書物巡礼
『ゴッホ 最後の3年』
私が彼の作品を知ったのは高校の美術の教科書に載っていた「星月夜」だったと思う。
ごうごうと音が聞こえてきそうな力強いタッチとは裏腹に、その画から滲み出ているのは静寂と孤独だった。
月が明るく街を照らしているけど、描き手の彼にはこの街のどこにも居場所はないような、そんな、どこにも馴染めない、他人行儀な雰囲気も感じる。
この、希望と絶望どちらを描いているのか分からない作品に私はひどく心を奪われてしまった。
彼のことをもっと知りたいと、いろんな本や映画を読んだり観たり、展覧会に赴いて作品を直接見たりして少しでも彼に近づこうと努めてみたりした。
彼の出生も経歴も弟との絆も周囲からの疎まれ方も社会に馴染むには色々ハードルの高い性格も知れた。
生前に売れた絵画は1枚だけで亡くなる少し前にやっとちょっと評価されたけど銃で自分の胸を撃ってしまって死んでしまってその翌年には最愛の弟も死んでしまって。
そして亡くなって130年経った今現在では絵画1枚数億ドルがついて窃盗団に美術館から盗まれてしまうような世界のトップオブトップのアーティストになって。
大体のことは分かった。
大体のことは分かって、分からなくなった。
彼は、この、死んだ後の夢物語の様な富と名声を知ったとして、どんな感情を抱くのだろう。
嬉しいのかな、悔しいのかな。
ほら見たことかってなるのかな、何で生きてるときにこうならなかったのかなってなるのかな。
彼にとって、幸せなことは何だったのだろう。
高額落札ニュースや展覧会に訪れる沢山の人々の映像を見るたびに私は一筋縄じゃいかない想いに駆られた。
彼を現代に呼び寄せて、「ね。あなたの作品を沢山の人が愛して、世界の人がさ、とんでもない金額であなたの画を買って、あなたの画はすごい、あなたのことをもっと知りたいって沢山の研究者が書物を出してドキュメンタリー映画を作ってあなたを称えているんだよ。」って伝えたとして、彼は一体どんな顔をするのだろう。
私には分からなかった。
この「ゴッホ 最後の3年間」はゴッホ美術館監修のゴッホグラフィックノベルで、彼と弟テオとの実際の手紙のやりとりを中心に、彼がパリに移り住んでから亡くなるまでの行動心境をコミック様式で表現した1冊。
その1冊のなかで彼は、他の芸術家にしつこく語っていた。
「僕らは芸術という鎖の中のひとつだ」と。
自分が今評価されなかったとしても、次の世代の芸術家へと何かを残すための架け橋になれたなら。その永遠の一部に自らがなるためにこの創作があるのだと。
亡くなる直前に行われた展覧会で自分が次世代を担う芸術家だと新聞で評価されたことを知ると、
「別に嬉しくないさ」
「ブラジルの女性は、ホタルをピン留めにつけて髪飾りにするらしい」
「芸術家にとって名声とはホタルにとってのピン留めみたいなものさ」
と話していた。
彼は生前評価されず、悲劇の天才だった
というのが、何となく世間のイメージで今までの私の考えだったのだけれど、この本を読んで少し考えが変わった。
彼の哀しみはもう少し違うところにあって、そして彼の幸せももう少し違うところにあったんだ。
岡本太郎先生の名言で特に好きな
「人間にとって成功とはいったいなんだろう。
結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。」
ということば。
私は分かったつもりなだけなのかも知れないけれど、それでも、そのつもりになれてちょっと嬉しかった。
尊敬する川上未映子さんが、文筆家デビュー間もない頃に彼への想いを綴った
「わたしはゴッホにゆうたりたい」
が、私が抱いていた感情に近く、またそれをあの方の文才と感性で見事にことばに落とし込んでおり、読む度に涙腺が緩む。
少し抜粋させてもらい、今回の巡礼を終えようと思う。
「春がこんこんと煙る中
私は、
ゴッホにゆうたりたい。
めっちゃゆうたりたい。
今はな、あんたの絵をな、観にな、
世界中から人がいっぱい集まってな、ほんですんごいでっかいとこで
展覧会してな、みんながええええゆうてな、ほんでな、どっかの金持ちはな、
あんたの絵が欲しいってゆうて何十億円も出して、みんなで競ってな、なんかそんなことになってんねんで、」
「私は誰よりも、あんたが可哀相で、可哀相で、それで世界中の誰も適わんと思うわ
あんたのこと思ったらな、
こんな全然関係ないこんなとこに今生きてる私の気持ちがな、
揺れて揺れて涙でて、ほんでそんな人がおったこと、絵を観れたこと、
わたしはあんたに、もうしゃあないけど、
やっぱりありがとうっていいたいわ」
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