見出し画像

毒育ちと身なりを整えること



身なりに無頓着だった私

 学生時代の私は健全な自己愛を持てず、化粧やファッションの類に羞恥心を抱いていました。同時に当時は優等生を“演じていた”ので学業を最優先事項として据えていました。その結果、すっぱいぶどう理論(※)からオシャレな同級生たちを「チャラチャラしやがって……クソが! ふん、どうせ成績は私の足元に及ばないでしょ!」とめちゃくちゃく馬鹿にしていました。もちろん成績優秀でオシャレにも抜かりがない生徒はたくさん存在した訳ですが、私がその事実を知るのはかなり後のことです。

※「すっぱいぶどう理論」とは、「イソップ物語」にみえる寓話のひとつ。キツネがおいしそうなブドウを見つけるが、高いところにありどうしても届かない。しまいには「あのブドウはきっと酸っぱくてまずいに違いない」と言って去る。(ここまで「goo辞書」より引用 https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E9%85%B8%E3%81%A3%E3%81%B1%E3%81%84%E8%91%A1%E8%90%84/ 最終閲覧日2020年5月21日) このことから自分が手にできないものを否定したり、手に入れられない自分自身を正当化する意。(筆者による注釈)

もっとも当時私は、「自分だけはすっぴんでもイケている」という謎の自信を持っていたのですが、こんなナリでようそんなこと思えたなって。

画像1

※当時の私の様子
(画像はいらすとや様より引用)

 こうして振り返ってみると、「クソなのはてめぇの根性だよ!!!!!!!!!!」と、当時の自分を思い切りぶん殴りたい気持ちでいっぱいです。

 一方で私の姉は順当に化粧を始め、髪型や髪色も好きなように変えていました。そのようにオシャレを楽しんでいた姉には、自然と恋人もできて私とは対照的な充実した日々を送っていました。そんな姉とも二人で出掛けたり、何でも話したりとむしろ仲は良かったのですが、唯一ヘアメイクやファッションを教わることはありませんでした。姉は私がそのような分野に興味がないと感じていたでしょうし、逆に私は腹の中で姉を小馬鹿にしていたからだと思います。「姉ちゃんには彼氏がいるかもしれないけど、私は勉強を頑張って今に見返してやる!!」と、当時の私はますます学業に傾倒していくのでした。

 今覚えば、「学校の勉強ばっかしてねぇで先に身だしなみの勉強しろや!!!!!」って話ですよほんま。

 進学してもなお「ほぼすっぴん縮毛矯正オンリー」は変わらないのに、なぜか服装が派手になったため、この時期は私史上随一の黒歴史と化しています。 
 
その後就職活動を目前に、私はようやく身なりを整えることを余儀なくされたのです。それも友人と姉からの助言、「面接するなら眉と髪は整えた方がいいよ!」がきっかけでしたが、根本的な理由は、「(就職活動に当たって)最低限の清潔感を保ちながら他人に不快感を与えないように……」という低い志からなるものでした。

 他の女子が、早ければ高校生くらいから当然のように知っていることを数年遅れにしてやっと学びました。基礎的なスキンケアから始まってファンデーションの塗り方、眉毛の整え方、パーソナルカラーや体格診断など。それらを姉から直接教わったり、SNSや動画で勉強したり、初めて雑誌を買ってみたりしました。最初こそ自分が化粧をすることに対して気恥ずかしさが勝りましたが、化粧を施した自分を見ると、逆に今まですっぴんで出歩いていた自分が恥ずかしくなりました。 あの時友人や姉が指摘してくれたから、今の自分があると表現しても大袈裟ではないと私は思っています。


毒育ちは身なりに対して無頓着になりやすい?

 女性で言えば、メイクを筆頭にファッション、スキンケア、ヘアケア、ヘアアレンジ、ダイエット、ボディキープ、トレーニングなどは、「自分を少しでも良く見せたい」「自分を磨きたい」という気持ちから行うものです。しかし私のような自己肯定感が低い人間からすれば、ある意味突飛もない発想なのです。就職活動という“義務”が発生したために私は身なりを整え始めた訳ですが、それも健全な自己愛がなかったことが原因と言えます。いずれにしても毒育ちの方は、健全な自己愛を持たないゆえに身なりを整えることが億劫だったり、恥ずかしく思ってしまうのではないでしょうか。そもそも毒親自身も身だしなみに対して無頓着だったり、あるいは過剰な化粧や拘りが異常に強い格好を好むような気がします。

画像2

※毒親の身なりのイメージ。あくまでイメージ、あくまで。(画像はいらすとや様から引用)

 私の毒祖母も母も前者(画像で言う左側)に当てはまり、ヘアメイクやファッションにさほど興味を持っていません。両者に共通して言えることは、「自分自身を客観視できていないところ」であり、それこそが愛着スタイルが安定していない証拠です。私には手本となる姉がいましたが、毒親と異性のきょうだいのみだと身なりを整えるきっかけがあまりないかもしれません。それでも身だしなみについて教示してくれる友人を持ったり、恋人ができることでその心持が一気に変わる可能性は大いにありますが。


最低限身なりを整えるのに越したことはない

 身なりや着飾ることへの興味が今も薄い私は、化粧品の価格を見る度に何冊の著書が買えるかつい考えてしまいます。昔こそ流行に乗って特定のブランドの服やバッグを買い揃えた時期がありましたが、今はファストファッションでも十分なことに気が付きました。それでもヘアメイクを始めたきっかけである、「最低限の清潔感を保ちながら他人に不快に思われないように」だけは忘れないようにしています。(客観的に見たらどうか分かりませんが) そのために自分の年齢、TPO、トレンドに適したメイクやヘアアレンジをいかに簡単に実現するかの研究に余念がありません。昨今はファストファッションや低価格化粧品のおかげで身なりを整えるハードルが下がったゆえに、“身だしなみ不精”である私の重い腰も何とか上がっている次第です。

 身なりを整えたり、なりたい自分を作ったりすることは、健全な自己愛を育むと同時に自分への愛着を持つことに直結します。自分に自信を持つことで「取るに足らない扱い」からの脱却や、毒親から受けた毒の解毒の一歩になります。それにプロのような技術や芸能人を目指すことなどま必要なく、自分に合った自然な方法で構わないと私は思います。外出自粛が続く中、時折メイクやヘアアレンジを施すことで少しは気分が解れるかもしれませんね。身なりを整えることがどこか億劫に感じる方は、まず肌、眉、唇だけでも整えてみると印象が大きく変わります。ただ毎日100%のフルメイクは大変なので「最低限の清潔感を保ちながら他人に不快に思われないように」くらいの気持ちで構わないと私は思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?