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GiveしてるつもりがTakeしてるかもしれないことに気がつく恐怖
温水と冷水の人がいる。私がちょくちょくクライアントの時に発言するワード。私の中でとても大きな意味を持つワードだとも思う。この温水と冷水の人をわかりやすく一般的なワードで言うと、温水はGiver、冷水はTakerだ。
温水の中で生きたい、でもいつの間にか自分自身の温度が下がっていたり、周りの温度が下がって感じる時がある。冷え切る前に温水に入りたい、それが最近の自分の思うところ。
ネタをください企画、第8弾。再びまーさんからのお題で【温水と冷水の水脈と周りに築きたい生態系】一緒に温水に入ったら気持ちい人と出会ってその人と時間が過ごせたら、きっととっても気持ちがいい。
Giverという言葉と出会った頃、私はGiveの意味を分かっていなかった
相手から奪う人ではなく、与える人になりなさい。与える人でいると、周りの人といい関係が築けて、長く続く良い関係が築ける。
こんな文章は正直社会のいたるところで見る。GiverとTakerがいて、Giverになりたい!と多くの人が声を上げている。
でも実際本当に本心からGiverの人は少なくて、だからこそこのメッセージを多くの人が読んだこと・目にしたことがあるのだと思う。無意識的にTakerになりやすいのがこの社会だと思う。
私自身もそうだった。
初めてこの言葉を強く意識したのは、大学生のころ。コーチングを受け始めて、コーチに言われた一言だった。
「楓ちゃんもいつか、与える側の人になれたらいいね。」
ひどく刺さったのを覚えている。刺さった理由は自分が奪う側の人間であることを意識させられたからだと思う。その日から私は与える人になりたいともがき始めた。
でも与えるって何かが分かっていなかった。
表面上、与えることはすぐにできる。相手が困っているとき、自分の時間を差し出して、相手のことを助ける。友達に会う時に、好きなものを事前リサーチして持っていく。ごはんやスタバをおごる。
一見、与えているなのかもしれない。でももしかするとこれは与えているんじゃなくて、恩を売っているだけなのかもしれない。
相手は時には恩を買わされているのではないか。
「〇〇をしてもらってしまったから、お返しに××しなきゃ。」、なんて気持ちを相手に抱かせていたとしたら、なんだかそれは恩を売りつけているような気がする。
一番問題だな、というかやめたいな、と思うのは、恩を売っているその瞬間、私の意識的には与えているつもりだけれど実は奪っていると思うのだ。
どういうことかというと、与えたいと思っている行動の背景に【これを与えたら、相手は将来自分に与えてくれるだろう】のような見返りを求める精神があるときがあるのだ。
これってつまり将来の相手から奪っていることにならないか?見返りを求めて与えていると、それは与えているではなくて、奪っているだ、そう思うのだ。
だからこそ本当の意味で与えられている人って実は少ないと思う。
本当の意味で与えるって与えているという認識を超越している
人生何事もバランスが大事だと思う。プライベートと仕事、お金とやりたいこと、自分と家族、などなど。バランスが取れた心地よい生活が送りたい。
でもGive&Takeに関してはバランスなんて関係ないと思う。というかバランスを考え始めた時点でTake多めだと思う。Give&Give&Giveでいい、そう思う。
お互いにただGiveをするだけ、それが私の感じる温水の世界。何かをしてもらうことを期待して、ではなくて、相手に喜んでほしくて、相手の喜ぶ顔のためだけに、相手に今あると良いと思うサポートを自然と差し出す、そんな人になりたい。
そこに見返りを求める心が少しでもあると、相手よりも自分が与えている、返ってこない、私は尽くしているのに…のような感情に影が入る。影が入り始めると関係性はオールオッケーな状態とは言えなくなる。
とはいえ、どうしても自分の行動に対して相手から与えてもらうことを期待してしまう自分もいる。仕方ないのかもしれない、でもそのことに怒りや失望といった感情は抱かないようにしたいとも思う。
一番避けたいのは、してもらうこと・与えてもらうことを当たり前としてとらえること。でも結構職場だとやってもらうことが当たり前というマインドが上司の立場でも、部下の立場でも発生してしまうように感じる。それが私の思う冷水な環境。
上司は指示を出したことに対して部下がすぐにやるのを当たり前と思っている。むしろ指示していないことまでやることが当たり前。
部下は指示をもらうことが当たり前だと思っている。そしてやった仕事に対して感謝の言葉が述べられるのが当たり前。
そんな当たり前の押し付け合いの世界が冷水の世界。当たり前が守られなかったときにどんどん温度が下がっていく世界。常温が当たり前だから、下がった温度はなかなか上がらず、ずっと冷水のまま。
そしてこんな冷水の世界の人が温水の世界の人と出会う時、温水側の温度も下がってしまうと思うのだ。世界の温度がどんどんと下がって冷え切っていく感覚、それが無意識に宿っているTakerの意識によるものだと思う。
入りたい相手と温水に入って生態系を築けたら理想
今まーさんからもらったネタに戻ると、温水と冷水をさかのぼった先に何があるかがすごくわかりやすくなった気がする。
温水の水脈・水源にいるものは、相手のことを純粋に想う気持ち。大切な人のことを幸せにしたい、喜ばせたいという気持ち。そこには自分の損得は関係なくて、たとえ自分が何か損をしたとしてもそれは損じゃない。だって相手が喜んでくれているのだから。
だから相手に何かをして、喜んでもらえたら得した!って気分。損した!ってことは基本的には一切ない。(よっぽどずれたことをして相手が超絶不幸にならない限り)
冷水の水脈・水源にいるものは、自分のことを想う気持ち。いつかこんなことしてもらいたいな、という相手への期待だったり、相手はしてくれて当たり前と思う気持ちがそこにはある。
だから自分の行動に対して相手が何かしてくれないと猛烈に損した気持ちになる。自分に返ってこないと損だと感じる。
こんな水脈・水源の違いがあると、生きている生き物も違いそうだなって思う。
温水の水源の周りにはきっといろんな生き物がいる、大小さまざまな生き物が暮らしているような気がする。お互いいい感じに助け合って生きているそんなイメージ。
冷水の水源の周りにはきっと毛むくじゃらの哺乳類ばかりがいそう。笑
寒さから身を守るために、相手からの攻撃から身を守るために、厚い毛で体を覆いつくしていて、実体がどこまでなのかは全然わからない生き物たちの巣窟って感じ。
毛でおおわれているからきっとお互いの体温を感じることはできないんだろうなーなんて思う。
体温を感じられる距離感と厚着レベルで生きていきたい、それがやっぱり今の終着点。誰とでもそうありたいわけではなくて、自分が純粋に想える相手と出会い、一緒に温水の生態系を作れる関係性、それこそが理想の世界だなと思うのだ。
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