M. Horkheimer「近代における演説の機能(仮題)」(1936)
編集者によるまえがき
ホルクハイマーは、この講演(そのドイツ語版がここに再掲されている)を、1936年10月中旬にアメリカの歴史家たちの前で「昼食」講演として行った。彼はこの講演について、1936年10月27日付けの精神分析家カール・ランダウアーへの手紙の中で言及しており、その中でフロイトの死の欲動の概念について議論している。すなわち「死を心理的に乗り越えようとする試みの中には、あなたが言及した残された者の苦しみの観念に加えて、自分の名前が死後も生き続けるだろうという考えから生じる満足感も確かに含まれています。この点については、約10日前に歴史家クラブで行った近代における演説の機能に関する講演のさいに、この問題に関連する非常に原始的な思考習慣に起因する名前の重要性に気づくことになりました」と。
講演のテーマは、ほんの少し前に書かれた論文「エゴイズムと自由解放運動」と密接に関連している。そこで指導者の演説機能は、近代的な人間像の中で自己中心性が矛盾する基本的特徴として現れる、初期市民階級の大衆運動のより広範な研究の枠組みの中で論じられている。この演説の側面について、ホルクハイマーは講演の中でさらに詳しく説明する。まず歴史的に古代と近代初期における演説の機能を対比させる。次に彼はこの対立を一般化し、演説の議論的および内面的な機能という構造的な対立へと鋭く突き詰める。
本文(S. 24-38)
①ドイツのアカデミアでの生活において、お食事に際して講演するという慣習はここ〔アメリカ〕と同じようには普及していません。そのため、皆様の友好的なお誘いによる学問的な昼食講演の機会を初めて得たことをここに白状いたします。まず私は適当なテーマに対して僅かばかり困惑しています。ご存知のように私は哲学者であり、とりわけ皆様がリラックスして聞いてくださるのだとしたら、哲学者たる私はすでに重苦しい気分であります。また、加えてうわべだけの礼儀作法にこだわらないのならば、聞き手の皆様からしたらあくびが出るような気分になってしまいます。昼食の席では何が起こるべきだったのでしょうか!しかし、つまるところ、こうした慣習が尊い伝統に起因しているのだと考えております。ギリシア的な饗宴の利点が、机にへばりついて見るのではなくその側にいる〔だけ〕という点、つまり有機体の力というものをあっさり片付けてしまうという点にあるのならば、それに対しては古典時代の食事よりも気軽なアメリカ式の昼食の方が本質的には健康に良かったのであります。プラトンが伝えているシンポジウムのもとでワインは全て飲まれてしまったわけですが、そこで問題になった哲学は、周知のごとく、話者と聞き手には何ら高度なものを要求しませんでした。今やこのご招待を通じて私が積極的に演説機能について熟考することで、次のような考えが生じました。すなわち、この演説機能それ自体を報告の主題にしてしまおう、と。私がここでこうしたテーマにあずかることができてしまったという反省よりも、その提案を本質的に分かってもらいたいですが、その提案が完成した理論であるという理解の仕方はしてほしくないと思っています。
②第一に古代の哲学的文献は、二つの異なった演説機能を心得ています。一つは、真理を調査するさいに役立つような演説機能です。もう一つは、演説者が意志する一定の目標に耳を傾けるような演説機能、つまり目標に対して実践的に影響を及ぼすような演説機能であります。皆様は、ソフィストたちのレトリックが客観的真理一般を認めなかったことはご存知でしょう。彼らによれば、巧みな論証によってもっともらしく現れるもの、まさにそれこそが真理であるべきなのです。それは真理の演説に依存するのではなく、演説の真理に依存しています。演説についてのこうしたソフィストの概念に対し、プラトンは『ゴルギアス』の中で、さらにその詳細は『パイドロス』の中で、真理と善へと向けられた演説の可能性を条件づけましたし、アリストテレスは『政治学』の中で、ロゴスは「有益なものと有害なもの、実際また正義と不正義を告げ知らせる」[1]ために存在しているのだ、と説明しています。破壊的目標に奉仕する雄弁さに烙印を押すことに何ら苦労しなかったキケロは、ギリシアの先任者を超えることはありませんでした。一方で、真理の独占的奉仕における演説があり、他方で、目的が善か悪かはどうでもよい説得のための単なる道具としての演説がありますが、これらの違いは、演説機能をめぐる古代の議論を支配しています。演説の実践的使用、すなわち政治的ないし私的生活における演説に、とりわけ法廷(アリストテレスは、最終的に演説者の能力だけを示そうとする助言的で合法的であり名人気質な演説について述べています)を手掛かりに影響を及ぼすことは、プラトンによって宣伝されたタイプかソフィストによって宣伝されたタイプのどちらかに属しています。ソフィストによる演説の最も純粋な形式においてロゴスというのは、任意の個人的かつエゴイスティックな努力の単純な道具として役立ちます。そして、演説のプラトン的理念を最も純粋に打ち出すものは、哲学的弁証法です。これは、演説と応答、テーゼとアンチテーゼの中で具体化される認識と言えます。
