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毒育ちと感情

(画像はいらすとや様より、一部筆者加工)


感情を抑制する毒親

 毒親の条件の一つに「子供の感情や素直な気持ちを抑制する、表現しても否定する」がある。確かに子供の感情を受け止めるには多大なる配慮や気力を要するが、それこそが安全基地としての役割の一つであると私は考える。価値観やパーソナリティの“礎”である感情を抑制することは、子供自身の愛着スタイルやパーソナリティの形成に大きく影響するからだ。自分の感情を素直に表現できない、表現しても受け止めてもらなかった子供は、知らず知らずのうちにその心に深い傷を負っている。その傷に気がつかない、新たな傷をつけ続ける親は毒親である。


ポジティブな感情の抑制

 喜びや楽しい気持ちを蔑ろにすることは、根本的に子供の存在を否定することと同義だ。特に不安型の愛着スタイルを持つ毒親は、子供に強い嫉妬心を抱いて日常的にマウントを取ったりと、「子供の楽しそうな姿を許さない」傾向が強い。例えば、子供が嬉しいと感じたことや楽しかった出来事を話しても無視する、興味を示さない、親自身の話題にすり替えることなどが挙げられる。また子供が恋人や友人について話題にすると、たちまち不機嫌になったり、否定的な反応をすることも同様だ。仮にそれが発達障害や精神疾患による意図的ではない行為であったとしても、結果として子供の感情を蔑ろにしていることに変わりないと私は思う。


ネガティブな感情の抑制

 悲しみや怒りといった感情を受容しないのは、子供を“子供”としか見ていない毒親である。いつでも子供らしく無邪気に明るく振る舞って欲しいと願い、子供を“お人形”よろしく扱う。これは責任などを忌避したがる回避型の愛着スタイルを持つ毒親に多く見られるが、不安型の毒親にも当てはまることがある。そのような毒親は「お願いだから泣かないで」「○○が怒るなんてらしくないよ」と言って感情を露わにする子供を“お人形”に戻そうとする。なぜならばネガティブな感情に向き合うのはポジティブな感情よりも大変なであり、時には責任が伴うからだ。しかし、このような負の感情を受容して乗り越えることこそが、人の成長/成熟だと言っても過言ではない。このような機会を奪うことは毒行為そのものである。

感情抑制は自己愛形成に影響する

 ポジティブ/ネガティブ問わず、感情を否定/抑制された子供は、自分の気持ちや心情に蓋をするようになる。それは健全な自己愛の形成を阻害し、ひいては「ひとりでいられる能力」の低下や欠落を招くのだ。
 特にネガティブな感情の抑制は、親しい友人や恋人ができても心を開くことができなくなる可能性がある。すると人間関係における「センシティブな問題」と向き合えずに(共)依存関係に陥ったり、人間関係自体を構築できなくなったりする可能性がある。私自身はどちらかと言うと、ネガティブな感情を忌避してきた(されてきた)。楽しかった出来事は饒舌に話せたが、学業や仕事の悩みを打ち明けるのはなぜか躊躇ってしまっていた。姉だけに話すことはしばしばあったが、当時私に過剰な期待を寄せていた毒祖母や母には弱いところをあまり見せたくなかったのかもしれない。その結果として「いい子の呪い」に自らはまっていき、心身を崩したのであった。

 そして、もっとも恐ろしいのは意図的/無意識を問わず、「子供の喜怒哀楽のすべてを否定/抑制すること」だ。それはもはや虐待の領域であり、その“猛毒親”には、「なぜ子供を産んだのか?」としばし問いただしてみたいものだ。


子供は天使などではない

「子どもは天使」などという言葉は、「子どもくらいは純粋無垢な汚れなき存在であってほしい」という大人の願望を投影したにすぎない。(中略) 子どもにも性欲はあるし、内面には怒りや攻撃衝動、罪悪感や悲哀感も渦巻いていて、実はドロドロしているという事実から目をそむけてはならないのである。
『一億総ガキ社会~「成熟拒否」という病~』片田珠美 (光文社:2010年)より引用】

 子供は純粋無垢な天使などではなく、喜怒哀楽を確かに抱き、様々な欲や情も持ち合わせた人間の一人である。「子供らしく」や「子供なんだから」という甘言から、その事実を認めずに自分の都合で一部分だけを切り取る親もまた毒親になる可能性があると私は考える。

 まずは、子供を一人の人間として認めることが親の最初の務めだと私は思うのだ。そして「病めるときも健やかなるときも愛することを誓う」ように、子供がいかなる感情を持ってもそれを認めることが大切だ。喜ばしいこと、悲しいこと、腹立たしいこと、やるせないこと、それらすべてに共感せずとも「決して否定することはせずに全力で受け止める」──それが親の次なる務めであり、子供にとっての安全基地の確立の一歩と言えよう。

 最後になるが、我が子を天使だと思い込む毒親こそが真の悪魔に見えて仕方がないのは果たして私だけだろうか。

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