さに到達し得ない。遠く隔たっている物の考え方や行いが実際にどれほど称賛に値するかは、混沌とした現在の中では判明せず、「(功績や罪に関する)諸行為の本来の道徳性というのは、我々を[…]我々の本来的な態度でさえ、すっかりだめにしたままにする」[47]のである。我々は人間を自身の運命の主体と見做すのではなく、盲目的な自然の出来事の客体と見做す。それに対する道徳的な感情の返答〔Antwort〕こそが共苦なのだ。

㉓カントが道徳的感情に基づいて共苦を見なかったことは、歴史的情勢から説明されうる。彼は自由競争の不屈の進歩に対して、普遍的な幸福を高めることを期待して然るべきであった。というのも、彼はこうした原理の支配下にある世界を発展の中で見つけたからである。それにもかかわらず、彼の時代において共苦が道徳から引き離されることはできなかった。個人と全体が実際に一つにならない限り、不安から解放された個人の容易な死が個人それ自身にとってうわべだけのものと見做されている限り、当然ながら彼が普遍性〔社会全体〕のもとで止揚されている自身の本質的な目的を心得ている間、それゆえ道徳がなおも実存根拠〔Existenzgrund〕を保持している間、共苦は道徳に住み着いているのである。なるほど共苦は道徳よりも長生きするかもしれない。というのも、この道徳を市民時代の経済様式に基づいて受け入れてきた人間の諸関係の一定の形式に、こうした道徳は属しているからである。道徳の理性的な規制によってこうした〔人間の〕諸関係を変化させることでもって、少なくとも道徳は背後に退いてしまう。そして人間は自身に備わる苦痛や病理と闘うのかもしれない―〔ただし〕現在の社会的拘束から解放された医学を成立させるであろうものというのは、予測されえない―が、苦しみと死は引き続き自然を支配する。しかし、人間の連帯〔Solidarität〕は生命〔Leben〕一般の連帯の一部分である。前者〔jene/人間の連帯〕の現実化における進歩は、後者〔diese/生命一般の連帯〕に向かう意味を強固にするだろう。動物は人間を必要としている。動物が我々とそれらから成る統一の姿を完全に見せること〔という教説〕はショーペンハウアー哲学の栄光である。人間の偉大な賜物、とりわけ理性は、人間が動物とともに知覚する共同体を是が非でも止揚しようとはしない。たしかに、人間の一連は特別な型を持つ。しかし、動物の生とともにある、人間の幸福と不幸の親和性は明らかだ。

㉔今日、道徳が適切な表現を見つけている他の〔第二の〕形態は政治〔Politik〕である。政治の正しい目標は偉大な道徳哲学によって繰り返し社会全体〔Allgemeinheit〕の幸福と呼ばれてきた。無論、カント自身は来たるべき社会の構造について誤った判断を下さねばならなかった。というのも、カントは現在の社会についての形式を永遠のものと見做していたからであった。政治的な経済の唯物論的な批判は、現在の社会がそれとともに成立したような理想を現実化すること、まさに特殊な利害関心と普遍的な利害関心を一致させることは、それ固有の諸条件が止揚されることによって生じうるということをはじめて明らかにした。今日、自由や同一性、正義の市民的理念は悪質であることが証明されていると主張されている。しかし、市民階級の諸理念ではなく、それら諸理念に相応しい状況こそがその脆弱さを示していたのだ。啓蒙とフランス革命のいくつかのスローガンはこれまで以上にその妥当性を持っている。それらスローガンが自身のアクチュアリティを維持し、現実に基づいてそれを喪失することがない、というまさにその証拠の中に、現実の外皮の下に身を隠す世界についての弁証法的な批判が存在するのである。これら理念は、道徳においてそれが必然的な目標の成り行きとして先取りされているような理性的社会の個々の系列にほかならない。それゆえ、道徳に相応しい政治というのは、こうした要求を放棄する必要はなく、この要求を現実化する必要がある―言うまでもないことだが、それは、この政治が時代に制約された定義をユートピア的に固く保持することによってではなく、その意味に応じて固く保持することによってであるが。こうした諸理念の内容は永遠ではなく、歴史的な変化の支配下にある。それは、「精神」〔Geist〕が自発的にわざと同一性原理〔Identitätsprinzip〕を傷つけているという理由によってではなく、比較的優れたものを求める人間の衝動が、それぞれその衝動が作用する歴史的物質に応じて他の形態を受け入れているという理由によってである。そうした諸概念の統一性は、それら概念の諸要素の恒常性から生じるというよりは、その諸概念を現実とすることが必然であるような諸要素の状態を歴史的に発展させることによって生じるのだ。