③さて、我々がレトリックをめぐる古代の文献についてのこうした説明に基づいて、直近の歴史における演説を考察するのだとしたら、我々のもとに明確な像が現れてくるように思われます。近代においても演説というのは、様々な歴史学的な好機のもとで役割を果たしています。意義深い演説や演説者によってでは明らかにされないような政治的な出来事(この問題は立法上の手続きないし公使館、諸国家の創始ないし滅亡、もしくは戦争ないし革命に関わっています)など存在しません。とりわけテュキディデスやリウィウスによってなされたように、行為せし諸個人それ自体を語らせること、換言すれば、実際に彼らを管理し、状況に応じて歴史家によって発見されてきたような演説を文字通り引き合いに出すこと、この中に歴史記述の方法論がもはや存していないとしても、それでもそうした歴史記述が全くもって馬鹿げたものとして現れてくることはありません。というのも、演説というのは常に意義深い歴史学的な諸要因を形成してきたからであります。そして、わかりきったことですが、以下に上げる三つの演説〔機能〕はそれぞれ区別されえます。一つ目は、演説は諸個人と小規模名集団の個人的な権力追求、もしくは逆に社会全体の福祉、つまり普遍的善にますます奉仕すること、二つ目は、〔演説の問題は〕私的な利害関心に奉仕する中にある単純な巧みさもしくは真理と正義に関わるということ、そして三つ目は、演説はプラトン的なタイプもしくはソフィスト的なタイプのどちらかにますます属すようになること、であります。例えばイギリスやフランスの啓蒙についての歴史理論が狭い意味でこうした問題に関係していることはご存知でしょう。すでにトマス・ホッブズは、主として歴史が彼の時代まで聖者の排他的社会階級の狡知や欺瞞に導かれてきたと確信していました。だからこそホッブズは、演説や活字における彼らの手際の良さがこれからは専制君主制の良きもののために使われることしか問題として考えていないのです。彼にとって、支配の道具としての演説は、一般に歴史上の出来事を理解するための手掛かりを作り出します。ヴォルテールと彼の同志たちは同じように次のことを信じていました。すなわち、本質的に特権集団の虚偽は、今日まで繰り返された歴史を支配しているのだ、と。〔ヴォルテールによれば〕今や真理そして理性はこうした虚偽に告発されねばならず、全ては好転するというのです。ロゴスというのは、啓蒙〔の時代〕から見れば、極めて優れた歴史の力であります。全体の歴史は、中世には神と悪魔の格闘として現れたように、啓蒙〔の時代〕には真理と虚偽の格闘として現れます。
④ですが、皆様のうち何人かは彼らの歴史的業績の中で次のようなことに気がついていましょう。演説のこうした合理的判断(私はこのように言いたいのです)は、歴史プロセスにおいては不十分であるということ、近代史が問題であるときは特に不十分であるということです。例えば13世紀から16世紀に変わるように、新しく歴史の時代が誕生するちょうどそのとき、話された言葉というのは重要な産婆であったということに疑念はありません。(12世紀の終わりに向かって)演説の中でも権力があったArnoldやBrescinといった時代以降、大小を問わず無数の精神的な演説者が登場してきました。硬直した協会形式とは対照的に、彼らは発展しつつある市民階級の諸欲求を、母国語や通俗的な表現の中でキリスト教の理念を語ることで、満足させてきました。ますます高まる商談や産業の意義に基づいて市民の知的欲求も発展してきましたし、それら欲求は、高次の精神的なものや封建貴族との物質的そして精神的な対立に入り込んでしまったのでした。とりわけこのことは、根本的にフランス南部の諸都市とイタリア上部の若干の都市に当てはまっていました。諸宗派や説教を行う托鉢修道士たちは、一部では教会との争いの中に横たわっている固有の宗教的諸傾向を形成し、一部ではカトリックに新たな市民的要素を混入させ、〔カトリックと市民の〕諸力両方を宥和させたのです。