『アンチワーク哲学普及協会』メンバー募集中
■労働なき世界は可能である
上司のわがままに振り回されたり、モンスタークライアントに頭を下げたり、単調でつまらない作業に延々と取り組んだり、自己啓発書を読んで強引にキラキラしたやりがいを見出したりせずとも、労働なるものがなくとも、誰もが豊かで幸福な人生を歩むことができる。
そんな「労働なき世界」が可能であると言ったなら、あなたは信じるだろうか?
その世界では、あなたや僕が労働しないだけではなく、誰も労働しない。
無意味にダラダラする日もあるだろう。誰かに優しくする日あれば、優しくされる日もあるだろう。何か崇高な目的のために身を粉にすることもあれば、目的もなくブラブラすることもあるだろう。だが、その全てが自分の意思で、イキイキと、ワクワクしながら取り組むことができる。それでいて、暖かいベッドで眠り、たらふく好きな物を食べて、子どもと遊び回り、好きな漫画を読み、ネットゲームに熱中するのである。
常識的に考えれば成立しない。しかし、アンチワーク哲学が可能であると叫んでいる。
初めに断っておく。僕は「ロボットやAIが自動化してくれるから労働しなくていい」と言っているわけではない。自動化はある程度までは有効だが、現在「労働」とされている作業の大半は、機械で代替することは不可能である。
では、なぜ「労働なき世界」は可能なのか?
■労働なき世界が可能な理由
僕はその根拠を、さまざまな書籍の中で書いてきた。
労働なき世界が可能な理由は大きく分けて2つ存在する。まず1つは、世界が必要とする労働量がそもそもそこまで多くないという点である。
富を奪い合うだけのマーケティング合戦のために膨大な資源と労働力が浪費され、人々はブルシット・ジョブに苦しんでいる。その結果、過剰生産によって廃棄される商品やサービスにまつわる労働も、必要以上にエッセンシャルワーカーを苦しめている。つまり、僕たちが豊かに生きるために必要な労働以上に、僕たちは働いている。
玄米と高野豆腐を食って坐禅を組みながら生きていけばいいと言っているのではない。僕たちは余暇の代わりにショッピングやエンタメを選んだわけではなく、余暇の代わりにブルシット・ジョブや、過剰生産を選んでいるのだ。少年ジャンプやプレイステーションを楽しみながらも、余暇を手にすることは十分に可能である。
もう1つの理由は、労働とは、人の能力を組織化する上で、非効率であるという点である。食べ物を作ることや、家を建てること、そのような営みを効率的に組織化するなら、自発性に任せる方がいいのである。しかし、負債の返済と食い扶持の確保のために生殺与奪を握られた労働者たちは、上司や顧客などのコントロール下で働くこととなり、極めて非効率に働いている。社会を成り立たせるのに必要な作業は、自発性を持って取り組む方が効率的なのだ。
人間は労働と余暇の二分法を超えて、そもそも「何かをやりたい」という欲望を持っている。その欲望はピクミンをプレイしたいなのかもしれないし、ホームレスに飯を食べさせたいかもしれないし、壊れたトイレを直したいかもしれないし、外壁塗装したいかもしれないし、彼氏とコスプレセックスをしたいかもしれない。
本来、人間の行為全てが喜びに満ち溢れている。しかし、労働はそれらを不愉快な作業に堕落させる。労働の不愉快さの原因は、他者の支配下に入ることなのだ。だからこそ、他者の支配から逃れられるなら、労働は労働であることをやめる。
そのための第一歩がベーシック・インカムなのだ。ベーシック・インカムの核心は、支配からの解放である。ベーシック・インカム論者はかつてよりも増えてきているが、その本質を理解する人は少ない。僕の労働哲学を通じて、ベーシック・インカムの真のメリットを知れば、その実現を拒む理由はない。
そんなことを僕は著書に書いてきたのだ。
■労働なき世界は可能だが、このままでは実現しない
しかし、これまで本に書いてきたことは、現時点では机上論に過ぎない。
「労働なき世界」を実現させるためには、僕のアンチワーク哲学をさらに普及させていき、僕の思想に共鳴する人々が次々に現れ、世間の価値観を塗り替えていく必要がある。それと同時に、ベーシック・インカムの実現に向けた政治的行動が欠かせない。
ベーシックインカムは、現在の労働主義、金銭崇拝、利己的な人間観といった価値観を転換させる。が、価値観を転換させなければベーシック・インカムは実現しない。つまり、価値観の転換と、ベーシック・インカム実現は相互に影響を及ぼし合うプロセスであり、同時進行する必要がある。
僕はこのプロジェクトを進めたい。心の底から実現させたいと願っている。全身全霊をかけてこの活動に取り組みたいと思っている。無力感を噛み締めて我慢する日々には、もううんざりしているのである。
「とは言っても、そんな大層なプロジェクトは一介の素人の手には負えないのではないか?」と思われるかもしれない。しかし、素人であることは、決してハンデではない。むしろ、素人だからこそできるのである。
■本物の哲学者は、常に素人である
僕はマルクス研究やハイデガー研究で博士号を取得したエリートではない。ゆえに僕が哲学を語ろうとも、素人特有の粗雑な暴論に過ぎないという印象は避けられないだろう。
だが、哲学とは、その時代に権威となっている思想や常識を徹底的に解体し、新たな思想体系を打ち立てるという徹底的なスクラップ&ビルドである。ならば、それ自体が1つの権威となっている大学の哲学科の中から、真の哲学者が登場することはあり得るだろうか? 彼らの先人たちや、彼らの生活を成り立たせる権威を否定する徹底的な破壊が可能だろうか?
