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11. ”世界は存在しない”が”意味の場”は多数存在する ~ 概念モデリング基礎付けの最後のピースを埋める


はじめに

前回の予告通り、今回は、マルクス・ガブリエルの”新実存主義”の論考をベースにした、概念モデリングの”ドメイン”に関する考察を紹介します。

参考にした書籍

今回の記事で参考にした書籍は以下の通り。どんな書籍か簡単な紹介を加えて紹介しますね。

  1. 新実存主義 マルクス・ガブリエル 岩波新書
    新実存主義に関して、最初にマルクス・ガブリエルの論考があり、そのあとの3章で、チャールズ・テイラー、ジョスラン・ブノワ、アンドレーア・ケルンの3人による論朴があり、最後に、3人への論朴に関する回答があるという構成。面白い構成ですね…この構成、良いかも

  2. マルクス・ガブリエルの哲学 菅原 潤 人文書院
    マルクス・ガブリエルの様々な著書の内容紹介。日本語訳されていないものも多いらしいので、便利

  3. なぜ世界は存在しないのか マルクス・ガブリエル 講談社選書・メチエ
    マルクス・ガブリエルの著書。新実存主義を専門家以外でも読めるよう平易な文体・内容で解説。技術屋以外の一般読者に読んでもらう(いや、読まないかw)文章とはどんなものか参考になりましたとさ。他の3冊と合わせて読むと、より、理解が深まりまする。

  4. 現代思想2018年10月臨時増刊号 ~ 総特集=マルクス・ガブリエル 青土社
    マルクス・ガブリエル本人へのインタビューや、物理学者との対談、他の哲学者からの新実存主義へのフィードバック・反論等。ネット上の炎上や権威主義国家、一般常識のない政治家達等のおかしな言動は、全体の文脈と関係なく、一部を切り取ってあーだこーだ言うのも一因。かく言う私も自分の結論ありきの都合の部分だけの切り取りで論考を悪用しないためには、こういう幅広く反論も紹介されている書籍はありがたい存在

ちなみに、読んだ順番も上の数字の通り。以降の記事では、概念モデリングの Refine & Redefinition に関するトピックに絞って書きますが、混沌とした現在の世相を顧みるという意味で、沢山示唆に富んだ話題が取り扱われています。お時間ある方は是非、自分の眼で読んで、自分の頭で理解を試みてみることをお勧めします。

新実存主義とは

まず、マルクス・ガブリエルとは何者かから書いていくことにします。この方、ドイツ生まれの現役の哲学者です。新実存主義に関する著作「なぜ世界は存在しないのか」が出版されたのは2013年、邦訳されたのが2018年(めっちゃ最近じゃん)で、その時はとても話題になって、前述の4番目の現代思想で特集が組まれるぐらいには哲学界で騒がれたようです。当たり前ですが、全く知らなかった。。。本人は ChatGPT 批判等するなど、今も活発に活動されているようですが、哲学は文系の学問と認識されている日本では、理解できる哲学者が少ないらしく、日本ではあまり知名度はないようです。たくさん書籍を出しているようですが、残念ながら日本では前述の3番目の本と、「私は脳ではない」の二冊だけしか邦訳されていないとのこと。「意義の諸領野」は、概念モデリングにすごく関係しそうなタイトルなので、ぜひ、どなたか、翻訳してほしいところです。

”世界”とは?

さて、「なぜ世界は存在しないのか」ですが、哲学は問いを立てて、それに対して答えを見出していくというのが基本のようで、この文を理解するには、まず、”世界”と”存在”が何を意味するのか、それらの定義を知っていなければなりません。現代思想10月号特集によれば、

「世界」とは、ガブリエルの定義によれば「すべての意味の場の意味の場、それ以外のいっさいの意味の場がそのなかに現象してくる意味の場」であり、…

現代思想2018年10月臨時増刊号” P239

なんのこっちゃ、って感じですかね。ここではとりあえず、ここで止めておきます。

”存在”とは

次に、”存在”ですが、

「存在すること=何らかの意味の場のなかに現れること」

”現代思想2018年10月臨時増刊号” P239

”現れること”は”現象する”とも言い換えてよいようです。

何かが存在することは、何かが領野において対象であることである。「存在すること」、「対象であること」および「意義の領域において現出すること」は存在論的に同義である。これらはみな同一の事実を指示している。それゆえあらゆる領野は機能的概念でもある。。それは対象を浮き立たせる背景を指示する機能に役立っている。領野が対象を基礎づけ、基礎づけられた対象は別の領野のうちでも基礎づけられる。

