日記は「生モノ」
私は「生」なモノが好きだ。
正直今日の書きたかったことは全然違うモノだけれど、「ノートを書こう」
ブログと一体化したなんでも書いていいこの場で何を書いて
整理しようか、吐き出そうか、残そうか、散らかそうか、見られようか、さらけ出そうか、共感してもらおうか、想像してもらおうか、etc
とか思ったり思わなかったりして、迷ったりもして
そんな感じでまず、アプリを開くと、
フォローしている方たちのお気に入りの文章を見る。
この時間大好き。
今日も生きている、書いている、思っていると思うと存在しているを確かめられたり、思っている自分が許される気持ちになる。
次に、「今日のあなたにオススメ」を拝見する。
その中に日記があった。
私も最近日記を書き始めていて、これであっているのかな、なんて正解がないことにも隣の芝を何気なく覗く。
日記は「毎日」とか「適度な文章量」とか統一感を0 100思考の私は思い込んでいたけれど、
その人は、
・その日に感じたこと
・それがビックイベントでも、何気ないことでも構わない
・一日の文章量が小説の様だ
・一言の日もある
そんな感じだった。
正直私のこの前書いた日記の様だと思った。
私はそれが読みづらいし、なんでこうみんなみたいに統一感を持って綺麗にまとめられないかな、インスタグラムだって、なんだってそうだ。
意のままに考えているつもりなのに、
想像力や思考力、理性、
何かがずっと平均的に足りずに、行動してしまうのか、
あの人見たくうまくいかない。
と思っていた。
しかし、その人の日記が案外というより食い入る様に見てしまった。
なんだか、意のままに書いてあるその日の気持ちや文章はすごく
上質なその人の気持ちの「生モノ」だった。
あ、これって書く意味も、面白みもある。と確信した。
いつも主観で悲観している私は、こうやって周りに目をやったり、
面白さや新鮮を取り入れることで、
確信や自信にその時だけかもしれないけれど、
繋がることがわかった。
何より嬉しかったのが、
私の好きな食べ物は「生牡蠣」である。
あと「生ビール」も好きだ。
答えずらい場面でも、初対面の狙っている相手にでも、
いやらしいと思っている私も相手も相当なばかであるが、
「好きなものはなんですか?」
と聞かれると
「生モノが好きです」
と答える。
続けて
「なんでも「生」が一番です。一番心地いいし美味しいし、素敵です」
ああ、この歳になるといやらしいよな。いやらしいも含んで好きなのかもしれないけれど、そんなことにも気づいた本日、今この瞬間であった。
この好きなものの、イメージと感じたことと確信した自分の書く
日記の内容の「核」となるものは「生」
とイメージしやすいものと重なる気持ちのいい瞬間であった。
今日も日記を書きます。
あ程度書いて、量がやばくなったら載せるね。
私の生モノも楽しみにしてくれたら嬉しいです。