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薬物に溺れていたお母さん。
私のお母さんは薬物に溺れていた。
その中で生まれた私は体が弱いが、ひょっとしたら影響を受けてるかもしれない。
でも、憎んでない。
病気がちって"休み"が多くなることでしょう?
私って"日曜日が多い人生なんだっ!"って普通に思ってる。
気分が悪いのが日常で実際に今も(これは性虐待のトラウマ症状の方が大きいが)呼吸ができない。
薬を飲んでも効かない。
今日は薬物に溺れることについて話したい。
なんか、思うんです。
性行為のときってかってイク瞬間があるけど、そんなのすぐ終わるんだよなぁ。
でも、私は音楽を聴くとき思う。
感動の余韻とか過去の痛みをずっとずっと吐き気がるくらい感じてしまう。
これってすごく多幸感で最高で夢を育ててる。
この状態って、継続したまま永遠にイッてるんだなって。
だから、そんなに性行為に価値を置かないってか、置けない。んです。
感動ってGスポットだよな。
本当、肉体では感じないんだけど、人の優しさに泣く時とか、夢を持つ時とか愛する時とかって、めっちゃ今Gスポットじゃんって思う。(私は、エリート系じゃないからこんな感じの言葉ばっかだけど)。
所謂、薬物もイクことと一緒なんだよね。
性行為も薬物も衝動買いも精神的感動も。
ただ、この負のオーガズムってのは一瞬で終わって、もっともっと快感をって、結局、質を尊重しないし、ありがたみを感じない、感じられる状況状態ではない。
ということかなって。
禁欲しろとか思ってないけど、麻薬やっていいよって、言えない。
それは、生きる権利があるから、ではないです。それだと、死ぬ権利まで必要になる。
違う。
私は、生きる約束をしてきたって思う。
だから死ぬことは約束を破ること。
麻薬は体を悪くして死に至る危険があるから、同情したからってやめなっていう。
そこでキレられても思いやりって嫌われてもいいという勇気であるからいいひと振りたくない。そこは。
話を戻すけど、一方、精神的な感動だったりってのは、オーガズムが、ずっと続く上に感謝できる。
量じゃなく質を想える。
その選択肢を間違えることはやっぱり、その人が寂しさで飢えては状況で目の前のことしか見えないから、簡単な方を選ぶんだと思う。
だけど、それは、エネルギーをなるべく使わないように自然と生きるエネルギーを保存してる"質量保存の法則の悟り"でもあるのだと、シンプルにあなたは生きてることに真面目であるんだねって、褒めるべきところだと思う。
間違った選択でも、だ。褒めるべきとこはあるし、肯定すべきとこがある。
その上で第三者にならないこと。
そうして支えになる存在が大事だと思う。
だけど、人は他人に無関心だ。
よっぽどの人じゃないと無理だと思う。
私なら、そんな時、フィルターを通す。
こよなく愛してる人をメガネにする。
そこから景色を見る習慣をつけて、その人以外の人やこの世界すら愛するように努力をする。
だから麻薬に溺れなくても、あなたは働かなくたっていいから、
今は映画を見たり、趣味を探したり、旅に出たり、音楽聴いたり、面白いことを両手いっぱいに集めてプレゼントをもらう時期だよって言いたい。
"日曜日"を自分で設定することは怠惰じゃなくて、生きることに対して能動的だと思う。
だから、その中で感動しよう。
感動してその快感をせっかくなら永遠にして、量より質で生きようって言いたい。
私ができたならあなたもできるよ。
だって私っていじめられたし、ずっと虐待されたし、レイプされまくってたし、病気持ってるし、愛されなかったし、援助交際したし、万引きしたし、警察にも保護されてたよ。本気で底辺で生きてたの。ここ一年前までずっと20年間底辺で生きてた。
それが、今、どんだけ幸せだか、想像できないと思う。だから、絶対できるよ。