マルクス・ガブリエルの哲学” P28

ちなみに、これ、”意義の領域”ではなくて”意味の領域”が正しいと思われます。フレーゲの言語哲学では”意味”と”意義”は厳格に区別されていて、他の本では”意味”という言葉が使われているので間違いないでしょう。

すでに論じたように、ゴットロープ・フレーゲの理論によれば、およそ表現の「意味」は当の表現の「与えられ方」として理解できます。ここでいう「与えられ方」は、まったく客観的なものです。当の対象が私たちに対してどのように現象するかにだけにかかわっているわけではありません。
~ 中略 ~
このような「意味」に対して「意義」とは、その表現が結びついている対象のことです。

”マルクス・ガブリエルの哲学” P252

なので、以降”意味の領野”または”領野”と書くことにします。ともあれ、”意味の場”と”意味の領野”は同義です。参考までに書いておくと、”なぜ世界は存在しないのか”では、”対象領域”と訳されていました。
こちらは、”現出すること”と書いてありますが、”現れること”、”現象する”という言葉と同じ意味です。

まぁ、要するに、”存在”とは、”意味の領域において現象すること”であり、逆に言えば、”存在”するためには、”意味の場”または”領野”が必要だという主張です。

そして、この

  • ”存在する”=何らかの意味の場に現れる

  • ”意味の領域”はひとつの対象に対して多数存在する

というのが、”新実存主義”の基本テーゼです。どういうこと?という読者は、”新実存主義”のP74や、”なぜ世界は存在しないのか”や”マルクス・ガブリエルの哲学”の第一章で挙げられている例を読んでみてください。

例えばですが、日ごろ利用しているスーパーマーケット(コンビニでもよい)を思い浮かべてください。あなたが今夜作ろうと思っている料理の材料を買いに来たお客だとすれば、どんな料理を作るか、それに必要な材料は何か、その材料となる野菜や肉、調味料などの場所はどこか、幾らで買えるかという”意味の領域”で陳列されている商品群は存在します。他にも、売り場をどういう順番で回れば一番早く買い物ができるか、という”意味の領域”において、商品棚と商品は存在しているよということです。一方、あなたが、そのスーパーマーケットの経営者なら、どんな商品が仕入れられてどんな風に並んでいて、いつ、どんな顧客が何を買っているかという”意味の領域”における商品や商品棚、顧客が存在していることになります。こんな簡単な例で3つの”意味の領域”が出てきましたが、同じ商品と言えど、それぞれの”意味の領域”においてそれぞれ異なる存在であると考えるのが新実存主義の肝です。実際には、上に挙げた”意味の領域”に加えて、スーパーマーケットとして使われている建物に関する火災法令や、SDGs的な消費電力や二酸化炭素排出量、冷蔵庫のメンテナンス、量子力学的な素粒子による構成、…、と、我々は無数の”意味の領域”に取り巻かれて生きている、更には、我々自身も、他者から見れば、数多くの”意味の領域”の中に存在していることになります。

世界は存在しない

元々の問いに戻りましょう。”意味の場”は、一つ前のセクションで判明しましたね。複数ある”意味の場”一切合切を含むような”意味の場(領域)”、これが、”世界”だよということです。そして、そんな世界は存在しないということ、これが、”世界は存在しない”ということの真意だそうです。
プラトンのイデア的な世界や形而上学的な一元論的な世界は存在しない、と言い換えた方がよいかもしれないですね。
書籍の説明は、なんとなく、全ての集合の集合を考えると数学的な矛盾が発生する、という論理構造に似ている感じも受けてはいますが。
ここで重要なことは、数多く存在する”意味の場(領域)”は、それぞれ異なる規則(ルール=意味)を持っているという点です。