㉕唯物論的なテーゼにおいて問題なのは、諸概念を変更なしに貫き通すことではなく、社会全体の宿命をより良くすることである。それゆえ闘争において諸理念はその内容を変化させてきた。今日、諸個人の自由というのは、計画の中で諸個人の経済的自立を止揚〔破棄〕することを意味している。同一性や正義についての従来の諸理念を前提にすることは、経済的かつ人間的な主体についての現在の非同一性〔Ungleichheit〕であった。そしてこの前提は、統一された社会の中に消えていくに違いない。それとともに、これら理念はその意味を喪失している。「同一性は、単に非同一性すなわち不正に対する正義との矛盾の内に存し、それゆえなおも古き従来の歴史との矛盾を背負っているのであり、それゆえ古い社会それ自身を背負っているのである」[48]。これまであらゆるこうした諸概念は、その特定の内容を、自由経済の諸関係から受け取ってきた。その自由経済はあらゆる概念にとって好都合に機能せねばならなかった。今日、こうした諸概念は、現在の表象から生まれた比較的良い社会の具体的な表象に変わった。事実、人間は前もって野蛮に沈んでいることはないのである。

㉖闘争におけるスローガンとして社会の理性的な調整を巡って決定的な役割を果たす正義の概念は、道徳よりも古い。この概念は階級社会すなわち周知のヨーロッパの歴史それ自身と同じくらい古いものである。普遍的かつ現世において実現されつつある原則として、自由と同一性との連関の中にある正義は市民的道徳の中ではじめて承認されてきた。言うまでもないが、いよいよ今日、人類の補助手段〔Hilfsmittel〕は嫌になるほど次のような状態にある。つまり、この補助手段を相応しく現実化することは直接的な歴史の課題として据えられているという状態である。そうした補助手段を求めた奮闘は、我々の過渡期の時代を特徴づけている。

㉗これまでの歴史においてあらゆる文化活動は、支配集団と被支配集団の分裂によってのみ可能であった。特定の段階における民族の生を恒常的に更新することと結び付けられ、しかし、なかんずくあらゆる進歩と結び付けられ、いわば社会が消費する諸経費を描く苦悩は、社会の構成員の間で均等に分散することは決してない。その根拠は、18世紀の高潔な哲学者たちが考えたように、支配者の強欲や悪意の中にあるのではなく、人間の諸力と欲求の間にある不均衡にある。上級階層を含めた社会全体の教養の程度は、手許にある道具を考慮して現実の奥底まで、労働による大衆の依存を条件づけてきたし、それとともに生一般においてそれを条件づけてもきた。大衆の残酷さは、彼らを教養の比較的高次な程度まで押し上げるようとする支配者の無能力に対応している。そしてこの両契機は、ただゆっくりと変わってきた社会的実存の硬度でもって、常に繰り返し生み出されてきた。歴史的人類は、混沌に沈み込んでいる危機の際に、支配関係を放棄するための選択肢を持っていなかった。文化の発生と伝播は、こうした分裂から分離されえない。分業による生産プロセスに由来する物質的財産を除いて、芸術と科学の諸産物や人間同士の付き合いの洗練された諸形式、精神的実存に対する人間の意味は、不平等に分割する社会を負担〔Last〕や享楽〔Genüsse〕に由来する根源に押し付けるのである。