前者のタイプは、例としてアルビ派とヴァルド派と呼ばれ、後者のタイプは、フランシスコ派とドミニコ派と呼ばれました。つまり、言うまでもなくカトリック教会は、イタリアおよびフランス政治に対する極めて重大な意義に基づいて、これらの国の中で新たな諸欲求に適応することを成し遂げたのです。カトリック教会は、一方でドミニコ会を自身のために利用し、他方で説教一般は整備されねばならないのだと明文化された第四回ラテラノ会議で認可されたのでした。しかし、結局は昔のカトリック世界の他の部分でプロテスタントというキリスト教の形式、それゆえその文化事業の中心を言葉におく、まさにあの形式が根を下ろしました。神的な言葉への後退に加えて、神への奉仕の核としての母国語における説教というのは、宗教改革の二つの異なる成果であります。
⑤さて、我々が近代にとって意義深いあの演説者、つまり托鉢修道士や宗教改革者の説教を古典的に評価することでもって方向転換するとき、すぐさま目につくのは、そうした振る舞いの不当さであります。最も狭い意味で都市にいる市民階級の発展と結びつけられた、こうした近代の演説において、こうした振る舞いは、次のようなとある性質を問題にしています。すなわち、古代にも演説一般が現存していたという意味であっても、演説それ自体の決定的な意義を持っているわけではない、という性質です。〔ここで〕私は、聞き手それ自身を自らの内面生活と性格の中で変化させてしまうような演説機能を考えています。聞き手は単純にある事象に納得させられるわけではありません。聞き手は「反省」しようとし、修正されねばならず、他者を生み出し、新たな人間を生み出そうとするのです。快感と享楽に適合する代わりに、説教は人間を次の状態に移し替えていきます。つまり、人間の良心を純粋なままにし、欠点のない生を送り、いつ何時でも自身の義務を遂行する状態であります。人間は他人の失敗をそこまで自分の失敗としてみようとしませんし、自己自身に満足しようとはせず、いつでも自身の人格を広く浄化し、自己の自然な欲動と要求を克服することに関わっています。我々はこうした演説機能を、演説の「内向的性質〔introverting quality〕」と呼び、ドイツでは演説の「内面化機能〔verinnerlichende Funktion〕」もしくは名詞的に表現するのならば、演説機能によって生じる「内面化〔introversion〕」、つまり精神的深化〔内面化/Verinnerlichung〕と呼んでいます。
⑥差し当たってこうした演説機能は、真理や誤謬の問題とは何の関係もありません。今や演説者によって導かれた宗教的事情やその他の事情が真なのかそうでないのかという事態、例えば話者が地獄を思い描くような方法が古代の論理学の諸原理と一致するのか否かという事態、これら事態はどうでもいいことなのですが、目標というあの心的な変更にとってこうした事態は、そこまで問題になるわけではありません。演説者は理性を頼る気などまったくなく、演説者の合理的論証は演説のうわべしか形成せず、彼はむしろプシュケーや無意識、欲動に頼っているのです。古代の演説者でさえ、彼らの聞き手の持つ情動に働きかけるどころか、演説者の中でもとりわけ優れた人でさえ聞き手のもとへと「歩み寄って〔spielen auf〕」いました。キケロは折に触れて自身で次のことを笑っていました。すなわちキケロは、同胞に対し、図々しく誇張した言動によって、カタリナのような謀略を前にした不安と驚き〔Schrecken〕を吹き込んだことについて笑っていたのでした。しかし、主としてそこで情動というのは、一定の決議を導き出し、一義的な輪郭を持った行為を呼び起こすべく、単にヘーゲルを作り出さねばなりませんでした。人間は自分の願いを精神化し、その願いに従って外側から引き返さねばなりません。人間は自身の本質のうちで変化しようとはしません。こうした〔事態を引き起こした〕いくつもの端緒が近代とって普遍的性格であったように、社会的ないくつかの星座的布置〔Konstellationen〕も、それら端緒が古代において発見されたような場所にあるのです。
