人の感情はうつろうもの
今日は、ある企業さんの若手〜ミドル社員に向けた研修がありました。
その中で、「最近ちょっぴり嫌だったこと」を切り口にしたワークを行いました。
3人で行う、こんなワークです。
Aさん:そのちょっぴり嫌だったことについてフリートークしてもらいます。
Bさん:「ふんふん」「それは嫌だよね」など相槌を打ちながら共感的態度で話を聞きます。
Cさん:事実/解釈/感情を聞き分けながら分析的な態度で話を聞きます。
Aさんが話終わった後に、Bさんから短めに共感的なフィードバックを行い、
Cさんからは、3分類した聞き分けた結果を(感情/感想は挟まずに)フィードバックしてもらいます。
何が起きるか。
Aさんは、しっかり聞いてもらえたという安心感を得られ、また分析的なフィードバックをもらうことで、思考が整理され、話を聞いてもらう前の状態よりも視界がクリアーになるんですね。
さらに、ちょっと嫌だった対象(出来事/人)に対して、見方や捉え方が変わってくるんです。
何かの事象に対して、イラついてしまったり、怒りを感じたり、そういったネガティブな感情を抱く時に、ひょっとしたら自己解釈で捉えてしまっているということは、日頃暮らしていると往々にして起きていることだと思うのです。
かく言う私も、やってしまってるんですよね。。
話を少し変えまして。
研修を終えて、脳を休ませがてら、ボーッとネット記事を流し読みしていたところ、突然「ちょっと嫌」な感情が湧き上がってきました。
「嫌いな俳優ランキング」に関する記事を見ていた時のことです。
そもそも、そのランキングいる?誰の何の為に必要?という疑問もあるのですが、それぞれに対する嫌いな理由(コメント)を読んでいて、フツフツと静かな嫌悪感を抱いてしまったのですね。
「○○そう」とか「○○に見える」って。
それ、君の一方的な解釈ちゃうんかい?!と、エセ関西弁で思わず突っ込んでしまいました。
そして、感じていることが2つあります。
1つは、「匿名性」の声の持つ独特のパワー(怖さ)です。
事実も解釈も感情も。
それを「誰が」発しているかがはっきりしていることと、「どこかの誰か」が発していることの秘めている質感って、やっぱり違うなぁ、と思います。
以前勤めていた会社で、社内で一人人事をしていた時に、時々社内アンケート調査を行なっていました。
その時点で感じている正直な気持ちや意見を吸い上げたいため、匿名性としていましたが、辛口であってもしっかりと意見を述べて改善案や代替案まで記載している人もいれば、中には辛辣な声もありました。
「人事はこの会社にいらない!人事は辞めろ!」と言うコメントを寄せられたこともあり、当時の私は、ガーンとショックを受けつつも、次第に「ただの悪口じゃん」という風に受け止めてしまいましたね。
なぜ会社にいらないと思うのか?そう感じる根拠は何なのか?
(制度なのか、人事というポジション対してなのか)排除したいと思う理由をちゃんと把握したかったですし、そう感じる不満/不安を書いてもらわないと改善のしようがないですからね…
向き合って話を聞かせて欲しいよ、、ってとても悲しい気持ちになりました。
2つ目は、同じ物事/人を見ても人によって捉え方は違うという事です。
先に挙げた嫌いな俳優ランキングにランクインした俳優さんも、中には好きな方のランキング上位に入ってたりもするんですよね。
その俳優さんに対して「好ましい印象(光)」を見る人もいれば、「嫌悪の印象(影)」を見る人もいる。
どちらを捉えているかで、「○○そう」という解釈も大分変わってくるものです。
おしまいに。
好きや嫌いの解釈について、子供の頃に感じたこんなエピソードがあります。
父の影響で我が家は大のジャイアンツファンでした。
一方、隣に住む幼馴染の一家は、広島カープファンでした。
それぞれ、親に買ってもらったキャップを被っていたのですが(笑)、
ある日、幼馴染のお母さんが、私に真っ赤な帽子を被せてこう言いました。
「こっちの方が似合うよ!」って。
おばちゃんなりの茶目っ気でありユーモアです。
でも、その時の私は大好きなものを否定されたような気持ちになり、ギャン泣きしたんですね(笑)。
そこへ、私の母が買い物から帰宅して、オロオロするおばちゃんと私のところに向かってやってきました。
おばちゃんが経緯を説明し、母や私にお詫びをしてくれたのですが、母は大笑いしてました。その大人二人の様子を見て、子供心に、
おや?これは笑えるような話なのか?
そうか。自分が大好きなものが必ずしも他の人が好きなわけじゃないんだな。
例えそれを好いてもらえなくても、自分自身のことを嫌いなわけではないんだな。
何を好きかは、人それぞれであり、その人の自由なのだな。
なんてことを学んだ4,5歳頃のお話です。
物事に対する好き/嫌いの見方や捉え方。
事実や解釈、感情。
声の主(所在)の明確さや不透明さ。
それらを冷静に捉えることで、変にうろたえたり、流されたり、不必要に落ち込む必要もないな、って思いますし、その方が健全でいられるな、って思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?