毒と金~相対的貧困という毒行為~
「金が足りないじゃない!」
離婚後に身を粉にして働いた母に向かって、毒祖母はしきりにそう言い放ちました。 しかし冷静に振り返ってみると、毒祖母の金銭感覚がいかに粗雑でいい加減だったか分かりました。
お金の使い方が下手、あるいは金銭感覚が狂っていることによる《相対的な貧困》も毒行動だと私は思います。
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かつての我が家の家計事情
かつての我が家はそれぞれの収入や祖父母の年金によって平均以上の世帯収入があり、経済面では不自由がなかったそうです。
母方の祖父(毒祖母の夫)が亡くなり、その数年後に私の両親が離婚するのですがら父が養育費の支払いを拒否したため我が家の収入は大きく減りました。
久しく専業主婦だった母は勤めに出るようになり、毒祖母が家計の管理をはじめ家事炊事のほとんどを担うようになりました(詳細は『ようやく毒から逃げまして②・⑥』を参照)
ところが世帯収入が潤沢だった頃の金銭感覚を引きずっていた毒祖母は、変わらずに大量の食材や日用品を買い込んでいました。
「これらは全部アンタらのために買った。だから金が足りない」
その毒祖母の要求を満たすために母は仕事を増やしました。その手取りのほぼ九割が毒祖母の手に渡るため、母が自由に使えるお金はほとんどありませんでした。一方未婚の伯父は、パチンコやギャンブルにかまけて家事や炊事には一切介入しませんでした。
「アンタ(母)は子供(姉と私)がいるんだから仕方がないでしょ。家に置いてやってるんだから感謝しなさい」
このように、毒祖母は母を都合の良いATMのごとく仕立て上げました。離婚を負い目に感じている母の足元を見ながら。
ただ何とも不思議に思うのです。海外旅行はおろか国内旅行もほとんど行かない(行く場合は各々の小遣いから出す)、高級ブランドや骨董品にはまったく興味なし、ペットも自動車も所有しない家庭にそれほどのお金が必要だったのかと。
日々の食費と生活費、姉と私の学費、たまの贅沢費くらいしか支出がなかったはずなのですが、毒祖母が小鼻を膨らませながら、「残りは全部家賃だよ!これでもまけてやってんだから感謝しな」と言ったのを思い出しました。
確かに母の収入のみでは、毎日の食事はおろか住居が見つかったかも分かりません。母は母子寮や公的支援も検討しましたが、毒祖母の「私に任せて」という言葉を信じて、そのまま実家に留まることにしました。
ところが、毒祖母には離婚した母やその子供である姉や私を"本当の意味"で援助する気概などなかったのです。彼女は、「離婚して出戻った可哀想な娘とその子供の世話をする健気な祖母」や母の幼少期のできなかった母親の役割を演じたかったに過ぎません。
本当に支援する気がないのならば、いっそのこと母と姉と私ともども追い出せばよかったではないですか。そんな毒祖母の無責任な行動に、私は未だに怒りを覚えます。
相対的な貧困
あらためて当時の生活を振り返りながら実際に計算してみると、しかるべきものに投資をして節制すれば、母はあんなにもの金銭を納める必要はなかったと思えます。我が家《相対的な貧困》の要因は、毒祖母の家計運用が絶望的に下手だったことに尽きます。以下は毒祖母の経済的特徴です。
・とにかく買うことが好き
毒祖母はとにかくモノがないと不安な人間でした。安い食材を大量に買っては、一部を余らせて捨てるを繰り返していました。棚には常に大量の駄菓子や高カロリーの菓子。服も大量に買ってはタンスの肥やしに。テレビショッピングで10万円のホームベーカリー、数万円の掃除道具、フライパン、調理家電を買っては現在進行形で放置中。
・他人には一銭たりも使いたくない
浪費に糸目はつけない癖に、家の修繕や保全は後回しにして家電・家具は「壊れたら買い替える」のが当たり前。毒祖母にとって自分"以外"にも利益が出る投資はマイナス。自分はいくら浪費しても光熱費が数千円上がっただけで私たちのせいだとを責め立てる(『ようやく毒から逃げまして⑤』に書きましたが、真夏にエアコン禁止を言い渡されたのが良い例)
・経済教育の放棄
これは自省すべきことでもありますが、最近まで私は家計事情を全く把握していなかったのです。言い訳になりますが、我が家では小遣いが必要ならばその都度毒祖母から支給されるシステムを採用しており、予算内で遣り繰りすると言う経済教育が皆無でした。正直に言えば、「うち、母子家庭の割に金あるじゃん?」くらいに思っていました。ゆえに苦労している母を尻目に頻繁に買い物や遊びに出かけてしまったり、大学でも研究費(実験費、海外研修、ゼミ合宿など)がかかる専攻を取ってしまいました。もっと踏み込めば、大学などに行かず就職する選択を考えればよかったと今は思います。
・予算?決算?何それ、おいしいの?状態
最後にもっとも恐ろしいことを書き留めておきますが、毒祖母が"決算書"を出したことなど一度もありません。つまり生活費の使途用途はすべて毒祖母にしか分からないですし、記録がない以上私が今書き連ねている「毒祖母が母の金を湯水に如く使っていた」という証拠もないのです。このようにPDCAサイクルや客観的数値が皆無だったことが、毒祖母の浪費と母への執拗な取り立てに拍車をかけていました。
相対的な貧困は毒行為
家計担当者の管理能力が欠落していると、我が家のような《相対的な貧困》になる可能性が高いです。
自分にばかり浪費する、その浪費癖の伝染、投資すべき時期や物事を見誤る、経済教育を施さない──塵も積もれば山となると言いますが──「節制してれば今頃○○万円貯まっていたじゃない」、「その浪費したお金で免許取得代や進学費用を出してほしかった」と成長した子供は思います。
まさに私です。私も今更こんなこと思いたくありませんが、冷静に分析すればするほどそうなるのです。
万一この思いを毒にぶつけたとしても、「誰のおかげで生活できたんだ、衣食住すべて保障してやったじゃないか」だとか「アンタたちに使ったんだから文句言うな!」といった水掛け論がはじまるだけです。私がいくら毒の管理能力のなさを指摘しても過去の話ですし、毒の反論通り確固たる証拠もないのが事実です。これは金銭問題のみならず、毒・家族問題全般に言えることだと思いますが。
最後になりますが、過去の自分に何か伝えられるとしたら、
「収入は少なくても、自分たちで使い方を工夫する方がよっぽど幸せ」
と言いたいです。
旬な野菜やお買い得食材を使って、質素ながら家族と自分が「おいしい」と思える食事を作る。
家族と自分が気持ちよく生活できるように、家や衣類を清潔に保つ。
創意工夫に基づいて、家に見合った機能と予算の収納やインテリアを考える。
家族と自分にとって不可欠なもの、大切なものに対して優先的に投資する。
たまには家族や自分の好物を買って帰り、みんなで一緒に食べる。
それだけで、慎ましくも楽しい毎日を送れています。
モノはたくさんあれど、大切なものが何一つなかった毒祖母の家。
モノは少ないけれど、家族の笑顔と心地よさがある今の家。
それだけあれば十分、と今の私は思います。
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今回も読んでいただきましてありがとうございました。
次回のテーマは、Twitterで取りあげた「無責任な甘やかし」を掘り下げる予定です。