⑦演説が近代における自身の内面化機能を通じて実現してきた、二つの巨大な課題が重要になります。両者は自己を貫徹しますが、具体的事例の中で互いから引き離されることはありません。一つ目について、演説はそこでは僅かなものであります。演説は、中産階級それ自体の構成員への教育的作用の中にあります。こうした社会集団の構成員は、他の特性を形成しなければなりませんでしたし、中世に特徴的な人間類型としての他の美徳へと教育されねばなりませんでした。主としてこうした他の特性は、あらかじめ描かれた生活領域の中で忠実にあらゆる命令を実行し、その成果を慣習的な方法で片付け、教会もしくは他の主人に対し、彼らが要求したものを差し出してきたことで、その社会的な責務を満足させてきました。確固たる尺度に至るまでこの特性は、自身が委ねられてきたところで、いわばその尺度に要求されている課題を遂行した子どものように自己抑制ができません。それに対し、近代における人間は、いつ何時でも自分自身に対して責任を負っています。近代経済は、誰しもが自己を配慮することに基づいています。初期マニュファクチュアの商人や主人は単純にその日暮らしをする必要はありませんでしたし、単にもうけを繰り返し支払う必要もありませんでした。そうではなく、彼らは自身の商売を拡大するためにもうけを返さねばならなかったのです。彼らは企業に従事するために自分自身を抑制しなければなりませんでした。欲動の抑圧、収益の独占的な調整、生活態度や固有の家族、家族〔形態〕それ自体の無傷ではいられないコントロール、しかし他方で慎ましくあること、これら特性は、この時代では一流の人間類型を形成せねばならなかったものであります。こうした必然性は、時代の教会的生や文化的生を広く支配し、また、教会的であるどころか公共的でもある演説一般には、そうした演説に固有の冷酷で禁欲的な性格を与えています。と同時に、より高い次元で意義深く文化的な課題を達成してきました。人間に固有である欲動の願望を後退させ、職業や就労生活といった労働の中に充足感を見出す人間の能力は、この時代を支配する科学、技術、工業のとてつもない発展のための前提条件であります。こうしたプロセスにおける演説の道徳的機能は、過大評価などではありえません。
⑧しかし、財産を持つ階層の構成員への影響力は、内面化の社会的意義の一側面しか形成しません。近代のはじめにかけて、財産のない膨大な数の大衆をその時代の社会へと適合させるという問題が生じました。こうした大衆の一部は、不満を抱き貧困化し絶望している農家、つまり社会変革の結果として彼らの生をもはや続けていくことができないような農家から構成され、〔他の〕大衆の一部は、諸国家のいや増す財産なき階層から構成されています。こうした強大な大衆を統率することは、14世紀以来、広く歴史を支配してきた問題であります。そのさい、大衆に対する市民階層の関係は不安定です。一方で人間の貧困というのは、商人や工場長自身でさえその廃棄に関心をいだいていた封建制の秩序の時代遅れさや無能力さに対する明確な表現でありましたし、他方で新たな経済秩序には、こうした大衆を実際に満足させることができませんでした。貧乏人が学ばねばならなかったのは、自分の願いを後退させ、工業秩序と新たな生の要求一般に従うこと、要するに、決して容易ではない生活諸条件にほとんどありうる形で適合することであります。そのため、我々は市民階層を、一度は封建秩序と特権、つまり貴族階級と教会に対して常に新たに突撃する、農村にいる反動的大衆や都市部にいる大衆との結びつきから発見し、今度は大衆の出過ぎた振る舞いをたしなめ、もうそこまで長くパラダイスに住めないということを大衆に教えてくれる、厳格な主人とマイスターと同等な大衆との軋轢の中から発見します。ドイツ宗教改革、イギリスおよびフランス宗教改革という近代史の極致で、これら運動の個々の段階における矛盾を内包した関係は、より明瞭な形で現れてきます。しかしまた、フリードリヒの時代になると、この両側面が区別されうることになります。これら側面は、政治・立法・教育、つまり文化的生活全体で示されえます。
⑨こうした、一部は〔人々を〕焚き付け熱狂させ、一部は禁欲的であるような影響が最も典型的に描かれている状況というのは、大衆集会における指導者の演説であります。人間は、こうした〔指導者の〕演説を通じて、人々に固有の人格の代わりに、人格の「否定性〔Nichtigkeit〕」によって貫徹されることの内に移し替えられようとしています。個人は自身の直接的な〔利害〕関心と諸目標を高次の諸目標の背後へと後退させ、後者〔=高次の諸目標〕は指導者〔の演説〕に代表されるどころか、同時に指導者〔の演説〕の中で具体化してしまいます。内面化は、間接的に指導者への愛に優先して行われます。指導者は、決定的な社会集団と大衆の間を取り仕切る仲介者です。大衆と社会集団との関係が不安定であり、この集団は〔一方で〕大衆のあらゆる欲求を満たすことができるものの、他方でこれら欲求を必要としているため、全ての人間は、大衆が盲目的に指導者に服従し、従順な子どもと尊敬される父親のように指導者との関係をもとうとするのです。しかし、演説というのは、こうした関係を生産・強化・刷新するための重要な手段であります。それゆえ、近代の指導者は、その大部分で大衆の演説者なのです。