ここで、第八回目の記事で取り上げたウィットゲンシュタインの言語哲学の話を思い出してみましょう。

世界は成立していることがらの総体である
世界は事実の総体であり、ものの総体ではない

ウィットゲンシュタインの言語哲学より

さらに、第3回目の記事のフッサールの現象学の話も思い出してみます。

① コギタチオ(意識体験)ーコギターツム(意識を向けている対象そのもの)という構造がある ー 現に知覚しているのはつねに一部、だがそれを通して全体対象を志向的に体験しているという事
② 「中心対象」と「背景野」という構造がある ー メルロー=ポンティ的には、「地と図」
③ 注意、配置という主体的な中心点がある

フッサールの現象学より

ウィットゲンシュタインの”世界”、フッサールの”背景野”を、新実存主義の”意味の場(領域)”とすると、言語哲学、現象学の考え方をほぼそのまま再利用できるようです。まぁ、ウィットゲンシュタインの場合、”世界”という言葉を使った段階で新実存主義的には間違っているわけですが、”世界”を”意味の場”に置き換えれば、言葉・文はその場のみで意味を持ち、意味の場は言葉・文によって記述されること自体は間違ってはいません。
実は、私は1990年代からずっと、Shlaer-Mellor 法のドメイン分割という考え方に慣れていたので、不覚にも(?)フッサール、ウィットゲンシュタインのこの言説を目にしたとたん、「あ~ドメインのことね」と早合点していました。要するに、ウィットゲンシュタインもフッサールのどちらもそれらがただ一つあるとか、複数あるとか一言も明言してはおらず、実は、それが、現在までに至る膨大な哲学的論争の一つの的であり、一つと考えるか、二つと考えるか、多数と考えるか、多数の場合何らかの構造を持つのか等で、実存主義的にも、観念論的にも、形而上学的にも、大論争のもとになっていたらしいということに驚きを感じています。

誤謬の理論

現実性とはある意味の場において対象が現象している状態のことである。可能性とはある意味の場の主導的意味のことである。この意味はある意味の場に現象するものの抽象化によって得られる

現代思想2018年10月臨時増刊号” P246 

何かが存在するということは、何かとして決定され、他の何か(「他者」)から区別されるということである。けっていされるとどうじに、存在する何かは、世界という全体の中に位置づけられるのであって、決定無くして存在はなく、全体なくしても存在はない。従って、「決定を構成する過程」を考えるということは、存在sが生成する過程を考えるということであり、世界の生成過程を考えるということである。決定の過程の分析を通して、存在の生成過程、世界の生成過程を明らかにできるということになる

現代思想2018年10月臨時増刊号” P229

ん?”世界”じゃなくて”対象領域”とか”意味の場(領域)”が正しんじゃない?
多分そう。ちなみに”決定”するとは”主体”に対して”述語付け”することだって。
それはさておき、決定するのは人間です。人間だもの、誤解したり間違えたりすることは当然あります。例えば、ヨーロッパ中世で魔女狩りをしていた僧侶の思考とか、ガリレオ以前の天動説、光を伝搬するエーテルとか、実際にその後の文明の発展の過程で、間違いが正されてきています。重要なのは、間違っていれば修正すれば良いという点と、その間違い自体が一つの”意味の場”ということで、それがただ一つの真実ではなくて、多数あり得る”意味の場”の一つに過ぎないという相対化による、思い込みからの脱却ができるという点にあります。
そういう意味では、穏当な哲学的見解と言えるのかなと。フッサールの言説を読んでいて、うすうす、「このやり方だと、俺はこう思う、いや俺はこう思う、という思い込みの強い人たちを納得させるのは無理なのでは?」と思っていましたが、で、背景野がただ一つしかないなら、絶対無理だろうと思いますが、そもそも存在は多数あり得る”意味の場”でしか存在できないなら、そして、それら”意味の場”同士に優劣や上下関係がないなら、比較できるよね、ということです。

