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結婚不適合者の私が4年間の遠距離恋愛後の決断

こんにちは、8月に入ってある洋服屋さんに立ち寄ったらすでに、秋物が置いてあってびっくりです。

雰囲気だけ秋を感じました^^;まだまだ猛暑は続きそうですね。

今回はうつではなかったらしい?私がその後
結婚することになったいきさつなどを書きたいと思います。



友人Tちゃんに紹介された男性


身体の不調が出始めてから半年後に友人のTちゃんが、私にある男性を紹介してくれました。

Tちゃんはパニック障害で通院していて、唯一私の身体の状態を知っていました。

心療内科を教えてくれたのもTちゃんです。

紹介してくれた男性は、Tちゃんのだんなさんの職場の先輩。

その男性とは数年前、地元静岡で1、2度飲み会の席で会っていて、挨拶程度しかしませんでしたが、顔はなんとなく覚えていました。

彼はすでに福岡県に転勤しており、しばらくして私の携帯にメールを送ってきました。

結論からいいますと、今の夫がこのお方なのですけどね。

メールのやりとりは2か月ほど続き、内容はあまり覚えていないのですが

2か月も続いたということは好感がもてる内容だったのだと思います(笑)

その後、彼は福岡から静岡まで会いに来てくれました。

そして、私の今の現状を知った上でお付き合いをすることになったのです。

遠距離恋愛を続けた末、結婚に至った理由は


結婚するまでの4年間は遠距離恋愛になり、彼は毎日電話をくれました。

いつも最初に「今日はどんな1日だった?」から始まり

その日の身体の状態や起こった出来事、悩みなどを彼はただただ聞いているだけ。

私にとってそれはすごく安らぐ時間でした。

悩みや愚痴を聞いてくれる人がいるだけで、こんなに気持ちが楽になるんだなと思いました。

そして彼の印象は空気のような存在。

これってよくマイナスのイメージで使われますが、空気ってないと死んじゃいますよね。

「他人と一緒に暮らすなんてムリ」と思っていた私にとって一緒にいてすごく楽だったんです。

トキメキとかドキドキ感はこの年齢になると疲れる(私の場合です)

どうして4年間も遠距離恋愛が続いたかといいますと

やっぱり結婚するためには元気な身体に戻ってからと思っていたから。

でも不調は相変わらず改善しない。

結局、完璧に体調が戻るまで待っていたら結婚にはたどりつけないし

そもそも完璧に戻るなんてムリだと気付くのに4年もかかってしまいました。

この時私は40才。

私が思う「人は一人では生きていけない」の意味


それにしても4年間も待っていてくれるとは…

彼は私のことが大好きなのだろう(←おバカ)
それともボランティア精神旺盛なのか?(笑)

私は誰にも頼らず一人で生きていくことを手放した。

分かったことは、人はそもそも一人では生きていけないということ。

それは結婚するということではなくて

人は生きていれば絶対誰かに助けられています。

例えばごはんを食べることにしても

田植えをし、お米を育てる農家さんがいてそれを運んでくれる人、お店に並べてくれる人、販売してくれる人、料理してくれる人のおかげだし

日常生活にあるすべてのものは誰かがかかわっていて、私の手元にあるわけですから。

みんな誰かのおかげで生きている。

そのことに気付くのに何十年もかかりました。

結婚のカタチは人それぞれ


私は体調が回復しないまま結婚しましたので、入籍のみ。
その後、親族だけで食事会をしました。

もともと夫も私も結婚式や披露宴に興味がなかったので、する予定もなく友人たちにはハガキで報告だけのジミ婚。

私の荷物は最小限で、福岡の夫のアパートにそのまま住むことになりました。

生まれ育った静岡をあとにする日

新幹線のホームまで兄家族と両親が見送ってくれたのですが、涙を流して大泣きしていたのは義理の姉だけでした(笑)

家事なめてました


専業主婦になったわけですが、実家暮らしだった私にとって家事は大変でした。

やろうと思えばいくらでもやることはあり、まじめにやっていたら全然終わりがない(;´Д`)

正直、身体が元気なら会社勤めの方が楽かも(夫が家事をしてくれればですが)

お子さんがいてお勤めもされている主婦の方々、尊敬です。

体調は波があるものの日常生活は、普通に過ごせるまでに回復し福岡の生活にも慣れ、それなりに楽しみました。

環境が変わったのも私にとって良かったのかもしれません。

それでも歩くことは止めませんでした。

海を見に行く変わりに田んぼ道を歩く毎日。 

「私は大丈夫だ」と確認するために。

東北の震災で私が受けたダメージ


しかし、また私の身体に異変が起こる出来事が発生します。

それは東北の大震災。

地震発生後、毎日テレビで津波・被害の状況・多くの被災者の方々の映像を見ていると、ショックで動揺しました。

こんな大変なことが起こっているのに、私は普通に生活していていいのか?

と罪悪感がわいてきたり

突然このような災害が、いつか自分の身にも起こるんじゃないかと思うと、不安でいっぱいになりました。

私の体調はまたまた以前のように戻ってしまいました。

ホント心と身体は繋がっているんですね。

胃腸障害からくる食欲不振、不安感、不眠、息苦しさ、動悸が主な症状。

ふたたび心療内科を探して受診。

先生からは

「津波の映像など被災地の情報番組は見ないようにしてください」

と言われ再び安定剤の服用を始めました。

それでもなんとか家事はこなしました。

夫からは、「キツかったらいつでも休んでいいから」と言われていましたが、

意地でした(笑)

5年間の福岡での生活が終わって


夫の仕事の関係で5年間の福岡での生活が終わり

私の地元静岡に戻ることになりました。
(夫は鹿児島生まれの九州男児)

なんだかんだでいろいろありましたが、福岡の人はやさしいし、
食べ物はおいしいものがたくさんあり、ステキな友人も出来てまた機会があれば絶対行きたい場所(博多の中州の屋台もまた行きたいです)

私の第2のふるさとだと思っています。

そして


次回は5年前にはなかった地元にヨガ教室があることを知り、
通い始めた時のことを書きたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました(*^^)v


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