⑩さて、ここで同時に我々は、合理的信念へと本質的に向けられた演説と内面化へと本質的に向けられた演説との重要な相違を発見するのです。認識・明晰さ・現実の信念が問題となるようなところでは、聞き手の小規模なサークルは巨大なサークルよりも優先されねばなりません。苦楽をともにする出席者が少なければ少ないほど、厄介なテーマを扱う大学の授業は生産的なものとなるのが常であります。また、議会でも重要な問題に対して小さな委員会を作り出すのが常であります。それに対し、いわば聞き手が演説者によって押しつぶされること、つまり聞き手が自分の持っている人格と〔利害〕関心を抑制し、演説者と彼に主張される目的への没入の中に演説者の完全な充足感を発見すること、そうした機能としての悟性〔Verstand〕が目指されているような場所で、大衆の存在は優先されねばならないのです。外的なものの系列全体、空間の厳粛な雰囲気、一日の時間、演説前後の響き、話者の厳粛な振る舞い、これらは重要な役割を果たしています。それゆえ演説もまた、醒めた詳述、つまり現実の関係の分析としての演説者というよりかはむしろ、精神物理学的な影響、加工、治癒力のある治療としての演説者によって理解されるのです。すでにこのことは、会議の頻度やその会議の出席者に必須の性格から判明しています。人間はそこへ向かって命令されるどころか、ときおりそこに取り押さえられてもいます。事前の弁解なしで説教をしそこなうような者は、金、首枷もしくは牢獄とともに処罰されます。話者の人格は、純粋論証的な演説のもとで背景に退くのではありません。この人格は明確に証明されるのであり、話者が自発的に話す地位(これはすでに出席している多くの人々を当然必要としています)は高められねばなりませんし、その地位とちょうど同じように話者の少なからぬ言葉もまた、不可侵で魔法の特性を受け入れることになります。それどころか、自分に固有の願い、事情によっては自己の生を犠牲にしようとする人間はこうしたシンボルを頼るのであり、そのシンボルによって人間は自分自身とそのちっぽけさを超えていき、永遠性の保証人を作り出すのです。
⑪ここではこうした心理学的なメカニズムを詳細に分解することはできません。ですが、望むらくは、私が念頭に置いてきた演説の固有性の概略をうまく示せればいいと思っています。最も狭い意味で全体的な問いは、近代史における指導者の問題に結びつけられています。近代のはじめ、指導者による演説の舞台が、基本的に教会とその内実と同じく政治的というより宗教的であったとき、17世紀および18世紀の政治的な大衆集会はいつでも、大衆に対して指導者の影響を強く及ぼす劇場でありました。ここで私は〔皆様に〕歴史的現象をおよそ現実に基づいて一面的に判断しないよう警告したく思います。たしかに我々にしてみれば、暗示的な諸作用と単純に見積もられる修辞学上の催し物など、ヨーロッパの少なからぬ権威主義的諸国家において、今日もはや相応しいとは言えない振る舞いであるような外観を呈しています。〔しかし〕現在を構成するこうした外観は、近代ヨーロッパの始まりなどではなく、むしろその終焉であるのです。これら外観は後になって反復されます。かつて、一般に大衆集会や大衆の影響は、人類の発展にとって最高度に意義深く進歩的な役割を果たしていました。すでに与えられた秩序に大衆を適合させること、市民階層の目的のために大衆を動員すること、つまり近代的な社会的生の強固な養成所は、大衆の諸要素を第一に自覚ある〔selbstbewußt〕個人にしてしまいました。あの宗教的で政治的な指導者の仕事、そして大衆構造への指導者による雄弁な影響力、これらなしに新たな歴史など全く考えられません。アーノルドやサヴォナローラなどは、どちらか一方が強力な演説者を呼ぶことさえしない、単純に統一され突出した名であります。ですが、こうした指導者は彼の下級指揮官やさらにその下級指揮官、つまり演説者の幹部全員を持っていますし、彼らは演説を、精神的深化や大衆の人格を投入することへの愛と最高位の指導者によるそれらへの感嘆の念を超えて、大衆を一定の社会的目的を目指して教育するための道具として使用したのです。
