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毒親という解釈を乗り越えて

私の母親は過干渉な毒親でした。



実はこの2週間、彼氏の水戸を離れて実家に帰っていました。

久しぶりに親と生活するようになって、親も昔より丸くなってて、

うちの母親は毒親でしたと書いたけど、マインドフルネスやデイケア、本を読んだりして、気付いたことがあるんです。


ものは片付けない、愛情を押し付ける、とにかく過干渉。監視カメラみたい。すべてを把握したがる。

付き合った男、デートで何をしたか、セックスしたのかまでデリカシーなく聞いてくる、すべて知りたがるほんとにモンスターみたいなやつだと。



あの声も、

バカみたいに服を買ってるのも、

メルカリで一日4つは買って、毎日宅急便が家に届くのも、

片付けができなくて家をガラクタ屋敷にしてるところも


小さい頃から体が弱くて高校を留年したくらいで、私が小学生の頃に脳腫瘍で一年くらい入院したのをきっかけに、

いまだに毎年、毎月、手術や骨折をしている体の弱いところも。


稼ぎがいいわけじゃないのに買い物依存なのも、

それを指摘してもストレスの捌け口が買い物しかないのと言って逃げるのも、

帰ってきてカバみたいに寝てるところも、

私が家事を覚えたくても勝手に全部やって、覚えさせてくれないのも。

嫌いです。


ここまで読んだだけでもお腹いっぱいですね笑

嫌いなところを書き出すときりがないです。


まじで気持ち悪い、本気で死んでほしいと思うことも多かったです。

小学生6年の時、母が脳腫瘍で倒れ、大規模な手術し、死んでしまいそうだったことがありますが、その時に死んでくれないかなと思うくらいには小さな頃から母に違和感を持っていました。


あと、小6ではじめていじめを受けましたが、そのときにいてくれなかったのもすごく今でも恨んではいます。




でも、毒親に仕立て上げていたのは私なんじゃないかって思うようになってきました。


母はかまってほしくて、不安で、連絡をしてくる。

他に言う相手がいないから、私にLINEを送ってくる。

要するに私のことが好きすぎて大事にしすぎて壊しちゃってたんじゃないかと笑


私は特に、秘密主義者でけっこうほっといてほしい習性があります。



毒親にしてしまうのは簡単だけど、その愛情の大きさの使い方がわからないゆえに毒になってしまっただけなのかなと思うことも増えてきました。


私が大好きなトリカブトだって、劇薬で特効薬になるときもあるし猛毒で人を殺すこともできるわけです。


私は自分の誕生日にトリカブトの葉を30束文茹でた人間ですからね笑


毒を活かすも殺すも自分次第かもな、

母ちゃんも、かまってほしくてキャンキャン言ってるだけなんじゃないかと、

むしろ手懐けたらすげえ使えるんじゃないかと思ってきました。笑



料理はうまいし

洗濯なんてクリーニングやさんよりうまいから羽毛ぶとんからワイシャツまでプロ並みにやっちゃうし

毎日掃除機かけるし

どんなに辛いことがあっても絶対に病まないし

そんなに人を恨まないし

どんなにお金なくても一生懸命働くし

人をそんなにバカにしないし

父ちゃん見捨てて離婚しないし

なんか60過ぎて綺麗になって、40代に見えるし

馬鹿みたいに服持ってるけど服のセンスいいし

うるさいし自分の話しかしなくてダサいけどとにかく明るいし


こんないいところもあるよな、と思うと少し楽になります。

毒もうまく使いたい、私だって一生懸命向き合われて期待されるよりうまく使って欲しいもん笑

これからは母ちゃんの飼い慣らし方を覚えて、うまく使おうと思います。笑



母ちゃんはうるさいからいとこにいじわるされて、何度新潟行きの新幹線を買ってもキャンセルさせられて、

おばあちゃんに思うように会えないまま、おばあちゃんは亡くなりました。

おばあちゃんは認知症だったけど、私が遊びに行くと、「母ちゃんも一緒にきたんか?」「母ちゃん来たか?」と毎日毎日、母に会えることを楽しみにソワソワしていました。


私がしたイジワルじゃないけど、あまりにかわいそうじゃないですか。

もう届かない愛情をきっともて余して、大好きなお母さんが突然亡くなって、泣きたくても泣けない時だってあると思います。


大嫌いだったけど、実家のすべてを捨てて関西に逃げようと本気で思っていたけど、親は親です。

見捨てられないし、

私が双極性障害で働けなくても、借金しても、変な男に引っかかっても、文句そんなに言わずお金だってないのに出してくれたし心配してくれてた。

そのご恩を返さずに、突然いなくなることは

おばあちゃんなき今できないと思いました。



おばあちゃんが残したもの。

今ある現実。


親を毒親にするのは簡単です

たしかにダメだった部分もあったと思います


でも、毒親育ちだから自分はこうなったんだという拗ねる時期を乗り越えて、

毒親という解釈を乗り越えて、ヘタクソで失敗作でも大切に育ててくれた親と向き合うのって今の、これからの私には大事なのかな、と思います。


ちょっと無理もしてますけど、でもだって、これからも自分の不幸を呪い続けたってつまらないなと思うし

30過ぎたらなんか体力もなくなるし、マイナスなパワーばかりで頑張るのももうしんどいです。

どうせなら明るく過ごしたい(笑)


確かに親のめんどくさいところはあるけど、どこかで完璧な親像を作り上げて、それから少しでもはみ出したら「だから自分はこうなった、だから自分のせいじゃない(だから頑張らなくていいんだ)」って当てはめて楽になるの、ダサいからもうやめたいなと思ってきました。

だってもし、親がいなかったら、私は今生きていないと思う。少なくとも今の生活は送れていない。


ポンコツで、失敗作な娘でも、愛情を向けられてること

憎しみを押し付けられてるよりずっとマシだよなと思いました。



私はさ、反抗期がなかったから、これからも一生反抗期だと思うんですが

(母ちゃん死ねと書いたメモを中1のときに見られてから未だにそれを根に持たれてるくらい思春期に根に持たれたので、反抗期を迎えられなかった)

時々キモいなぁと思いながらも、私が帰ってくると安心して嬉しそうな母ちゃんをしょうがないなぁと思いつつも、


持っていないものよりも持っているものを見ようかな、

なくしたものより今あるものを信じようかなと思うようになってきました。


一生反抗期だけど、これからも毒親ァと思うこといっぱいあると思うけど、まあ少しは変わってきた気がするよということを、お伝えしておきます。

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