㉘従来の歴史にその刻印を刻むような階級分裂〔Klassenspaltung〕というのは、自然における非同一性の継続である、ということがしばしば断言されてきた。動物種は迫害者とその被害者に区分されうる。その結果、たしかにかなりの動物種はそのどちらかであるが、それ以外の動物種はとりわけその両者の内のもう一方でしかない。また、種の内部でも空間的に分割された集団、一部は幸福に恵まれているように見え、一部は想像を絶する運命の打撃の一連によって責め立てられているように見える集団が存在する。集団と種の内部にいる諸個人の痛みや死というのは、再び不平等に分割され、狼狽している人々の生とのあらゆる意味に満ちた連関を欠いている状況から独立しているのである。社会の生活プロセスによって広範に条件付けられた非同一性は、自然全体におけるそうした人々と似通っていた。表面的な形態の自然な相違や分け前、さらにいくつもの疾患や死にかなり近い状況が社会の非同一性をさらに複雑にすることによって、〔不平等に分割された〕両者は、人間的生の中で自身を貫徹することになる。無論、社会におけるこうしたいくつかの自然な相違が有効であるような尺度でさえ、歴史的な発展から独立している。そしてこのいくつかの相違は、その都度の社会構造の相異なる階層において異なる結果を持つ。すなわち、同一の病気の発生は、社会的に異なるサークルの構成員にとって、完全に相異なるものを意味しうるということである。配慮や教育上の技法、満足した状態といった一連は、悪知恵のある裕福な子供に、未だ手許にある素質を伸ばすための機会を与える。その一方で、現存在の闘争において幼い大人を置き去りにする子供は精神的身体的に没落していく。そしてその子どもの落ち度は生によって高められ、良き始まりは消し去られてしまうのだ。

㉙しかし、非同一性が根本的な趨勢を表現しているこのような人類の歴史の中で、その歴史の側面としてであれ、その作用としてであれ、常に繰り返し特定の人間的反応は表面化する。異なる時代、異なる場所で非同一性を撤廃することが必要とされてきた。被支配諸階層だけでなく、支配諸階層から寝返った者もまた、非同一的なものを悪しきものとして解釈していた。その概念が唯物論的なものの見方に従って貿易関係とともに発展してきたような確立されつつある同一性というのは、異なった方法で理解されていたのである。誰しもが社会から突如現れる消費財を頼りに同じ取り分を維持している(例えば原始キリスト教)という単純な主張から、誰しもの尺度は彼に対してその労働に相応しいよう付与される(プルードン)という提言を超え、負担は繊細な個人に対してほとんど要求されるべきではない(ニーチェ)という思考まで、正しい状態についての表象という極限まで内容豊富な一連が存在している。幸福があらゆる人間にとって社会における人間の運命に基づいた他の人間との関係において可能である限り、その幸福は、偶然的で恣意的そして人間自身にとって外的である要因によって規定されないという方向へとすべての人間は向かっていく。換言すれば、非同一性は諸個人の生活条件において、少なくとも偉大であるにすぎない〔sei〕、ということが所与の段階において不可避であると同様に、社会全体的に善意を与えることが維持されようとしている。この事態は正義概念の普遍的内容である。その内容によれば、その都度支配的な社会的非同一性は合理的な基礎づけを必要としている。この非同一性は善いと見做されるために停止するし、克服されようとしている何かになるのである。

㉚こうした原理を普遍的な原理にしたことは、比較的新しい時代の成果である。また、この時代において欠けているのは非同一性を守ることではなく、自然と社会における盲目性の賛辞である。しかし、アリストテレスやトマス・アクィナスといった過去の時代を代表する哲学者たちが人間の運命における相違を永遠の価値として称賛したとき、そのとき啓蒙は、言うまでもなく古い人文主義の教説と関連してであるが、非同一性を根絶されつつある災いとして表現し、フランス革命において同一性は体制の原理にまで高められたのだった。こうした承認〔Anerkennung〕は、単なる思いつきもしくは、ベルクソンとともに論じるのなら、閉鎖的な道徳の領域における解放的な道徳の没落であるというだけではない。そうではなく、この承認はあの時代において、社会全体による変化しつつある生活諸条件への適合の一部分であった。そしてあの承認はこうした生活諸条件を、社会全体に住み着くダイナミズムに基づいて、あらゆる動植物のように継続的にも突発的にも遂行しているのである。同一性の理念は、「私たちの社会における真の変革の論理的帰結である」[49]のだ。同一性の理念とともに自由の理念が必然的に定められる。事実、個人は自己を具体化し平定する他の個人ほど根本的に品位を落とすことはないが、それとともに強迫〔Zwang〕を配慮することは、他の配慮に対する人間集団によって災いとして解釈される。正義の概念は自由の概念から区別されえないのと同様に、同一性の概念からも区別されえない。

