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他者を理解するには、まず自分を知ることから

今この文章を書き始めているのが、明け方の4時。
日本との時差がある国の旅から帰ってきた直後の時差ボケのような。
でも、心や脳の奥の方は、とても清々しく冴え渡っていて心地よい感覚。

半年間のAOC(Art of Coaching)の学びが、昨日無事に修了して、
今はまさに長い旅を一旦終えて、一息ついているような。そんな感覚でいます。

よし!自分はコーチを目指そう。
では、良いコーチとは、果たしてどんなコーチなのか?

半年前は、そんな決意と期待の出発点にいました。
そこから、想像を遥かに超える学びの旅が始まりました。
自分の闇の部分を知っては愕然とし、考えもしなかった壮大な問いに脳みそがオーバーヒートし、仲間の温かいサポートに涙を流し。
逃げずに本気で向き合った半年間。

さらにこの先の新しい一歩を踏み出す前に、本気で向き合った記録を残しておきたいと思います。
また、考えただけでも、長いアウトプットになりそうなので、以下の連載シリーズで書こうと思います。

第1章:相手を理解するには、まず自分を知ることから
第2章:大いなる問いが深い洞察に繋がる
第3章:人生が自分に求めることは?

早速今日は、「第1章:相手を理解するには、まず自分を知ることから」について、書いていきます。

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私が最初に面食らったのは、相手を理解するには、まず自分のことを理解することから、ということでした。まずはそこからスタートすることで、その先に「傾聴」や「承認」、という扉が開くことを知りました。

そして結論から書いてしまうと、「これが自分」だと思っていた自分は、ほんの一部分に過ぎないのだということです。氷山の一角のように、表出している(意識化できている)自分の水面下には、無意識に見ようとしていない自分、認識できていない自分が確実にいる、ということでした。

それを知る手がかりとなることの一つが、「自分が持っている価値観 / フィルターを知る」ということです。また、知る方法として分かりやすいのが、自分の両親を見ることでした。

見つめることで、両親に対して抱いている良い面/悪い面、どちらも確実に自分の中にあること、また二人からの影響を受けて出来上がった価値観があることにも気がつくことができました。

父は私の絶大なる支援者でした。
例えば、小学生の時に中学受験をした際。
残念ながら第一志望校に落ちてしまいました。
望んだことがいつでも手に入るわけではないんだ。
人生で初めて味わった挫折経験でした。
そして、覚えているのは、父は結果よりも過程を褒めてくれたことです。
友達と遊ぶこと、好きなテレビを見る事などを我慢して、受験勉強を頑張り抜いたことにフォーカスし、そこをひたすら労ってくれました。
その後も、私が色々と何か物事を選択したり、決断する際、父は私に対していつもそんな姿勢でいてくれました。考え直せ、とか反対を示したことは一度もなく、やってみることの大切さを説いてくれました。

結果を恐れて進まないより、まずは行動してみることが大事。
私がその様な価値観を持つようになったのは、父の私への姿勢が影響を与えてくれたのだと思います。

そして母は、好奇心と社交性のおばけでポジティブの塊です笑
以前、仕事でとても悩んでいた時期がありました。
深夜に帰宅し、「もう限界だ…」と、リビングで呆然としていると、母が起きてきました。ポツリポツリと、その時悩んでいることを母に相談すると、思わぬ返しがありました。
「試練は、それを乗り越えられる人のところにやってくる。限界って決めるからそう感じる。イチローを見てみなさい。今、あの人くらい努力しているって言える?」と言われました。
落ち込んでいる娘を励ますどころか、天下のイチローを引き合いに出し、もっとやれるだろう、と。確かに、母から弱音を聞いたことはありません。

限界を決めずに努力すること。辛い時でも、物事の良い面を探して前を向くことで、必ず次の展開が開けること。
母からは物事をそんな風に捉える自分を作ってもらえたような気がします。


そのように一つ一つ作られた価値観をフィルターと呼び、私たちはそのフィルター越しに世界、物事を見ているのです。同じものを見ても、人により捉え方、見方が違うのは、当然だな、ということが分かりました。

また、そのように一つ一つ生まれた価値観が、それを大事にする色々な人格として、自分の中に形成されることになります。それを、「パーソナリティ」と呼ぶのだ、ということを学びました。

例えば、私の中に、先に書いた「行動が大事!」というパーソナリティが存在します。逆に、「行動する前に慎重にリスクや過去の事例も検討/検証して盤石な体制で進むことが大事!」という価値観を持つ人もいるのです。

そんな二人が、一緒に何か物事を始めようとする際、何が起きるか?
進みたいと思う私に対して、リスクや結果へのコミットなどを問うてくる相手に対して、私はイライラしてしまうんですね。もっと言うならば、私の中の「行動力命!」のパーソナリティが、反応してるのです。
こういうことが、本当によくありました。

でもね。今は対処の方法がわかります。
私は、ちゃんと向き合うことが必要なんです。
一人は、リスクを考えよう、という慎重さを大事にする相手です。
そして、もう一人は、私の中にいる「行動力命!」のパーソナリティと、です。
そのパーソナリティの声にも耳を傾けて、客観的に聞いてみる。
それを意識的に行うことで、目の前で起きている事象が変わって見えてくるから不思議です。
相手の言い分、自分の中のあるパーソナリティの言い分。
それぞれを客観的に聞く自分。
それを聞いている存在こそが「意思」なのだ、ということも知りました。

自分の中に存在するある一人のパーソナリティの声だけを頼りに、物事を判断するのではなく、もう一段高い「意思」の位置から、物事を見通してみる。すると、自分がいかに、狭い視野から物事を捉えてしまっているのかが分かり、視野が広がってゆく感覚が分かります。


学びの旅は、そんな風にスタートしていきました。
次回は、「第2章:大いなる問いが深い洞察に繋がる」について、書いていきたいと思います。

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