できなくはないだろう。しかし、適任とは言えない。
真の哲学者とは、大学の外側で徹底的に哲学した人間である。例えば、プライベートの時間を投げ打ってでもわざわざ本を出版するような人間や、利益にもならないのに600も700も記事を書き、哲学を発信するような人間である。つまり世界を変える哲学を生み出せるのは、僕であり、僕たちなのである。
■メンバーシップはじめます
「僕たち」と書いたのには理由がある。もし、このプロジェクトに共感してもらえるのであれば、あなたにも参加してほしいのだ。
僕はこれから、「労働なき世界」を実現するための活動を本格化させたい。そのための支援を必要としているのである。だからnoteのメンバーシップを始めることにする。
労働や営利がもたらす害悪を主張する僕が有料のメンバーシップを始めることに対して、居心地の悪い思いがないではない。葛藤もある。だが、これは市場取引ではない。僕がサービスを提供して、その対価としてあなたがお金を払うという類のものではない。
僕はパトロンになって欲しいとお願いしているのである。僕はマルクスを超えたいのである。マルクスを超え、世界を変える哲学者を生み出すために、支援して欲しいとお願いしているのである。
知的な意味でマルクスを乗り越えた人なら、ごまんといる。少なくとも、乗り越えたと自称する人物なら、枚挙にいとまがないだろう。しかし、彼らは決して変化を起こさなかった。せいぜい、象牙の塔にこもった学者たちがその文章の重箱の隅々まで喧喧諤諤と議論をするだけで、自分たちが知的に卓越していることを確認し合うことにしか使われなかった。
そういうシニカルな妥協は、もういらない。知識人だけではなく、大人のほとんどはささやかな夢しか語らない。だが僕は大人になることを拒否した人間なのである。ならば、大言壮語も吐いてやろうと思う。
世界を変えたい。協力してほしい。
■メンバーシップのプラン
僕は資本主義を否定し、市場経済を否定する男である。お金を払ってくれる人とそうでない人を差別することは、できることならしたくない。だから、今まで通りnoteの記事は基本的に無料で公開していく。
プランは3つに分けるが、それぞれのプランによって機能は区別しない。金額だけが異なる。繰り返すが、僕は支払い能力によって扱いを区別したくないのである。
ただ、支払い能力によって負担を区別したい。「能力に応じて貢献」というわけである。世間には学割が存在するのに、ニート割は存在しないし、ブルジョア上乗せも存在しない。学生に金がないのは仕方ないが、ニートが金がないのは自己責任というわけだろう。僕はニートに金がないのは自己責任だとは思っていないので、こうする。
1.ニートプラン(月100円)
ニートプランと銘打っているものの、厳密なニートである必要はない。目安としては住民税非課税世帯の方ということにしておく。あるいは、精神的にニートである人も、こちらのプランに加入してほしい。要は自己申告である。本当は0円にしたかったのだけれど、noteの仕組み上できないようなので仕方なく100円。
2.プロレタリアプラン(月1000円)
1にも3にも当てはまらない人ということにしておく。もちろん、これも自己申告である。
3.ブルジョアプラン(月1万円)
目安としては世帯年収2000万円以上の方だが、自分はブルジョアであるという自負がある方は、こちらへ。もちろん、自己申告である。
※ちなみに月100円も出せないという方は、それはそれで構わないのである。どのみち記事はこれからも無料なのである。無料で読んでくれて、応援してくれればそれだけで嬉しいのだ。
■まとめ
まぁ要するに、これからもっと本格的に活動していきたいので、大っぴらに応援してくれると嬉しい。陰ながら応援してくれても嬉しい。そんな感じである。