㉛体制の原理として同一性を告知することは、はじめから思考に対して進歩を形成しただけでなく、危険をも形成した。権利諸関係の新たな形態の中で、人間のありのままの諸力によってもはや必要不可欠ではないが特定の、それどころか妨げになるようないくつかの非同一性を止揚することが行われてきたことで、同時にこうした歩みは、同一性一般の現実化として発布された。人間の社会的な同一性というのはなおも現実性の満たされつつある要求であるのか、それともすでにその記述であるのか、ということは不明瞭であった。フランス革命は、普遍的な正義概念を助けて単に理論的な承認を得させたということだけでなく、その概念をフランス革命の時代に合わせて広範に現実化した。普遍的な正義概念は19世紀の表象を支配し、有力な趨勢として思考すべてに移行し、それ自身すでに、ヨーロッパ世界ないしアメリカ世界の感情にまで移行した。しかし、あの革命の時代にこの原理を適切に具現した諸制度、つまり市民社会をすべて把握することは古いものとなった。法則を前にした同一性は当時、能力の非同一性にも関わらず、進歩を正義の意味において解釈した。―今日この同一性は、こうした非同一性があるために不十分なものであり、〔そして〕公的な談話の自由は、より良い状態を目指す闘争における武力であった―。今日、公的な場での談話の自由は、とりわけ、時代遅れの状態の役に立っている。所有物の不可侵性は、当局の介入に対する市民労働の防衛であった。―今日、この不可侵性は同時に広範な市民諸階層の没収と社会的富の放置を結果として伴っている。

㉜それゆえ、市民階級の諸理念がフランス革命の勝利以来、支配権力とともに消滅した結びつきは、思考をもつれさせる。つまり、前へ向けて自身を駆り立てるこれら理念は、その意味に即した担い手、つまり社会の進歩勢力から疎外され〔entfremden〕、対置される。しかし、率直に現在、人類は没落の危険とともに〔このような〕現実化を放棄してしまった。今日はじめて、支配集団と被支配集団から、比較的短期間で相異なるものを広範に止揚することへと移行せねばならないだろうような経済的非同一性を撤廃することは、単に文化を断念しないということだけを意味しうるのではなく、逆に文化の救出を意味しうるかもしれない。非同一的に権力を分散させることが初期の時代において文化の前提条件の一部になっていたのに対し、今日こうした分散は、文化の脅威になってしまった。しかし、悪しき社会的諸関係が役に立つようなその〔文化の前提条件の〕諸力は、人類にとって必要である可能な変化をはねのけるために、今やあの諸理念を用いるのだ。この諸力は人類から、自身の現実化を頼りに真なる利害関心を持つような諸理念を奪い取る。そこから、世界観的な領域における、とりわけ現在ではどうしようもないこと〔Ratlosigkeit〕が生じる。今日、単に形式的な民主主義の制度や、その精神の中で教育された人間の表象の中で明らかになる正義の諸規定は、その〔正義の〕根源との明らかな連関を失ってしまった―さらにまた、この諸規定は今や詳細に、人類の発展を束縛する支配的な諸権力に対して、人類が市民階級それ自体を生産的な意味において理解していたような時代へと向けられている―。ただし、今日この変化が非同一的に決定的な歩みを意味しているかもしれないということは別として。しかし、権力者たち自身が数百年間、良き秩序の諸原理を敬虔なものとして告知してきたにもかかわらず、彼らは即座に、もはや諸原理の意味ある使用が自身の利害関心に奉仕することなく、それに逆らう場所でそうした諸原理を歪曲するか見殺しにするつもりでいる。彼らは、その担い手として市民革命の父が闘い、働いたようなあらゆる理想的なものを投げ捨て、教育から遠ざけるつもりでいるのである。事実、人間は、もはやいくつかの直観を保存する上で機械的に自身を用いるのではなく、より良い世界の発展に向けて弁証法的に自身を用いるために発展し、十分に絶望している。内的外的欲求に従った権力の欲求は、市民的道徳の中で未来に向けて指し示しているあらゆるものが、至るところで窒息するか、意図的に排除されることを必然的に伴っている。諸個人の幸福の上昇へと進んでいくあらゆる理念がその中で未だ禁じられているような諸国家の数は、ますます減少している。普遍性を血肉に変えるために市民世界が道徳を生み出した時代は、あまりにも短かったということが明らかになっている。世界的な道徳だけでなく、キリスト教そしてそれに先立つ文明的な権力によって、世代の経過の中で善と人間愛を頼りに魂に入り込んだものですら、数世紀の中でこうした諸力でさえ萎縮しうるような深みに僅かにしか根を下ろしていない。形成された世界の統治や国民、そして多くの代弁者による道徳的感情が、その感情がたしかに地震や鉱山事故によってその蓄積の中に表れるのだが、純粋な所有についての利害関心が故に、それゆえ「自然法則」の意味の中で、そしてあらゆる市民的価値の嘲弄の下で生じる著しい不正を前にして、その道徳的感情がかなり容易に狂わされ、忘れ去られるということはほとんどない。

