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温泉でしてた話の話〜テレビのニュースってみてる?



一般的ニュースはテレビでやっているニュース?
最近父と母に「テレビを見れるように設定しなさいよ」
と言われる。
私の家のテレビはニトリで買ったやつで、線を繋げば地上波も映る。多分。

北海道で友達と久々に温泉に行った。これは批判を呼ぶかもしれないが、私はタトゥーがちょこんちょこんと入っている。

いまだに温泉は刺青×の意味がわからない。でもなんとなくわかる。わからないふりをしている。

そんな私はガムテープかあの、捻挫した時に巻くテープ。あれがあれば1番いい。

あれを貼って私の元から焦げた肌にはよく馴染むから、湯船に剥がれるまでは浸かる。

そんな隠し事のある私は丸まり、湯船の先にテレビなどがあればそれを見つめる。広い温泉でうわあ、と手足を伸ばして入ったのはいつだろう。これもどれも過去に意味のわからない行動を一生懸命した私の傷跡だ。

お金が貯まればいつかレーザーで焼くがお金はあるけど今はいい。そんな気分だ。

ニュースを見ていると、
「人が若い人に跳ねられました。」
「自分の親を首を絞めて殺した少年」
「夫をナイフで刺した妻」
と上手いこと、視聴者に18禁に近い、それ以上の惨さを丁寧な言葉で淡々と提供する内容であった。

たまに流れてくるきれいな芸能人のビールのCMで呼吸が始まる。

地元のおばさまたちはこんな話をしていた。
「あっちでもこっちでも若い人はよく人を殺すわね」

「本当ね〜、何考えてるかわからないわよね『今の子』って」

「本当さ、私もいつ殺されるか、孫には殺すなら一息で言ってよとか言うんだけどさ」

「あんた、何言ってんのよ、そりゃないよ」

誰も若者のイカれ話を否定しない内容のない会話。私はこんなニュースを見るよりも、あの、深い夜に光るマンションやアパートの灯り。

そこの1人が抱える悩みや寂しさ。今日あったことの話を聞きたい、目に情報を入れたい共有したい。そんなことを思った。

なんだか、お年寄りと『今の子(?)』の間の溝は、人に造られた威力を買う事件を正統派のキャスターが淡々と2時間も3時間も放送するテレビのニュースと、1人の人の悩みや悲しみをそれもダラダラとぬらぬらとズボズボと足を踏み入れてしまうそのことで救われたり落ち込んだり参ったり、

そんな時に言われる
「あんたはちゃんとしなさいね」
と言う疑いの目なのではないか。

家族自身も疑われてしまうような互いの思想の違い、思いやりの方向性の違い、大切にしたいと形の違いが、想像を超える怒りや悲しみや不信感を、そして孤独を膨らませるのではないかと思った。

隣の芝は青いけれどその敷地も違えば範囲は広がる、広がり続ける。

ここを埋めてもあそこは人から思う芝の敷地は埋まらない。やるせない人生と思ってしまうような費やし方もできあがる。

上記の書き方はなんだか、宗教や洗脳じみていて嫌なので、芝の例えは辞めたい。

でもなんだか色塗りみたいでわかりやすい。

本当は丁寧に塗ることの出来たページを邪魔される感覚は、悲しいものだ。
どうか互いの価値観を言葉を発する前に少し思いやる、難しいことだから、言った後でもいい、寄り添うことがなんだか平和への第一歩な気がする。

歳をとると文字も読めないし、いろんなところが痛いし、目も見えなくて音も聞こえなくてどんどん世界がグレーになっていく。そんな恐怖や、悲しみや、寂しさとたたかう高齢の方にも寄り添いたい。

そしてそんな人から離れることができて1人で生活を営み灯りを深い夜に灯すあなたにも寄り添いたい。

したいだけの気持ちがどこに逃げるのか隠れるのか増殖して首を絞めるか、それは見てからのお楽しみ。

夜中は悲しくなるのでここまで。
お風呂浸かる季節ですね🛀私は今むくみを取ってます。彼女を待たせるとまたご機嫌斜めになるのでそろそろ上がらなきゃ。

それでは。

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