きっとみんな、かけがえのない虹のなかにいる。
短大を卒業して、今住んでいる町にきて随分と経ちました。
年数でいえば、故郷の2番目になるのですが生まれ育った町ほどの思い入れは、正直ない。
だけど、この町に住む人のことはなんとなく好きだなぁと感じるのです。
私にそう印象付けたのは、確か4~5年前の暑い時期だったと思う。
仕事が早く終わってまだ日が暮れていない、明るい夕方。
電車を降りて駅の駐輪場に置いてあった自転車を取りに行くと、空に大きな虹が2重でかかっていたのです。
綺麗だなぁと思いながらゆっくり自転車を押して歩いていると、駅から出てきた人たちが立ち止まって皆同じ方向を見上げていたのだ。
それはさっき私が見た虹で。
サラリーマンのおじさんも、若い子も、みんな空に向かってスマホを向けて写真を撮っていたのです。
なんだかその場面がとても微笑ましくて、虹も相まって柔らかい空気のなか
この町の人たちは一瞬を楽しむ心があるんだって思えて、そんなことがなんだかとても嬉しかったのです。
こんなにきれいな虹で、遠くにいる私たちにはしっかり見えているのに、
虹のふもとにいる人たちは気づいていないんだなぁ。
虹を見るたびに、飽きずに毎回思います。
「吉野弘/虹の足」
(略)
野面にすらりと足を置いて
虹のアーチが軽やかに
すっくと空に立ったのを!
その虹の足の底に
小さな村といくつかの家が
すっぽり抱かれて染められていたのだ。
それなのに
家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は見えない。
―――おーい、君の家が虹の中にあるぞオ
乗客たちは頬を火照らせ
野面に立った虹の足に見とれた。
多分、あれはバスの中の僕らには見えて
村の人々には見えないのだ。
そんなこともあるのだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが――。
小学生の時に読んだと思っていましたが、調べたら中学国語でした。
なんだかとっても印象的で大人になればなるほど、心にずしっとくる好きな作品です。
「幸福」は渦中にいると、なかなか気が付くことが出来ない。
ああ、幸せだなぁと思っても、慣れてしまうと悲しいかな当たり前のものになってしまう。
温かいご飯を食べられることも
安心して眠れる場所があることも
誰かと笑い合えることも
悲しみを話せる人がいることも
大切な人がいることも
挙げていったらきりがないほどに、幸せがあることも。
他の人の幸福にはすぐに気がつくことが出来るのに、いつだって私たちは虹の足元にいて、幸福に包まれていることに気づけない。
気付けないほど当たり前になってしまう、それもまた幸福なのかもしれない。
だけど、出来れば虹が消えてしまう前に
家から飛び出して、虹の足を触れるようになりたいと思う。
ありがとうもごめんなさいも、嬉しいも悲しいも
消えてしまってからでは遅いから。
メディアパルさんの企画に参加させていただきました。
ちょうど一か月くらい前に仲の良いお友達と住んでいる町について話していた時に「虹の足」のことを思い出していたところ、素敵な企画に出会えました。
そして書いた後に気づいたのですが、こちらの企画「心に残る物語」ですよね…。
すみません、私が一番心に残っている作品は「詩」でした(笑)
メディアパルさん、どうか大目にみていただけますでしょうか…。
読んでいただき、ありがとうございました。