㉝道徳への呼び声はこれまで以上に力を失っているが、その呼び声もまた、必要ではない。歴史における決定的な力としての「良心の呼び声」〔Ruf des Gewissens〕についての観念論的な信仰との違いの中で、こうした希望は唯物論的な思想にとって縁遠いものだ。しかし、この思想がそれ自身、より良い社会のための努力の一部であるから、この思想はまた、未来に向けて道徳を駆り立てる諸要素が今日有効であるようなところを十分に心得ている。こうした諸要素は、現在の社会の大部分にのしかかっている大きな圧力のもとで、今日の発展状態に相応しく、あまりに理性的な諸関係を、繰り返し意志として生産している。自身の立ち位置によって必然的にこうした変化を指示されている人類の一部は、真面目により良い社会を発展させることが問題であるような諸力をすでに包含している。そのために彼はまた、心理学的に準備している。というのも、生産プロセスにおける彼の役割は、自身を所有のどのみち見込みのない増大より、自身の労働力の使用へ自己を押し込んでいるからである。所有本能がその中で決定的でないような諸性格の登場は、こうした諸条件の下で容易にされている。事実、道徳の相続人は新たな階層のもとへと移っているが、多くのプロレタリアート自身は、自然法則の支配の下にある市民の趨勢を示しており、なおも後期市民的著作家の仕事を形成するのと同様に、ゾラやモーパッサン、トルストイによる道徳的善の真なる証明を形成している。ただ、いずれにせよ、あの人類の一部による認識によって導かれた共通の努力は、彼ら彼女らの解放のために、大変多くの純真な連帯や、私的な実存に対する無頓着さを包摂しているが、来たるべき人類の生命感〔Lebensgefühl〕がすでにこの努力の中で自己告発しているように見える財産と所有についての思考というのは、ほとんど包摂していないのである。存在する社会において勘違いされた同一性の意識が、普遍的なそれの中で、人間の実存における本当の非同一性を無視するという欠点それ自身を持ち、それによって非真理を閉じ込めてしまう一方で、変化を急き立てる諸力は、本当の非同一性を大いに強調する。自身の否定性〔Negativität〕を求める知は、同一性に妥当する概念の一部である。すなわち、今日の人間は、単に経済的能力と異なるだけでなく、精神的かつ道徳的な質に従った人間とも異なるのだ。バイエルンの農民は根本的にベルリンの工場労働者と区別される。しかし、この区別は過去の諸条件に基づいているという確信、とりわけ、その区別が今日社会の構造によって安定したような権力や幸福についての非同一性などもはや進歩した生産諸力に相応しくないという確信は、人間の内的可能性を前にした尊敬、そして人間から作られたものを前にした尊敬を生み出し、独立や親切心の感情、つまり政治にとって自由な社会の建設が問題であるとき、その政治が実証的に受け継がねばならない感情を生み出すのである。