⑫演説における言語というのは、忠実な方法で社会状況を反映しています。大衆は古い文化的諸形式への闘争に役立つということが理由で、新たな演説を通じて発される自由を求める叫び声〔Ruf〕は至るところで姿を消しています。栄光と自由は偉大なモチーフを形成します。指導者自身はひっくり返されるかもしれない諸権威に対する叛逆者として現れます。しかし他方で、〔すでに〕決められた諸個人の権威がひっくり返されようとしているだけで、完全に自立し独立した精神は決して大衆の中から現れようとはしません。そのため、例えばサヴォナローラは、時代の教皇を猛烈な仕方で非難攻撃しましたが、自分でかつての教皇たちを引き合いに出しました。〔つまり〕彼は時代の教会を拒絶したものの、純正で真なる教会を引き合いに出しているのです。すでに近代タイプの多くの特性を持っていたコラといった古代の政治的指導者は、時代のローマ的諸関係を変化させようとし、そのために古代ローマ人の栄光を刷新しようとしました。宗教改革それ自体はカトリック教会に対して根源的で純正なキリスト教を論拠として持ち出しました。演説の中で指導者は、一方で太古の神聖な力と権力〔Mächte und Gewalten〕の救済者として、他方ではその実行者として説明されています。指導者の下級指揮官や彼の支持者が指導者に服従するように、いつでも指導者は、自分が服従している聞き手の使者として扱われています。それゆえ、鼓舞し熱狂させるような語調によって、演説は容易に戒め的であるどころか叱責し軽蔑的であるようなものに移っていくのです。人間に敵対的である何かしらというのは、比較的新たな多くの指導者たちにくっついています。演説者がその聞き手を悪魔であると呼びかけるか、突然叫びだすような宗教改革の時代に由来する演説が存在します。「ペスト、戦争、飢餓があなたたちに降りかかりますように」といったように。ルターは「密かに、市民も農民も、男も女も、子どもも家来も、領主も役人も臣下も皆、悪魔のものである」という箴言を残しました。しかし、現在の少なからぬ新たな指導者たちの中で再発見されている、こうした大衆への嘲りは、大衆からの評判を少しも落とすことはありません。群衆〔Menge〕は、自分が罵られた演説のもとで、指導者によって侮蔑されるどころか総じて完全に否定されている、どこか遠く離れた地に人々や集団が存在しているという感覚だけを持っています。宗教改革におけるカトリック教徒たち、フランス宗教改革における貴族階級がこの役割を果たしています。群衆は指導者からわりあい愛されていると感じ、いわば自身の欲動放棄の埋め合わせをしてもらっていると感じています。というのも、少なくとも指導者は彼らに向かって発言していますが、あの遠く離れた場所にいる人々や集団への非難に〔も〕関心を持っているからであります。
⑬私はすでに個々の言葉の象徴的な意義については述べています。そのさい、大衆による演説が判断形成よりも非合理的な影響力を目標とする限り、近代における大衆による演説の広範な特色を指摘したく思っていました。このことは、個々の言葉もしくは個々の命題をステレオタイプの中で繰り返すことであります。すでにサヴォナローラは一度、次のように述べています。すなわち、説教者は言葉〔から〕の不思議な贈り物を必要とはしていないものの、度重なる言葉の反復は必要としているのだ、と[2]。ひと目で、この反復が何らかの実情は忘却されることはないという目的を持っているように見ることはできました。しかし、このことはうわべだけの洞察でありました。このことは、すでに次のような状態の結果として生じているのです。すなわち、こうした実情を指摘することが問題であるという状態ではなく、いわば儀式的に常にその実情を表す記号と言葉が使用されているという状態であります。内容ではなく形式が本質的なものであるのです。言葉と記号は、いわば自律的本質になるのであり、それらは固有の力を伴うものとして振る舞っているように見えます。言葉に対するこうした態度は、人類史の初期の段階へと退いていきます。人間学と民俗学から我々は次のことを学ぶことができます。つまり、原始的な一族の多くは、人間の名が統一された存在を導くどころか、人間を導く名の魂〔=心〕であると信じているということです。例えば名は現世に埋め込まれ、削除されるか抹消されるかのいずれかであり、同時に、名の担い手に恐ろしいなにかが付与されねばならないと信じられています。そこで名は、人間の武器もしくは図像に似た意義を持っています。