双子の息子が可愛いと思えるようになったとは
我が家には、双子の息子がいる。
上の娘とは、学年にして4つ開いているものの、娘は3月生まれ、双子の息子たちは6月生まれということもあり、実質3歳差のレベルだ。
今思えば、彼らはこの世に生命として誕生した瞬間から「大変ですよ」と言われていた。
産婦人科の先生に、「あー、双子ですね。男子だと大変だよ。」と言われ、性別判定の時には、「2人とも男子だね。あー、大変だね。」と言われた。
今思えば、先生なんてことを言ってたんだ、と思うけど、巷でも噂の無愛想ではっきりした物言いの先生であったので、(私はそういう先生好きですよ)まぁやむを得ないし、あの言葉があったから心構えができたとも言える。
先生ありがとうございます。
ただ、我が家の場合はこれで終わらなかった。
切迫早産の診断で入院して、1週間目の定期検診時、「2人とも口唇裂の可能性がある。医大に転院しましょう。」と言われてしまうことに。
そのまま医大へ救急搬送されちゃいました。
その後の診察では、「1人は確実にそうだと思うが、もう1人は位置関係上見えないので、生まれてみないとわからない。」とのこと。
そのまま出産まで入院とのことで、暇すぎる日々をこれから一ヶ月は送るのか、と思っていたのですが、ここでもまた予定外なことが。
予定日から一ヶ月と1日前のある日の夜、突如破水。
念の為にとモニターを付け様子を見てた矢先に陣痛がつき、あっという間の出産。
次男に関しては、状況的に出した方が良いとの判断で、先生にお腹を押されるというね。
あ、ここまで呼んでお気付きの方もおられると思いますが、我が家の双子は普通分娩でございました。
結構驚かれるんですよ、これ。
私は、自然分娩も帝王切開も経験できるわーと思っていたんですけどね、そんなことはありませんでした。
分娩時間はに時間ちょっとだった気がします。
終わって時計見たら、思ったよりも時間が経ってなくて驚いたおぼえがあります。
生まれた子は、やや小さいのと、成長曲線下回りベビーがいたので、NICUへ。
出産予定日三日前に生まれた娘とは違い、鶏ガラのようなベビーたちでした。
ただ、口唇裂かどうかは気になったので、すぐに確認しましたよ。
結果、1号片側口唇裂、2号両側口唇裂&口蓋裂。
この障害って、見た目のインパクトがあるので、初見の不安って多分あるんですよ。
ただ、私はとにもかくにも「ちいさっ!かわいいっ!」だけでしたね。
娘が3000超えのムチムチベビーだったこともあり約1キロ違いの鶏ガラスタイル1号と、お腹の中から小さく育った2号は、傍目からみてもまだ小さいし、かわいいったらありゃしない。
事前に専門医から説明受けていた分、ショックとかなかったなー。
母子別室でゆっくり休めたこともあって、産後はメンタル安定してました。
1号退院は私の1週間後、2号は驚異的成長を見せつけて1ヶ月弱での退院。
ふたり揃った後は、多胎児ママさんがみんな経験する「記憶なき時代」に突入でした。
それから1年で職場復帰したかと思えば、旦那が倒れたり、舅さんが亡くなったり。
てんやわんやで記憶なしの数年を過ごしつつ、少し大きくなった子どもたちに目を細める未来…などやってこず。
トラブル続きの双子に、娘の不登校、さらには私のメンタル崩壊が重なり、我が子達には申し訳ないほどの、いわゆる「親らしいことは何もできていない」時代を過ごします。
マジでこの辺りは、記憶が曖昧過ぎて文字起こしできません。
まだ記憶にあるのは、思い通りにならないいら立ちと、息子たちに放った負のエネルギーに対する深い後悔。
それから、いろんな縁があって、子どもたちの診断につながり、それぞれが穏やかに生活できるようになってきた今、ようやく息子一人ひとりに向き合えている気がする。
そして、愛おしいと感じる。
年齢的には、そろそろ異性の親とは距離を置く時期。
声変わりしだした1号と、耳をつんざくほどのハイトーン声量コントロール不可ボイスの2号。
昔よりは距離がありつつも、まだまだじゃれ合ってくれるお年頃でよかった。
あとわずかで口も聞いてくれなくなるかも知れない。
あの頃、こんなに2人をかわいい、愛おしいと思える日がくるなんて思わなかった。
気がつけば話もしない時代に突入すると思っていた。
いや、そんな時代はもうあと少しかも知れない。
それでも、そうなる前に直接「大好きだよ」と言えて、はにかむ1号や、「ママ大好き」と返してくれる2号とハグできる今を堪能できてよかった。
あと少し、もう少しだけ、この時間を楽しませてください。
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