概念モデリングの定義について

さて、こちらが私の本題でした。新実存主義の言説のうち、概念モデリングの見直し、基礎付けには、基本テーゼだけで十分でした。
このコラム集のマガジンの3、5、7、8 の回で、哲学や数学による基礎付けを行ってきて、まぁ大体十分な論考ができたのではないかと、思っていましたが、新実存主義の存在を知って、”6. ドメインと IT システム構築”で解説している”ドメイン”の定義があいまいだったなと痛感したわけですね。このドキュメントでは、

※ 本稿で“ドメイン”と呼んでいるものを簡潔に説明するのは大変難しいのですが、例えば、複数人で何らかのテーマで議論をしている最中に、同じような言葉を双方が使っているのにも関わらず議論が全くかみ合わないことがあります。これは議論の当事者それぞれが頭に描いている主題がそれぞれ違っている、あるいは、観点が異なっていることに起因します。概念モデリング的には、それぞれの議論の当事者が思い描いていることがそれぞれ独立した“ドメイン”を頭に描いて、議論をしていると考えます。他社とより良い議論をするために、議題のドメインを明確化しましょう。

6. ドメインと IT システム構築” 2024/3/31 時点の補足の記述

と書いていました。実際、”現代思想2018年10月臨時増刊号” のP13 に、”ですが「領域(domain)」の定義はいかなるものですか”という問いに対して、”そうですね、それは扱いにくいものです…”とガブリエルが答えているぐらい扱いにくいもの、らしいので、私ごときがうまく説明したり的確に言及できるものではないらしい(苦笑)。

Shlaer-Mellor 法のドメイン = 意味の場(領域)

いきなりの結論で申し訳ないです。”Art of Conceptual Modeling”で解説している”ドメイン”、あるいは、”主題領域”とも言っていますが、これは、新実存主義でいうところの”意味の場(領域)”、”領野”であると、言ってよいだろうと、いうのが私の結論です。

概念モデリングでは、モデル化対象となる現実世界のことをドメインと呼びます。モデル化は、解決したい問題や、理解を深めたいテーマ等の観点のもとに行います。それらを構成する主題の集まりでもあるので、ドメインは、モデリングに対する主題領域の世界とも言えます。
モデリング開始時点でのドメインの定義は、モデル作成チームメンバーの意識合わせのための簡潔な三行程度のシンプルな説明文や、いくつかのビジネスシーンを描いたスケッチなどがあれば十分です。何しろ、その詳細が分からないからモデルを作成していくのですから、曖昧な記述しかしようがありませんから。

6. ドメインと IT システム構築” 2024/3/31時点での”ドメインとは”

概念モデリングにおける”ドメイン”という概念は、ベースとなっている Shlaer-Mellor 法の”ドメイン”の受け売りです。
※ しかし不思議なことに、Shlaer-Mellor 法、あるいは、その現代版の Executable & Translatable UML の書籍を読み直しても、”ドメイン”に関する説明がないのよ。。。なぜだろう?

概念モデリングの道具立ては、

  • 概念情報モデル

    • データ型

    • 概念クラス

      • その特徴を表す特徴値の組を持つ

    • Relationship

      • 概念クラス間の意味的関係

    • External Entity

      • 外界との境界

    • ドメインオペレーション

      • データフローで記述

  • 概念振舞いモデル

    • 概念クラスごとに作成

      • 状態モデル

        • 事象

        • 状態

        • 事象発生による状態遷移

        • 状態のエントリに紐づいたアクション

          • データフローで記述

です。概念情報モデル(結果的に概念クラスに紐づいた振舞いモデルが包含される)は、ドメイン毎に作ります。概念クラスをひな型に、概念インスタンス(特徴値の値が確定している)が実際には存在し、Relationship で規定された多重度と意味において、二つの概念インスタンスの間に意味的なリンクが存在します。この概念インスタンスとリンクは、ドメインにおいてのみ意味を持つ存在です。
8回目の記事では概念モデリングの道具立ては言語と同程度の記述能力を持つことを確かめています。よって、ドメインは概念モデルによって規則付けられることになります。
新実存主義のテーゼに従えば、何か(概念インスタンス・リンク)が存在するためには意味の場=ドメインが必要であるので、ドメインという存在はモデル作成上の便宜的な道具ではなく、哲学的な意味で必須のアイテムであるといえるでしょう。
概念モデリングを行う時だけでなく、何らかのモデリング技法を使う場合は、いつも、”意味の場”を考えた方がいいと思いますけどね。