名もしくは特定の言葉一般の表現〔Aussprechen〕というのは、特定の時代には効力があり、それ以外の時代にとっては命取りである意義を持ちます。ユダヤ教における神の名を表現することの禁止を考えてみてください。近代の意識の中にすら、我々はなおもこの〔禁止をめぐる〕関係性の残滓を発見することができます。つまり、「悪魔は壁に描かれるべきではない」というドイツのことわざは、悪魔の名を名指すことは悪魔それ自体を引き寄せることになるということ、より広い意味で言えば、不幸が名を頼りに命名されたときに、その不幸な目にあうという意味を述べています。他方、近代の人間が感じている安心感は、彼らの死後も「その名が引き続き生きている」ときに、こうした古代の心的な諸反応と結びつきます。しかし、加えて意識的な生の中でなおもこうした態度様式の断片が残り続けるのならば、我々は近代の心理学から次のことを知ることとなります。すなわち、無意識的にそうした太古の人間的出来事の諸傾向は引き続き生きるということ、あるいはむしろ、近代の人間における無意識的な魂の生についての論理学は、原始的なものの思考や知覚と程よく近い状態にあるということであります。そして、聞き手の制圧が問題である大衆の演説者はこうした無意識的なもの、つまり群衆の最も奥深くに隠された本能に向けられることとなります。彼は、特定の名と命題を名指すことで熱狂の「神聖な予見人」しかしあるいは憎しみのうねりが、言葉への攻撃精神や罪悪感のもとで、それどころか言葉に従って罪の自覚もしくは狂喜を踏みつけにするよう手配します。大衆の演説者は、どの危険に対しても名を与えるべく、群衆がキリスト十字架像あるいは聖人像をそうするように、悪魔に差し出す言葉を群衆に提供します。他方で彼は、およそ悪しきものと邪悪な存在によって水に解けないくらい概念と結びつけられた言葉を創り出します。その結果、今後そうした言葉とともに叫ばれるまさにその概念は、消し難い汚名の烙印を押されるのと同時に、概念は常日頃から人間のために存在しているという烙印を押されてしまうのです。新たな演説技術の善き断片は反復を正しく扱うことに基づいているのであり、そこでこうした演説技術の深くにある共通性は宣伝ないしプロパガンダ一般とともに示されます。過去四世紀、それに基づいて政治的にも商業的にも宣伝しているような心理学的なメカニズムを暴露することは、ここではあまりに広く指導的地位を占めています。ですが、いずれにせよ私は、ここで皆様に対し、信念を当て込んだ演説と内面化を当て込んだ演説の間にある決定的な違いをしてきたのだと信じています。(演説者が示そうとした判断が真か偽かなど全くどうでもよく)判断の形成に焦点を当ててきた演説において、繰り返し演説それ自体の言葉を使用し、同様の命題を反復することは、極めて問題のあることなのかもしれません。演説者はステレオタイプを非難することに用心する必要があり、次のことを考慮せねばなりません。すなわち、講演の生々しさを型にはまったフレーズによって侵害することなく、あまりに何度も(少なくとも同様の言葉でもって)同じことを述べないように考慮せねばならないのです。近代における大衆の演説のもとではこれとは全く反対のことが起きてしまっています。
⑭事実、近代の偉大な演説者や指導者でさえ個々のこうした実情をいつでも意識していなかったのですが、多くの人々はそれら実情を手掛かりに、彼らの下でそれら〔実情の〕原則的なものを把握していました。そのため、13世紀の過渡期から14世紀にかけて、あるドイツの偉大な説教者は、内面化の事態を明確に「すなわち、すべての信仰的な修練は、祈りや読書、歌唱、目を覚ますこと、断食、悔い改めの行いなどを含むもので、人がそれらを通じて、または外的な神に反するものから遠ざけられるよう考案された」[3]と定式化したのでした。政治的な演説者たちは、言うまでもなくそれと同じようにある種の永遠性を主張するような国民や人種としての神や永遠性を顧慮して、個人の諸要求の断念を必要とすることもありません。彼らはその前提条件や意義、技術を異常なほどはっきりと認識していたのです。現在の指導者のもとでは次のように言われています。すなわち「誤った概念や知識は教えによって解消されることができるが、感情の抵抗は決して解消できない。ただこれらの神秘的な力への呼びかけ(彼はそれを本能や無意識に関連づけています)だけがここで効果を発揮するのである。そして、それができるのはほとんど書き手ではなく、ほとんど唯一、演説者だけである」[4]と。〔彼によって〕演説の最高のタイミングが考察されましたが、〔それによれば〕夕方〔の演説〕が望まれる世論にとって最も相応しいといいます。