100日noteを続けて見ての振り返り
9月からnoteの毎日更新を続けてきた。やる気減退期や旅行やらいろいろありつつもなんだかんだ1記事2,000文字以上をアベレージに投稿し続けてきた。
そんなnoteの執筆を日々の中に組み込んで100日が経った今、noteを毎日書くことで私が得たものや意義を見返したい
①アウトプット力の底上げ
まず何より特筆すべきことはアウトプット力の向上だと思う。日々日々様々なテーマについて今思うことをやや散文的になりつつ書き出していく。
今思う考えや悩みを文字にしていくことを毎日していくことでどんどん書くことへのハードルは下がっていく。
自分が思っているよりも自分の中には色々な気持ちが眠っている。そして自分が思っているよりも自分はそれらの気持ちをどんどん忘れていく。
強烈な印象だったはずのことなのに、一刻ごとに様子を変えていく目の前の事柄をしっかりと記録しておくことで忘れられないアウトプットの積み重ねができる。
慣れれば慣れるほど自分の今の感情や考えを言葉にすることは簡単になっていくので、続けることは二重の意味がある。
すなわち、アウトプット力の質も量も引き上げられるのだ。それはしっかり継続的に付き合ったからこその速度で上がったと思う。
②タイムカプセルとして未来へバトンを渡す
今の感情や思い出は写真や日記でも残していくことができる。特に思い出の景色を写真で残すのは簡単だ。日記で起きた目の前の事象へのことを記録することもできる。
noteという媒体で毎日記録すると過去や未来も含めて様々な時の出来事への今の記憶を記録して残しておくことができる。日記のような今日の出来事ベースではないからこそ、幅広いことや感情を記録できる。
今の記憶や記録が残っていることは将来必ずプラスになる。なぜなら今のことって意外と簡単に忘れてしまうから。
それをある程度の文字数を使ってしっかりnoteに残しておくことは後で振り返った時に鮮やかに思い出すことができる。実際この間アドベントカレンダーを作ったときに、今までの自分の歩みとして様々なnoteを振り返りながら作った。
あの時の私はこんなことに悩んでいたんだ、こんな思いを抱えて葛藤していたんだということを色濃く思い出すことができた。
過去に悩んだということが今の自分にとってはなんだか安心材料になるような気もしていて、過去の自分が行動する応援団になってくれる。
その先にバトンを繋いでいいと思わせてくれるのは、過去の経験で今の私が幸せになっていると思えるから。過去の自分と同じ壁なのか、過去に乗り越えた壁なのかを知るだけで心の持ちようは大きく変わる。
③誰かと共有したくなる色々な物語の集積所
noteには色々なモチベーション維持機能がある。それは何日連続投稿と教えてくれる機能もあれば、いいねがつくこともある。noteのおかげで生まれる・始まるコミュニケーションも多々ある。
そして自分が書いてきたと言う事実がしっかりとそこに残っているので、自分の事として語れるコンテンツになる。知ってほしい人に知ってもらうためのコンテンツが豊富になっていく。
たくさん投稿していれば、いくつか思い入れの深い記事も出てくる。そんなこれしかない記事というのを自分のことを知ってほしい人に送って読んでもらうことが何よりも自分を知ってもらう近道だとも思う。
興味を持ってもらうコンテンツにもなる。例えば以前私がネタをくださいといって始めた企画でみどりんがくれた”もみじまんじゅう”と言うテーマを元に書いたこのnote
大のお気に入りである。そしてとても面白い経緯と内容を持った記事である。だからいろんな人にこんな面白いことも書いているんですよ、なんて語ることができる。語るのが楽しいと感じる。
こんなふうに自分にとっての大事や大切が詰め込んだオリジナルなページができていくことってとっても楽しいなと思う。
色々な使い方もできると思う。自分のことを知ってもらうためにも使えるし、話のネタとしてもみじまんじゅうで2,000字も思ったこと書いたんですよなんて話すこともできる。
自分と同じような葛藤を辿る人に何かを響く記事になることもあれば、踏み出したい人の背中を一歩押すこともある。私がコーチングのアウトプットを残していることでコーチングによってどんなふうに変化して行ったのかを辿ることもできる。
自分が記載した記事が、自分のためを飛び越えて誰かのためになる日があると飛び上がりたくなるほどに嬉しくなるものだ。
④なにはともあれ習慣化したんだぞと言う実績感
これはもう言わずもがななのだけど、100日続けてきたことってすごい。我ながらえらい。人生さまざまなことが起こるのにその中で毎日(たまに書き溜めしたけど)ちゃんと投稿し続けたことはすごいなと思うのだ。
そもそもこの連続投稿を始めたときは、30日続けることが目標だった。30日続けたら習慣化できる、そう聞いて30日続けようと思った。30日経った後は自分の人生の一部として組み込まれたものとしてゆるりと続けていく、はずだった。
それが結局100日目まで至っていて、今まで色々なことを書きながらここまできてしまった。
100日毎日書きました、それは自分で胸を張って言っていいことだと思う。ここまで頑張ってよかったなと思う。
自分にとって微妙にハードルになりつつ、でもなんとか超えられる2,000字くらいを目安にしていたのもよかったと思う。自分に合った目安だったような気がする。
100日経って今後について思うこと
今ここが目下の悩みである。実際この記事は100日目の記事であるわけで、この後さあどうしようとも思うのだ。多分毎日書かなくていいと思った途端書かなくなるだろう。
なんとなく足が遠のいてしまうような気もする。
そして毎日書き続けることがこれ以上どのような意義を与えてくれるのか?なんてことを冷静に考える自分もいる。費用対効果が合わないのではないか、と。
毎週投稿を続ければいいんじゃないか、月1回投稿を続ければいいんじゃないか、そんなふうに思う自分もいるのだが。休むのが苦手な私的には止めたくない気持ちもある。
このままだらだらと次の節目まで走っていくのか、どうしようかと悩んではいるのだけど。とりあえず2,000文字という若干ハードルになる文字数制限は撤廃して、心地よく書ける範囲で続けていこうとは思うのだ。
人生のフェーズは刻一刻と変わっている気がするから、だから記録をやめてしまうのもなんとなく勿体無いような気もする。