㉞こうした政治への義務は存在しないし、共苦への義務も存在しない。これら義務は戒律と協定のもとに退けられるし、そうした義務はこうした状況の中で存続することはない。しかし唯物論は、共苦においても、未来に向けられた政治においても、市民的道徳と歴史的に結びついている生産諸力を認識している。明文化された戒律の形式だけでなく、義務や形而上学的な罪科の諸表象、とりわけ喜びや享楽を誹謗することもまた、唯物論によれば、それら〔=生産諸力〕に対して、今日の社会的ダイナミズムの中での抑制作用を果たしている。唯物論的理論は政治的諸行為に、これまで一度も、その行為は必然的に目標に達するに違いないという慰めを与えていない。この唯物論的理論は歴史の形而上学などではなく、唯物論的理論を改良するための実践的な努力との連関の中で発展するように世界を変化させている図像〔Bild〕であるのだ。こうした図像の中に含まれている諸傾向の認識は、歴史的推移に対する一義的な予言〔Voraussage〕を認めない。理論は「唯一」発展の速度について誤りうるが、その方向については誤り得ないと思っているまさにその諸傾向が仮に、恐ろしい「唯一」〔Nur〕を正しく保持しているとしても―というのも、それは幾世代の地獄の苦しみに関係しているからだが―、単に形式的に理解された時間は結局、反対に転化し内容の質に関わりうるだろう。すなわち、人間は、闘争があまりに長く継続したという理由だけで、発展の比較的初期の段階へと逆戻りしうるだろう。しかし、あのような秩序が訪れるに違いないという確信は、それが肯定され速められうる局限まで僅かな権利根拠でさえそれの代わりに放棄しようとしない。世界の中で何かが権利を獲得することは、その何かに思いを寄せる根拠などではない。権力を持つものは同時に善いはずであるという支配者についての太古の神話は、現実性と完全性の間にある統一についてのアリストテレスの教説によって、西洋哲学の中に移行した。プロテスタンティズムは、世界の歴史と保存用具の支配者としての神信仰の中でああいった神話を裏付けた。そして、現在のヨーロッパとアメリカにおいて人間的生全体はその神話によって支配されている。この成果を盲目的に崇拝することは、人間をなおも最も私的な生の表出の中で規定してしまう。唯物論者たちにとって、歴史的に偉大なものの手許存在〔Vorhandensein〕だけ、もしくはその偉大なものが持つ機会はどんな種類の推薦も形成しない。このことについて、その諸関係の中でこれら偉大なものが所与の時点で自己肯定された諸目標の側に立っているような〔支配者に関する太古の〕神話は疑問に思い、それぞれ具体的な状況に従って振る舞うのである。こうした行為は、共苦と政治という、道徳的感情が今日自身の表現を発見した両方の形式だけが、理性的な関係の中にめったにもたらされえない悪い星の下にある所与の社会的諸条件を拠り所にして存在している。近くの人間と遠方の人間を配慮し、個人や人類を助けることは、大抵の場合、自己矛盾している。最良の人々でさえ、自身の心の一箇所を硬化させるのだ。

㉟道徳は示されえず、個々の価値は純粋理論的な基礎づけに適していない、という洞察を唯物論は、哲学の観念論的な諸思潮でもって分割する。しかし、科学における諸原理を推論することも、それを具体的に用いることも完全に異なっている。主体が―少なくとも後期の代弁者に応じて―認識をそれ自身から生み出さねばならないように、価値の仮定もまた、主観的と見做されている。根拠もなくこうした価値の仮定は、自律的な精神つまり「合理的なもの」〔intellectus〕に基づいている。すでにニコラウス・クザーヌスは次のように説いている。「判断や比較の諸力なしにあらゆる評価は止まり、それとともに価値もまた、省略せねばならないだろう。ここから精神の愉悦さが結果として生じる。なんといってもあらゆる被造物は、精神なくして価値などないからである」[50]。仮にクザーヌスに従って自律的な主体が価値の本質を独立に生み出さないとしても、いかに多く、あらゆる事物にそこ〔=価値の本質〕から達するのかということを、自律的な主体は自由に決定するのである。この精神はこうした創造主的活動において神に似ねばならないし、いわば他の神であらねばならないのだ。クザーヌス以来、この教説は科学と哲学において決定的なものとなった。彼によれば諸事物の価値の相違は、具体的な価値の相違であることは全く無く、対象はそれ自体において価値中立的である。科学は、たしかに価値を仮定している人間の行為を記述することができるが、それ自身でその行為を決定することはできない。近代の方法論においてこうした根本原則は、没価値的なものの要求として定式化される。たいていはロマン主義的あって、少なくとも非民主主義的であるような諸傾向を示している客観的な価値理論を除いた、観念論哲学の主要な傾向に対するマックス・ウェーバーによる次の見解、つまり「我々は文化人に才能や意志を付与し、世界に対して立場を行使することを自覚しているし、世界に意味を付与することも自覚している。あらゆる問いかけは、今や「主観的」〔subjektiv〕にあのような価値の理念であることはない」[51]という見解は典型的である。それゆえ、この教説によれば、観念論的な哲学と科学においてあらゆる価値判断〔Werturteil〕は、禁じられたもの〔unerlaubt〕と見做されている。それどころか、この価値判断はここ数世紀において、物質を偉大な社会目標との連関において取り入れ、発展させるのではなく、「理論なき」〔theoriefreie〕諸事実を立証し、クラス分けする義務のために、ますます精神科学もしくは文化科学になってしまった。市民階級による初期の目標設定、とりわけ社会全体の偉大な幸福〔という目標設定〕を前者の〔=精神〕科学の問題に適用することは、必然的に増大する尺度の中で葛藤〔Konflikten〕に移行していくに違いないだろう。市民諸階層の根源的な産物の中であの歴史の時点は、なおも徹頭徹尾有力である。「学者たちの現行の分類を『専門的に分散させること』」と、ジョン・スチュアート・ミルは自身の著作の中でオーギュスト・コントについて書いている。「学者たちは非同一的な自身の出来事に、網羅的な見解に対する実際の嫌悪感を抱いており、自身の職業の狭い領域を超えた人間の利害関心を知ることもないし、見て取ることもない。そうした学者たちをコント氏は、我々の時代の強大かつ増大する災いの一つとして扱っているし、道徳的で合理的な再生はこの災いをそうした学者たちに見ている。こうしたコント氏の見解に対する闘争というのは、その闘争が社会の諸力を利用するかもしれないような主要目標の一つである」[52]。このようないくつかの声は、率直に現代の進歩主義的な学者たちの下でかなり稀なものになってしまった。学者たちは、自身の労働を、その声が増大していくという優位に対して防衛することが喜びになっているに違いない。そしてその優位は、疑わしくなりつつある諸目標の下に想定することによって、厳格さと誠実さを前にした尊敬もないままに科学を、到達した状態の背後に還元し、その都度支配的な権力の奴隷へと貶めうるだろう。あの学者たちは、自分たちが現在突入しつつある野蛮〔Barbarei〕を前にして真理に向かうための科学と意味を維持することを試みることで、文明のために諸国家が成すような職務を果たす。そして、その諸国家において、今日なおも真正な市民的道徳諸概念は、見た目だけの教育によって公共的な意識と見做されている[53]

