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声は出せても言葉は喋らないオトボウナマズ
久々にやってきた、テーマをもらって書く企画。久々のテーマはなかなかの無茶振りなのだけど、新しい切り口や視点で物事を考えるのはとても楽しいなと改めて思った。
そんな本日のテーマは、ナマズ。
ネタをください企画とは
自分のアウトプット力の限界を試してみたい!となって、
心優しいお友達にネタをください!とお願いして、もらったネタでnoteを書いてみる企画。どんなネタでも書きあげる!ことを目標にすることで完璧主義者の私をちょっと退治してみようと始めた。ありがとうございます。
引き続きネタは募集中です。
第1弾:もみじまんじゅう
第2弾:5年かけて得た、クライアント力の要諦
第3弾:名前について
第4弾:オートミールが無くなった世界戦に飛ばされたら明日からかえではどうやって生きていくのか
第5弾:好きな色
第6弾:どんなときにエネルギーに満ち溢れ、喜びや満足を感じますか?
第7弾:ハードな環境でも頑張ってこられた理由
第8弾:温水と冷水の水脈と周りに築きたい生態系
第9弾:インプットとアウトプットのバランス
第10弾:素っ裸になってみた!
第11弾:わたしがいつも飲んでるあれ
そもそもなぜナマズなのか
ナマズというテーマをくれたのは、まーさんで、そのまーさんを私が”妖怪だ!”と言ったことがきっかけ。前橋に会いに行って対面で会ったときの”実態はあるけれどちょっとない感じ”を妖怪として認識した。
そしたら気に入ったようで、まーさんは自分のことを”前橋の妖怪”と呼び始め、さらに前橋には実際に妖怪がいたのだ。
「前橋の妖怪」って呼ばれるのなんか好き
— まー |居場所で人を自由にするコーチ (@ma_tomarigi) November 26, 2022
川の主らしい。普通に怖い。 https://t.co/iGGnyhV0dj pic.twitter.com/YcJbDmvDPK
— まー |居場所で人を自由にするコーチ (@ma_tomarigi) November 26, 2022
それがオトボウナマズ。
【おとぼうなまず】ナマズの伝承の一つ。ナマズは各地で神格化されていたり、大地震を起こすものとしているが、群馬県前橋市の清水川にはオトボウナマズという主が住んでおり、「おとぼう、おとぼう」と言いながら釣り人を追いかけるという説話がある pic.twitter.com/oj7MkfSyxR
— 妖怪カルテ (@yokaikarte) October 9, 2020
それからまーさんはよく「オトボウ、オトボウ」と鳴くようになった。
オトボウナマズは声を出すが話はしていない
オトボウナマズの話を聞いて最初に思ったのは、「で?」だった。「オトボウ・オトボウ」といって釣り人を追いかけてくる。だけなのだ。
特に何かされることもなければ、何かの吉兆でもない。ただただ声を発して追いかけてくるだけ。
妖怪といえばそれだけなのかもしれないのだが、なんだか肩透かしを食らった気分で。もうちょっとなんかないのか?と思っていろいろ探してみたが結局オトボウと鳴いているだけなのだ。
この時私がこの怪奇話に期待していたのは、そこにオトボウナマズというものが生まれた意味。なぜ声を発するのか、鳴くことにどんな意味を持つのかということだった。
ただしここでのオトボウナマズはただ声を出しているだけで、その音にはなんの意味も付与されていないのだ。
人間は言葉を話すことができる。言葉を話すことで自分の思いを外に出すことができる。外に出すことでその思いを理解することができる。他人だけでなく自分自身で自分の感情に気づくことができる。
だからただの音ではなくて、言葉にして話すことが大事だと思うのだ。
言葉にすること、というのはとても大切なことだと思う。
どんな言葉を紡ぐのか、言葉のひとつひとつのチョイスにその人らしさがあるから、その人の個性に触れられるような気がして言葉を聞くことや読むことが好きだ。
だからこそ言葉にして話していない、音としか認識できないような音声のやりとりにはちょっと物足りなさを感じてしまうのだ。
せっかく言葉を紡いで意思疎通をすることができるのに、と寂しさを感じてしまう。はい、か、いいえ、かで答えられるような質問をしてしまったことや相槌くらいしかできない話題と言うのもあるとは思うが、やっぱりキャッチボールとして言葉を使いたいのだ。
ふーん、ほうほう、と聞くだけでなくて、質問をしてほしい、思ったことを言ってほしい。そう思うのだ。
声を上げるしかできなかったオトボウナマズ
オトボウナマズは鳴き声しかなかった。だからその怪異譚では何も起こらず、ただ鳴くだけだった。
もしくはオトボウナマズは鳴くことが目的だったから、言葉は不要で鳴き声だけあれば十分だった。
と思うと、せっかくオトボウ以外の言葉を発することができるのだから、言葉を紡いで、意思を相手に伝えていくことってやっぱりいいなと思うのだ。
言葉で伝えられる、それなのに、色々な思いから言わずに溜め込んですれ違いが起こっていく。せっかくオトボウ以外の言葉を喋れるのに、意思疎通ができるのに、それを諦めて放棄しちゃうのは嫌だなと思った。
言葉にする勇気と伝える努力をして相手に思いを届けていく、そんな当たり前を当たり前としてみないのではなく、ちゃんと大事さを噛み締めて色々な思いを口に・文字にしていきたい。
言葉にすることに疲れてもう何もできない、、、そんなときはただ「オトボウ・オトボウ」と鳴きながら会いたい人に会いにいくのもいいのかもしれない。
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