というのも、昼の間だと「まだ人間の意志の平凡な諸力が、外的な意志と意見を強制する試みに対する最高のエネルギーの中で抵抗してくる」[5]ように見えるからだそうです。このようにはっきりと明文化されているのです。演説者にとって問題なのは、認識と理性どころか一般に知的な注意深さであり、彼が可能な限り明確に聞き手を欲するのに対し、大衆の演説者は次のように明文化して述べています。つまり、演説者が大衆に訴えかけるとき、大衆の「精神的意欲と意志の平凡な意欲は衰えて」[6]いるのです。私は、ここ数世紀の演説者や指導者のこうした証明を集めることができます。皆様がご自身でこうした資料を調べるときが来るのなら、そのとき皆様は〔資料によって〕確証されたものの多さを発見することになるでしょう。
⑮さて、終わりに私は今一度、歴史家である皆様のもとで確実に内面的にはすでに効力が現れ、折に触れてほのめかしてきた異議へと立ち戻りたく思います。〔すなわち〕演説というのは、古代においてでさえ演説がそこで持っていた固有性に取り憑かれていたのかどうかという問いであります。〔それに対して〕私は、そこには歴史理論にまつわる多くの問題と同じような状況にあるのだと答えることにします。一定の時代の中でとりわけ強く歩み出てくるような任意の現象は、歴史学的な出来事の要素よりもすでに早い段階で立証されえます。ですが、その〔両者の〕ウェイトは異なります。確かに私が強調したものと真に一致する諸傾向を引き受ける古代の演説の多くが判明します。それどころか、古代ローマは近代を支配したもの、つまり貴族階級と無産階級の間にあるようなものと同じような社会的な諸矛盾を認識していました。しかし、そこには大きな違いがあります。ローマ帝国において重労働を行うまさにその階層は、奴隷でありました。彼らは14世紀および15世紀ないしその後の世紀に存在した大衆のように、自身の特徴を刷新することによって社会プロセスへと埋め込まれる必要がありませんでした。彼らは自由ではありません。むしろ彼らは物理的な暴力手段に強制されています。彼らの意見、彼らのもつ意志はほんの僅かな役割しか果たしていませんでした。ですが、大衆の面前で行われる演説は、いくつもの自由の間で生じるものの主人と奴隷の間では生じないような社会的機能であります。(十字架は、拷問手段としての現実的機能の中でなされる奴隷支配のもとで姿を現すのであり、活動の象徴としての現実的機能などではありません)。メネニウス・アグリッパの演説は大衆演説であります。しかしこの演説は、無産市民に向けたものであって、奴隷に向けたものではありません。おまけに彼の演説は、似たような状況から一様に生じる類似性、つまり近代的な演説と似通っているにもかかわらず、非情に理にかなった色合いを呈していますし、内面化に苦しむことはほとんどありません。メネニウスが試みたのは、無産階級による貴族階級への叛乱を妨げることであります。ですが、群衆と有機体の残りの部分についての彼の比喩は、適合することが彼ら〔=群衆や有機体の一部〕にとって賢明で有用であるということに対し、彼らが否定されねばならないことを理解させようとはしません。
⑯もう一つあります。すなわち、近代に典型的な演説が古代のそれと区別されるやいなや、我々は現在においてもこうした差異が常になおも維持されていることを発見いたします。また、今日統一された演説はますます理性に訴えかけてくるようになり、他方でますます精神的深化を目指してもいます。それどころか、どの個々の演説もこの両方の要求を支え、相異なる関係の中でのみ〔それを〕支えきるのです。我々がヨーロッパの権威主義的諸国家の中で支配装置としての神秘と暗示の装置全体とともに指導者の演説をぼんやりと眺めているのだとしたら、民主主義的諸国家にいる演説者は、ますます聞き手の悟性と〔利害〕関心に頼らざるをえなくなります。彼は聞き手に対して自己に決定的判断を下すものを付与し、密かに個々の論証を熟考し自主的に決定を下すための時間を与えます。聞き手は説得されてはなりません。そうではなく、聞き手は教訓を得て啓蒙されねばならないのです。そのために必要なのは、自らを思案し吟味することです。私自身の説明を顧慮して、皆様にはこれを行ってもらえるよう、願っております。
[1] アリストテレス『政治学』.
[2] シュニッツァー『サヴォナローラ』.
[3] マイスター・エックハルト『論文・説教集』.
[4] アドルフ・ヒトラー『我が闘争』.
[5] 同上.
[6] 同上.