㊱唯物論は、真理を前にした無条件の尊敬を必要条件として認識する。仮に、現実の科学の十分条件として認識しないとしても。社会的かつ個人的状況に由来する利害諸関心と同様に、その状況を科学の創始者がその都度認識するか否かということが、その〔科学の〕研究の決定に関わっているということを唯物論は心得ている。単に客体の選択によってだけでなく、注意深さと抽象化の趨勢においても、歴史学的な諸要因は、大なり小なりその創始者に作用している。その結果は、探求する人間と諸対象によって決定されている相互のものにその都度相応しいのである。しかし、観念論哲学と対照に、唯物論は、主観的側面に有効ないくつかの利害関心や目標設定を、こうした主観から独立した創造主のはたらきに還元することは決してなく、その主体の自由意志に還元する。むしろ、それら利害関心や目標設定それ自身は、主観的客観的な諸契機が参与している発展の諸成果と見做されている。経済における交換価値でさえ、自由な査定に基づいているのではなく、その利用価値が決定に参与している社会の生活プロセスから結果として生じている。自由な主体という非弁証法的な概念は、唯物論にとって縁遠いものだ。唯物論は自身に固有な条件性ですら自覚している。個人的なニュアンスは別として、この条件性は、上述した諸目標を現実化することに向けられているあの諸力との結合の中で追求されうる。唯物論的な科学はこうした諸目標をどこでも見逃すことがないということが理由で、この科学はうわべだけの中立性という性格を支持することはせず、意識的に際立たせられるのである。唯物論的な科学にとって、すでにこうした道に進んでしまっている理論的経験を更に進めるという独創性はそこまで問題ではない。

