人からのメッセージは受け取り拒否から味わいたい欲に変化した
最近、本を読むのが好きだ。なぜこんなにいろいろな人のいろいろな文章を読むのが好きなのか?を純粋に問いてみたら、書き手の気持ちのこもった言葉を浴びたくなっている自分に気が付いた。
でも元々は言葉って怖いと思っていた。友達からもらったLINEやお手紙を脳内でネガティブ転換して、批判されている・怒られている・嫌われていると妄想してしまっていた。だから人が想いを載せて書いている言葉を受け取るのが怖かった。
そんな私だったけれど、その”脳内の妄想の友達”が妄想に過ぎないことを認識したら、人を想って発する言葉の力に魅了されて、文字を読むこと・書くことに魅入られてしまった。人の言葉を受け取るのが怖いと思っている人への処方箋になればいいな
言葉の持つパワフルさを味わい尽くしたい
最近の頭の中にこの想いがあふれている。色々な言葉を体感したいのだ。そしていろいろな人の想いを味わいたい。
コンサルタント・コーチという職業上、人との対話の中で”音声としての言葉”を味わってきたように思う。言葉の持つパワフルさや、その人が心から思って発している言葉が相手に届く様を体感してきた。そして言葉ってすごい、言葉ってパワフルだ。そう思うようになった。
言葉の持つ力に気が付いてから、自分の発する言葉が気になるようになった。相手にどんなふうに届いているのかを知りたくなった。相手にもっとうまく伝えられるようになりたくなった。
その結果、色々な言葉を味わい尽くしたくなった。色々な人の書く言葉を食べて、味わう、ソムリエみたいなことがしたくなった。
色々な人の想いが乗った言葉を聞いて読んで味わって、そんなことに楽しさを見出す中で”耳で聞く言葉”は人の感情が乗りやすいとおもう。声色にトーンに感情が乗っている。表情が付いていればなおさら伝わる。想いが、願いが、ビシバシと飛んでくる。でもそれだけではないと気付いた。
文章からも、文面からも、想いが伝わってくる。そんな人の想いが乗った言葉を食べたい。食べて味わって消化して、自分の中の”言葉力”というものがあるのならば糧にして磨いていきたい。そんな想いがあふれてきた。
本、そして、文字への印象の変化
本を読むことは小さいころから好きだった。色々な人に本の虫、と言われてきた。本を読むのも早くて、色々な世界を本を通じて楽しむのが好きだった。
一方で最近の自分が好んで読む本は、小説ばかりだった。それも割とライトな、文章や文面の美しさを味わうというよりは、冒険ものやミステリーものなど、ストーリーそのものを味わえる、一秒でも早くページをめくりたいものばかりだった。
本を読むときはあまり文字を味わった思い出がなく、自分とは違う世界に生きる主人公のストーリーを味わっていた。異世界を旅することが好きだった。
なぜあまり文字にフォーカスしてこなかったのか?を考えてみると、私は、文字を読むのが怖かった。特に他人からのメッセージが怖かったのだ。
LINEでのメッセージを受け取ると、悪い方に解釈してしまう癖
当たり障りのない、「おはよう」や「何してる?」といったライトなコミュニケーションツールとしてのLINEは好きだ。その手軽さや早さが快適だと思う。
ただたまにある、恋人や家族や友人との超長文な想いの乗ったメッセージの応酬は苦手だと感じていた。LINEでメッセージを受け取ったとき、特に声を知っている人のメッセージはその人の声で脳内で再生される。その時に自分の解釈で勝手に悪いように再生してしまう癖があった。
相手にそんな意図がないのに勝手に批判されているように私が読んでしまい、私がどんどん元気をなくし、自信を無くしていく。送り手は全くそんな意図がないのにもかかわらず。
それは私の自信のなさが招いた悲劇で、相手は私の心配をしてアドバイスしていたのに、私は勝手に批判されていると思って受け取って攻撃的になっていく。そんなすれ違いによる喧嘩を過去に起こしてきた。
なので次第に文面で想いのこもったメッセージを受け取ることが怖くなっていった。
勝手な被害妄想からの脱却
何が一番恐ろしいかというと、その当時の自分は一切自分が被害妄想をして傷ついていることに気が付いていなかったのだ。相手からそういわれていると思い込んで、批判されていることが起きていると勝手に思い込んでいった。
この時に何が起きていたか?を今振り返ると、その頃の私は相手の言葉に依存して、相手の言葉を正として受け取り、相手の言葉に従って生きていた。他人軸だったのだ。しかもその相手の言葉は言われたものだけでなく、勝手に相手はこう思っているだろうと自分の中で相手の像を作り出して喋らせて、誰も意図していない方向に自分の行動をまげてどんどんと悪い方向に進んでいった。
それを一つずつ”書いてある事実”と”私が作り上げた幻”に切り分けて、友達が整理してくれたことで私はいかに自分が自分で”作り上げた幻”に支配されているかに気が付き、その呪縛が解けた。
勝手に悪いように読むのはやめて、冷静に相手の文面を受け止められるようになった。
相手の文面を冷静に見るようになったら、言葉の力に気が付くようになった
無意識に解釈しようとせずに、送られてきたメッセージをそのまま読むようになると、その人ごとに違う文章の癖や文面に面白さを見出せるようになった。そして、なにより、日本語の面白さに気が付いたのだ。
同じ言葉でも使い手によって美しくも、おもしろくも、悲しくもなる。その意味の深さに驚かされることもある。きっとそれは送り手のボキャブラリーの多さもあれば、その時その場で選択するセンスもあれば、言葉に対する感覚の鋭さもあると思う。
様々な要素が絡み合った結果、言葉っておもしろくて複雑で深い。そう思うようになった。
そして、文章っておもしろい!と思うようになった。自分も思いが伝わる文章を書きたいし、相手の想いが載った文章をもっと読みたくなった。
その結果、浴びるように、貪るように言葉を味わいたくなって、読書したい!今までとは違うジャンルも含めて本を読みたい!とスイッチが入った。
想いの載った文章でつづられたいろいろな人の物語を手軽に味わえるなんて、なんて豊かな時代なんだろう、なんてことも思う。
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ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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