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資本主義の犬は労働なき世界の夢を見るか

インターホンの向こう側にいたのは、作業着を着た青年。チワワのように物憂げな瞳の奥からは、男の子と呼んでも差し支えないくらいの純朴さが滲み出ていた。

恐らく20歳くらい。高校を卒業してすぐ就職し、なんらかの現場仕事に就きはじめて1年か2年、といったところだろうか。

はて、そんな青年が一体何の用事だろう?

不意の来客が、インターホンの向こうで何かを話していても、だいたい聞き取れない(あるある)。埒が開かないしとりあえず出るか、と思い玄関を開ける。

現れたのは、つぶらな瞳がよく似合う、165センチほどの小柄。職人姿といっても、コーナンではなくワークマンで一式揃えてそうな少し小洒落た格好で、それでも真面目な印象を損なわないちょうどいい抜け感である。

品定めする僕に対して間髪入れず、せかし立てるような早口で青年はこう言った。

「近くで工事させてもらってた者なんですけど、お宅の屋根の瓦がズレてて危ない状態やったから、ちょっと声かけさせてもらいまして…」

危ない、と言われるとドキッとする。ほんの少しだけ心臓の音が高まる。

どういうこと?と思った僕は青年に誘導されるがまま玄関を出て、屋根の一部が見える位置へと移動する。

「ほら、あそこちょっとズレてるのわかりますか?」

「あーほんまですね…」と相槌を打つ。だが、屋根に登って見ているわけではないので、よく見えない。どこがどうズレているのかよくわからない。言われてみれば若干ずれているような気もする。このレベルのズレで何がどう危ないのかもわからない。なんせ素人だ。

「ここ、風当たりも強いんで、もしどっか飛んで行ったりしたら人に当たったり、建物に当たったり危ないですし、ズレたところから雨漏りするかもしれないし…」

捲し立てる姿を見て危機感が込み上げてくる。職人らしき青年が言うのだから、きっとそうなのだろうか。

話を聞いていると、彼は近所で工事をしていてたまたま危険な状態の屋根を発見し、いてもたってもいられず危険を知らせに来てくれたらしい。別に営業でもなんでもない、ただの職人なのだというのに。

なんと親切で、情に厚く、責任感の強い好青年だろうか。そう思わずにいることは難しかった。

「今週また工事で近くに来るので、そのときでよかったら屋根の上点検しましょか? 多分ちょっとずれてるだけなんで、3000円かそれくらいの作業で済むと思うので。もしもっと本格的な工事がいるってなったら、その時はまた考えてもらったらいいですし…」

ちょっと営業っぽくなってきた。とはいっても、彼は職人なのだ。それで飯を食っている以上、タダで工事するわけにもいかないだろう。それに、至って良心的な提示だ。3000円かそこらで危険を回避できるなら、安いものである。

とは言え、我が家の点検はいつも知り合いの業者にお願いしている。その人たちを無碍にするわけにもいかない。それに、お人好しの僕でも流石に飛び込みでやってきた青年を全面的に信頼しない冷静さは持ち合わせていた。

「ちょっと、知り合いの業者さんにも相談してから、また連絡していいですか?」
「わかりました! 僕いま名刺ないんでケータイ番号教えますね!」

というわけで、翌日に返事をするということで話をつけた。

知り合いの業者に頼むか、それともその青年に一任するか。僕は揺れ動いていた。知り合いの顔を立てたいという気持ちもある反面、親切でわざわざいいにきてくれた青年にお願いしたい気持ちもあった。

妻とも相談した結果、とりあえず知り合いの業者に相談することにして、結局、知り合いが点検してくれることになった。ついでに色々と見てほしいところもあったので、ちょうどよかった。

というわけで、青年の親切心を断らなければならなくなった。ほんの少しの罪悪感。あのチワワのような目に悲しみが満ちていくのかと思うと、心苦しい。

そして翌日の朝、電話がかかってきた。

「もしもしー。昨日、屋根の件で訪問させてもらった○○ですけども、検査の件どうしますか?」

そして、事情を説明して断った。「せっかく親切で言うてくれたのにすみませんねぇ」と何度も誤った。「そうですか‥」と、青年は電話を切る。やけにあっさりと引き下がるなぁとも思ったけれども、まぁともかく禊は済んだのである。

これにて一件落着。




‥と思いきや、再び携帯に着信。宛名を見ると先ほどの青年である。

なにごとか?と思ってもう一度出る。もしかすると何か伝え忘れたことがあるのだろうか?