㊲うわべだけの中立性という性格が単なる個々の出来事の集積とは対照に、理論に対して決定的な意味を認めることによって、唯物論は現在の実証主義からは区別されるが、言うまでもなく、唯物論それ自体のように度々いくつか同一に認識される、具体的な研究からは区別されない。そうした認識の代理人の多くは、道徳と実践の、社会的な諸問題との付き合いに基づいた理論との関係を適切に把握した。「理論から実践が導き出されるのではなく、理論こそがこれまで、ある社会で、ある時代に実践された道徳の抽象的な投影のようなものだったのだ」[54]。理論というのは、特定の実践、特定の目標設定からできている諸認識の連関である。世界を単一の歴史の時点の下で観察する人に理論は、行為し認識する人間が服従する時間の中で言わずもがな変化している単一の図像を示す。実践は、誰しもが認識として使用する物質をすでに組織しているのであって、理論なき事実を立証するための研究など偽物である。事実、客観的所与性においてすでに主観的諸契機が有効であるということを、こうした研究は述べねばならない。生産的にまとめると、この研究は、記述というのは真である、としか言いようがない。あらゆる記述からその意味を受け取り、その意味が繰り返し奉仕せねばならないような、認識に合致した構造全体、すなわち理論はそれ自身が同時に、その理論を作り出す人間の努力の一部であるのだ。こうした努力は、私的な思いつきか、逆方向に熟達した諸権力の利益関係〔Belangen〕か、成長しつつある人類の欲求のいずれかに由来しうるのである。



[1] 「マニの手紙への反論」Ⅴ, 6.

[2] ディルタイ『全集2』1921.

[3] ニコライ・ハルトマン『倫理』1926.

[4] Ibid.

[5] Ibid.

[6] カント『道徳形而上学の基礎づけ』アカデミー版.

[7] Ibid.

[8] Ibid.

[9] ショーペンハウアー「道徳の根拠」『全集3』1912.

[10] カント『実践理性批判』アカデミー版.

[11] 良心についての心理学的な理論は、フロイトが例えばその理論を論文「自我とエス」(『全集8』1967)の中で展開したように、この解釈と徹頭徹尾一致されうる。〔彼の〕心理学は次のようなメカニズムについての情報を提供してくれる。つまり、それによって道徳にとっての意味が広がり、個人において根を下ろしているようなメカニズムである。しかし、こうしたメカニズムに向かう実存の根本は個々の魂〔心〕の中よりも深く横たわっている。

[12] 例えば『基礎づけ』参照.

[13] Ibid.

[14] デイヴィット・ヒューム「自殺についての論文」パウルゼン訳、『名誉哲学双書36巻』第三版.

[15] Cf. 〔カント〕『アカデミー版』第八巻.

[16] エルヴェシウス「精神論」『エルヴェシウス全集1』〔ホルクハイマー訳〕1780.

[17] カント「永遠平和のために」『アカデミー版8巻』

[18] Ibid.

[19] Ibid.

[20] Ibid.

[21] Cf. カント『純粋理性批判』A版.

[22] Ibid.

[23] カント『永遠平和のために』

[24] Ibid.

[25] 〔ショーペンハウアー〕「道徳の基礎」ibid.

[26] 「コリント人への第一の手紙」第十二章,第二十五節.

[27] Cf. カント『判断力批判』§10 u. 64、アカデミー版、第5巻.

[28] カント『基礎づけ』ibid.

[29] とりわけ〔ヘーゲル〕『法哲学要綱』§258を参照されたい。

[30] ニーチェ『全集11』.

[31] カント「形而上学への反省」『全集18巻』.

[32] アンリ・ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』1932.

[33] Ibid.

[34] Ibid.

[35] Ibid.

[36] Ibid.

[37] ニコライ・ハルトマン『倫理』ibid.

[38] Ibid.

[39] Ibid.

[40] Ibid.

[41] Ibid.

[42] スピノザ『エチカ』第三節,命題8.

[43] カント「法学の形而上学的始原諸根拠」『全集6』アカデミー版.

[44] Ibid.

[45] ジークムント・フロイト「性理論への三つの論文」『全集5』1961.

[46] ニーチェ, ibid.

[47] カント『純粋理性批判』B版S. 579の脚注参照。

[48] フリードリヒ・エンゲルス「『反デューリング論』へのまえがき」『マルクス-エンゲルス史料集』第2巻、1927.

[49] Charles Bouglé『平等主義思想』1925.

[50] ニコラウス・クザーヌス「ルード・グロビ」『ルネサンス哲学における個人と宇宙』1927.

[51] マックス・ウェーバー「社会科学的認識と社会政治的認識の「客観性」」『全集』1922.

[52] ジョン・スチュアート・ミル『全集9巻』1874.

[53] 例えば1932年12月3日にフランス社会哲学会議でEdmond Claparédeによって導入された討議を参照。

[54] Lévy-Bruhl『道徳とモラルの科学』1927.

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