2度目の自殺未遂。そして今の自分が抱えていること。

あと5回の登校があるけど、生きることも人生も飽き、疲れた自分。そんな時、何が起きているか少し知っているイベントで出会って仲良くなった先輩がそっと寄り添ってくえたり、話をそっと聞いてくれた。ああ、「僕」って言えたらそれだけでどんなに楽になるのかな。言いたいけど言えない。「自分」以外に「ぼく」と書けるだけで言えるだけで。


活動を休止した経緯とその期間中

これまでの学校はリフレッシュというか本来の自分でいれる空間である交流会やイベント、所属している所で『人生は学校だけじゃない』と思えて耐えられてきた。だけど、頼りすぎているそんな自分に嫌悪と全てが耐えられなくなった。障害があるのかはわからない。親が病院嫌いだから。人とうまく付き合えない自分、障害チックな自分。『楽しい』って思える先生とやる歌も行けなかったり、予定があった。そして壊れた。その後自殺未遂をした。それをする前にも薬を過剰摂取した。

時は体調を崩し始めた9月中旬。2か月連続酷い風邪を引いた。その時感じたよ。「あ、これ絶対病気を患いそうだ。」と。そして、咳喘息を発症。その後、気管支喘息になった。どんどん病気が増えていく。今年病気の発症9つ。年を重ねるにつれ病気にかかる回数や持病が増えていく。人って誰でもいつ死ぬかわからない。交通事故にあったりいろいろとあるから。それを自覚してからは生きる意味も活動する意味も変化していった。その頃(10月中旬)からだろう『変わった』のは。学校も変わった。はぶかれるのはずっとだが、いじめが酷くなった。
この学校に入って部活に入って自分は壊れた。人生がめちゃくちゃになった。学校が部活が死ぬほど嫌いだった。怖かった。なんで自分だけこんな目に遭わないといけないの?中学生や高校生、学園祭というものをもっともっと、みんなと同じように楽しみたかった。なぜ自分だけは許されない?だけど、良いこともあった。先生に救われたり、こうして活動し始めたのはこの学校と部活だったからだ。人生を壊されたり、心身が壊れたおかげって言ったらおかしいけど本当にそうだ。そうなったから今の自分がいる。ごくごく普通の人間だった。多少は変わっていたけど。障害チックがあって、指や体が他の人より動きにくく、吃音を持っているだけの人間。
体調不良や喘息で最初は休んでいたけど、11月中旬になって変わっていった。精神が憔悴し夜徘徊するようになったり、薬を過剰摂取したり、自殺未遂を1回やったり。ほんとは体調不良じゃないけど、親に嘘ついてズル休みしたり、毎日遅刻したり、休んだり。学校行くのに絶対音楽聴いて行かないと行くことすらままにならなかった。学校に近くなればなるほど、難病の症状が出たり、過呼吸を起こしたりしてほぼ毎日遅刻。
ああ親に言った方がいいなっては思った。そして、休止した。親にいじめのことを言おう決意したのはあのスタートアップ忘年会。その時に、会話した人はわかると思うけど、帰らないと門限すぎるのに最後まで残ってた。家に着くのが23時すぎてもいいや、開き直った。だから最後まで残った。先輩に送ってもらった。家に入るのに怖すぎて40分くらいマンションの中で徘徊した。そして戻った。親に嘘ついて遅くなったことを別の理由にして、「明日、学校で起きてることを話すね。」と言ったけど、「今でいいよ。」と言われた。はあ、言うか。泣きじゃくりながら親に話した。「あんたは悪いことしていない。相手が悪い。それを言う人たちは全員・・・(あれなんて言ってたっけ?忘れた)」。その翌日から一変した。朝起きてベットで廃人かのように座ってそれを見た親は、「休む?無理すんな。休む代わりに勉強しろ。」って。そんなの無理だよ。むり。その日を境に学校は毎日遅刻or欠席した。
期末テストは別室受験も可能な状態にした。だけど、全日教室で受けた。テスト中はもちろん寝てるかぐったりしてるかだし、授業は受けてなかったしノー勉だったり、10〜50分ほどの勉強時間だったが50点前後は取れた。低い教科は35点、赤点なし、高い教科は75点(?)。そして最下位は1教科も全教科でもなし。期末テストあたりからぼちぼち再会してみた。1ヶ月ぶりの1on1をしてみた。めっちゃ楽しかった。数ヶ月前から決まっていたイベントには休止中でも参加してたけど、休止中と違って心配かけまいと演技をあまりしなくなった。ちょっとはしている時もあったけど。

書ききれないほど多いのでこの項目はこのくらいで。

今の自分が抱えていること

自殺未遂、体調不良、心身の憔悴、コンテストへのプレッシャーかな??

長文すぎた。書き疲れた。このくらいで終わりにするか。

読んでくださりありがとうございました。

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