「もしもしー。昨日、屋根の件で訪問させてもらった○○ですけども、検査の件どうしますか?」

耳を疑った。ボットのような同じ声で、ボットのような同じ話。まるで、この短時間でループ系の異世界に迷い込んでしまったかのようだった。

0コンマ1秒たって、全てを察知した。

「いや、さっき同じ連絡をもらいましたけど、間違いちゃいますかね?」
「あ‥(1秒の沈黙)失礼しました」

どうやらこれは資本主義の仕業だ。

彼は恐らく、我が家と同じように何軒も何軒も訪問して、似たような約束を複数取り付けていたのだ。そして、次から次へと電話をして同じ話をしているうちに、誤って同じ電話番号に2度かけてしまったのだろう。

そう考えなければ本来、営業するはずもない職人が、何軒も電話をかけていることに説明がつかない。瓦が今にも剥がれかけて危険という状況が、そう何軒も同時に起きているわけはないのだ。

職人という立場は、警戒されがちなセールストークからは程遠い印象がある。スーツ姿の子男に出会い頭で名刺を差し出されると、誰しも心のシャッターを閉める。しかし、「名刺を持ってなくて‥」と申し訳なさそうにした職人の青年が言うなら、「プロがわざわざ親切で言ってくれたのだからそうなのだろう」と感じるのが普通だろう。

親切心だと思ったものは、計画的に演出されたセールストークでしかなかったのだ。

さて、この事態をどのように受け止めるべきだろうか?

きっと、人によって受け止め方は異なると思う。

ある人は、青年は薄汚れた欲望を瞳の裏側に隠した詐欺師であると憤るかもしれない。あれよあれよと言ううちに青年を信頼するのを見て、ほくそ笑みそうになるのを我慢してきたのか?というわけだ。

だが、僕はそうは思えなかった。

彼は、就職して自立した大人として金を稼ぐために、会社の命令で詐欺に片足を突っ込んだような営業活動をやらされているのだろう。それを彼が楽しんでいるとか、会社から支給されるインセンティブで焼肉を食いに行くことを想像して舌なめずりしながら営業していたとか、どうしてとそんな風には思えない。

きっと人を騙くらかすようなやり方に罪悪感を抱いているのではないだろうか?

その罪悪感から目を逸らし、上司の命令とインセンティブに気持ちを集中させ、心を殺して、それに成功したり、失敗したりしているのではないだろうか?

想像してみよう。

彼が労働やインセンティブとは無縁のままで、職人をやっている世界を。近所を歩いて、たまたま瓦の屋根の状態が悪いのを発見して、使命感からインターホンを鳴らすような世界を。

もしそんな世界であったなら、僕は疑心暗鬼になる必要もなく、彼に即座に心を開いただろう。そして、屋根に登ってもらって簡単に工事を終えれば、僕は心の底から感謝し、青年は心の底から誇らしげな気持ちになれるだろう。

僕は彼を夕食に誘って、その人となりを聞いたり、趣味の話をしたり、盛り上がるかもしれない。

それが「労働なき世界」なのだ。

しかし、僕たちが暮らしているのは労働なき世界ではなかった。誰もが金を稼ぐために労働し、罪悪感を誤魔化しながらインターホンを鳴らさなければならない。

こちらもこちらで、無意味に金を浪費するのは避けたいから、騙されないように警戒しなければならない。警戒して、腹を探り合い、騙し、騙される。

何と馬鹿馬鹿しい限りだろうか。もし仮に、万人が労働の義務から解放されていたなら、わざわざ疑う必要もない。わざわざ詐欺にかける必要もない。親切と感謝の応酬だけで世界が成り立つのだ。

それに、客を騙して食べに行く焼肉よりも、使命感と親切心で工事を終えた後の達成感の方が、何倍も人の心を豊かにするだろう。

僕たちは肉の切れ端で満足する家畜ではない。人に貢献し、役に立ち、自分の能力を発揮することで、より大きな満足を得られる生き物である。それこそが生きているっていう実感に他ならない。

労働は、生きている実感や役に立つ喜びを奪う。たまに与えてくれるが、奪うことの方が多いだろう。労働や金を抜きにしてやった方が、人間という奴らは効率よく動くはずなのに。

あの青年の物憂げな瞳は、きっと生きている実感に飢えていたのだ。資本主義の犬となっている自分を救ってくれる、労働なき世界を本能で求めていたのだ。

この世界を変えなければならない。彼を資本主義から救うために。

僕が見せてあげる。労働なき世界を。

そして僕は‥


僕は‥




※デスノート、アイフルのCM、フィリップ・K・ディックと、パロディが渋滞していることは反省している。すまんかった。でも思いついたからやりたくなったんだ。

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久保一真【まとも書房代表/哲学者】
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