加えて、”6. ドメインと IT システム構築”で解説しているドメインチャートですが、

”6. ドメインと IT システム構築” ドメインチャート

Shlaer-Mellor 法の時代から、ドメイン同士は優劣も上下も階層もありませんでした。階層がないのは不思議だったのですが、新実存主義の”意味の場”であれば、それも当然のことだと、今回腑に落ちた次第です。ドメインチャートでは矢印(ブリッジと呼ばれる)が記載されていて上下関係っぽく見えますが、右下の姿が本来の意味なので、A と B を結びつける”意味の場”と考えれば、特に論理的な齟齬はないでしょう。

ずっと、ずぅーっと、”ドメインとは何ぞや”というモヤモヤ感を抱いてきた(多分、日本の Shlaer-Mellor 法の仲間たちもそうだと思う)のですが、30年の時を経て漸く、腑に落ちる言説を見つけることができました。言語哲学的にも、数学の圏論的にも、昨年(2023年4月)から始めた Refine & Redefinition の作業が漸く終わりを迎えました。
いゃぁ…嬉しいことこの上なし。

今回の調査というかお勉強で、ドメイン(呼び方的には Sense of Field :領野と呼び変えた方がよいかも)とは何かが明確になったので、”6. ドメインと IT システム構築” は今後書き換えていく予定です。
更に、”概念モデリングワークショップ”の簡易版を作ろうと思っておりまして、半日とか1日で終わるぐらいの奴ですかね。その流れも、まずは、”意味の場”とかから話を始めてもいいかな、なんて思ってますので、お楽しみに

圏W は世界そのものだから存在しない

このコラム集の5回目の記事では、数学の基礎付けで最近活用されている圏論からの概念モデリングの考察を行いました。その中で、モデル化対象の世界を 圏W と呼んでいました。W はもちろん World の頭文字。まさに私は、新実存主義における世界の意味で 圏W を考えていたので、新実存主義の定義によれば、世界は存在しないので、圏W も存在しないことになります。元々、この 圏W はぶっちゃけてしまうと、かなり曖昧でごまかしを含んだもので、将来的な修正が必要でした。
意味の場における対象の存在は、新実存主義によれば、アプリオリにあり、それをどういう意味の場での現象とするかは人の決定によるとのこと、そして、モデル化する=対象を決定して記述することなので、モデル化する対象は、世界全体ではなく、意味の場、あるいは、意味の領域、領野であると言えます。なので、モデル化対象は、今後、圏S と呼ぶことにします。この S は、意味の場のことを、Sense of Field と呼ぶらしいので、その Sense の頭文字です。それ以外の私の解釈・論考に変更はありません。
アプリオリにある対象とは対照的に、その対象が何者かは人が決定するものであり、圏S にあるモデル化対象は存在はするものの、それが何者であるか、どんな特徴づけがなされるかは、モデルを作成することによって決まってきます。この特徴も、モデル作成におけるドメインの明確化の過程と一致しています。
う~む。。。今、”ドメイン”という用語を使っているけれど、”センスオブフィールド”と言い換えた方が良いのか、主題領域は、領野という言葉に変えようとは思っていますが、悩むところです。

最後に

漸く、一年にわたる探求の旅が終わりました。
それにしても、Shlaer-Mellor 法が世に出たのは1990年、それから早34年の歳月が経っています。そんな昔に新実存主義的なドメインとかモデリングの技法を提唱した、Steve Mellor 氏と Sally Shlaer 氏 の凄さを改めて実感しました。…あまり賞賛しすぎると一元論的形而上学の世界に嵌ってしまうので、注意が必要

実際、”現代思想2018年10月臨時増刊号” P275で書かれているように、自然主義の帰納法に対するガブリエルの論考に対する反論は、「まさにその通りだよね」って感じだったりします。

常に、”意味の場”は多数、並行して、優劣なく存在していることを忘れずに、これからも著述を進める所存。

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