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自動翻訳で英語学習は不要になるのか

 人工知能(AI)はめざましく進化しており、自動翻訳の分野も目を見張るものがあります。これなら汗水たらして英語を勉強したり、無理に子どもに英語を教える必要はなくなるのではないかと思ってしまいますよね。でも、本当にそうなのでしょうか? 


進化しつづける自動翻訳


 外国語の説明版にカメラをかざすと日本語で読めたり、外国語YouTube動画には日本語キャプションが出てきたり、音声入力で自動翻訳ができるのはもう当たり前になっています。外国人との対話という問題がありますが、これも目の前に字幕が出る翻訳機能付き眼鏡が実用化されようとしています。

 まだ翻訳が完璧でない部分があり、間違った言葉を使ってしまうこともありますが、今後はもっとデータがインプットされ、その状況に最も適した言葉を使うように改良されていくようです。

 このように、自動翻訳が今後も進化し続けるのなら、何も苦労して英語を学習する必要はないのではないかと考えてしまうのも納得できます。しかし、AIが星の数ほどの単語を覚え、たくさんの言語の文法を知っていても、人と人とのコミュニケーションには言葉を翻訳する以上の意味があると思います。 

文化は理解できない


 自動翻訳を使えば、外国に行って言葉がわからなくても、最低限そこに何が書かれているのか、また、アプリに話しかけてもらえれば何を言おうとしているのわかります。しかし、それでその国の文化を本当に理解できるのでしょうか。

 言葉と文化は密接に関係しあっています。言葉の学習なしにその国の文化を深く理解することはできません。私の子どもたちは日英仏語のトリリンガルで日本語も自由に操ります。日本語を話せることで、日本人が普段の言葉で子どもたちに接するので、彼らは日本語を通して日本の文化や日本人の特性を理解します。肌で感じ取るという言葉がぴったりします。自動翻訳を介した場合、この肌で感じる取ることができるのかが疑問です。 

信頼関係は築けない


 例えば大事な国際会議で、優秀な自動翻訳でプレゼンテーションを乗り切ることはできても、その後の懇談パーティの席で、自動翻訳を介して信頼関係を築くことができるでしょうか。雑談には人柄が表れます。人が耳を傾けるのは、内容も大事ですが、語彙力や表現力、表情や声色も合わせたトータルなコミュニケーション力のある人です。雑談に自動翻訳を介する人と親しくなりたい人はあまりいないでしょう。
 
 また、外国語を話せないとなかなかダイバーシティを理解できません。1つの言語しか話さない人は、1つの文化の枠から外に出ることが難しいからです。自動翻訳に頼っていたら、ものの見方や考え方を国際化できないでしょう。例えば、政治家がいつまでも古い考えを捨てられない理由の1つは、1つの言語と1つの文化の枠の外に視野を広げられないからだと思います。ですから、未だに差別発言を平気でしたりできるのです。AIはマナーのない人の言葉を直してくれません。
 
 そして、自動翻訳は話し手の意図を汲み取ることができません。通訳の人は単に言葉を日➡英、英➡日に移動させているのではなく、話し手の伝えようとするメッセージを汲み取って通訳しているといいます。話し手の人柄や知識レベル、言葉の癖を短時間で察するのが人間ですが、AIには難しいでしょう。
 

自動翻訳を使うべき人とは


 これだけ発達した自動翻訳は、もちろんどんどん使われるべきです。
 例えば移民の人たちです。第20回「子どもが親の通訳になるランゲージブローカー」の記事で触れましたが、その国の言葉が流暢でない移民の親に代わって、早く言葉を覚えた子どもが親の通訳となり、病院や役所で交渉事をする場面が多いのです。年齢以上の責任を負うことが子どものプレッシャーとなるので、子どもがランゲージブローカーとなることを禁止する国もあります。このような場合、翻訳アプリを使えば子どもの負担が減るので活用すると良いと思います。
 
 もちろん外国語学習にも使えます。私は英語の他にフランス語を勉強していますが、自動翻訳アプリにはよくお世話になっています。フランス語で作文を書きたいのに文章が出てこない場合は、丸ごと日本語を入れて大雑把に翻訳します。それから細部を直し、作文が溜まったらネイティブ話者に添削してもらいます。そうすることを繰り返していくと段々作文にも慣れていき、自動翻訳を使わなくても外国語で文章が書けるようになります。
 

自動運転車に似ている


 自動翻訳は公道を走る自動運転車に似ています。自動運転車は、ちゃんと運転できるドライバーが、常に誤作動がないように確認していないといけません。自動翻訳も、便利だけれどすべてを任せてもよいのではありません。使うべき場所や環境がありますし、両方の言葉をよく理解している人間が、誤訳がないかを絶えずチェックし訂正しないといけません。

 自動翻訳に丸投げしても良い人間関係は築けないでしょう。それなら、ちょっと訛りがあり少し間違いがあっても、相手の理解できる言葉を話し文化に敬意を表してくれる人との方が、より良い関係が生まれやすいのは確かです。


この記事はカナダ日本語情報誌『TORJA』連載コラム『カエデの多言語はぐくみ通信』2022年7月号に寄稿 https://torja.ca/kaede-trilingual-29/

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