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今時のダンスホール

明るい

今時の人達は、煌びやかなイメージのまま、空想している。

本当のダンスホールは、寂れている。

solid"*1"

孤独。

うらびれた、打ちひしがれた、悲しい街角。

今時の人達は、昔にいたわけじゃないのに、昔の真似事をしている。

その時代は、戦争があって駆り出されたんだ。

だから、髪型をチリヂリ、丸々のボブにしたり、とか、昔のヒッピーがなんか好きなんだよね、とか、King Gnuの常田が、村上龍の小説を読んで、感銘を受けて、希望の国のエクソダスだったかを、文庫本の帯に紹介文を書いたとか、書かなかったとか、金原ひとみが、ドストエフスキーのカラマーゾフの文庫本3冊に、一言添えたものを書いたとか、今時の人が想う事を、どう想うか、知りたがっている人々が多い事この上ない。

しかし、その恐怖を追体験していないから、戦争に駆り出された被害にあった人のトラウマ、メンタルケアの不備が、その専門家でもない人間が危惧している訳である。

つまり、素人が、専門家に匹敵するだけの権力を持てるのが、この言葉のロジックで、人を説得する、スキルの事であり、今時の若者が、昔の世代にウケが良いのは、つまり彼等が変えられなかった世代にバトンタッチした訳である。

同時代を生きていない人が、その当事者だった人間から答えを知りたいと願うのは、勤勉な若者、真面目な青年が多くなったとも捉えられる。

今時の若者は、専門家を偏見の目で見ない。

その解説文を読み、自分の意見を持って、わたしはこう想うと言える。

昔の、其れも時代のスターとなると、色々と文章が小洒落た感じに写り、さも、神格化され、稀代のファン達は、煙たがるのだが、世代が変わると、その神格化された偏見は、消え失せているから、1人の人間として、彼と言う人が考察される訳なのだが、やはり、追いつかないのだ。

本当に信じていた人なんだ、悔しいけど、凄かった。その人を信じる力が僕には無いよね…

そのエネルギーが人一倍強かった人間。

其れは今時の若者は、枠を越えられないと認めたも同然なのだ。

どうしたって、彼になれない

憧れるには、到底追いつけない

何に於いても言えるけれど、一つを極めた人ってのは、それだけでスゴイ

その人にそう言えるのは、自分も其れぐらい夢中になって、寝る間も惜しんで、熱く熱中した、本気になった、夢があった

その事を知った時、素直に僕は、同じだから良いねと、笑顔になれたんだ。

イイね。

*1注釈、個体の意。

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