【書評】忘れられぬ後悔を抱きながら、前を向くには――関かおる『みずもかえでも』レビュー【評者:藤田香織】
あぁ。と、読みながら何度も目を伏せた。
知ってる。この痛みをまだ覚えている。
知ってる。こんな悔しさに震えたことが自分にもあった。
知ってる。こうして拳を握りしめて、恥じて、悔やんで、なにもかも放り出したくなって、なのに諦めきれなくて。踏み出すのが怖くて、傷つきたくなくて、鈍感であろうと努めて、なんのために生きているのかわからなくなったことが、自分にもあった。
第15回 小説 野性時代 新人賞受賞作『みずもかえでも』は、多くの読者の胸の奥深くにぶっ刺さる物語だ。
24歳の主人公・宮本繭生は、写真の専門学校を卒業し、ウェディングフォトスタジオに就職して4年目。一生に一度の晴れの日を迎えた新郎新婦の要望に応えるべく、自己主張などせず、トラブル回避をつねに心がけているため、上司や同僚からの評判は悪くない。
現状、仕事をやめる理由など、まったくない。
しかし、繭生の心の奥底には、ある思いが燻ぶり続けていた。
4年前、演芸場の高座のうえで、凄まじい勢いで啖呵を切る落語家の熱を浴び、舞台袖にいた繭生は我を忘れて一枚の写真を撮った。
落語好きの父の影響で寄席に通い、「演芸写真家」を志し、その道で唯一ともいえるプロカメラマンの真嶋光一のアシスタントとなって8ヶ月。それまで入門時に真嶋から言い渡されていた2つの約束、「遅刻をしないこと」「演者に許可なく写真を撮らないこと」をきちんと守っていた。が、その日、体調を崩し真嶋が自宅へ帰ってしまった寄席で、繭生はこの姿を切り取り、撮らなければと焦燥にかられる高座を目の当たりにしてしまう。
自分も早く、撮りたい写真を撮って、実績にしたいと焦る気持ちもあった。好きな仕事で認められ、他者からの評価を得たいと乞うてもいた。何よりも繭生には、その時、その場の、その落語家の姿を残せるのは自分しかいない、という自負もあったはずだ。
けれどそのたった一度の衝動、一枚の写真で、繭生は多くの信頼を失ってしまったのだ。
以来、自分を殺すことに慣れて生きてきた繭生が、あの日の被写体となった落語家と再会し、逃げ出した「演芸写真家」という職業と向き合い、自らの生きる道を決め、再び歩き出す。いわば挫折からの再生で、青春小説の王道テーマであるものの、演芸写真家というニッチな職業と、落語家をはじめ高座にあがる演者たちの矜持が、その世界を知らぬ読者をも強く惹きつける。
繭生自身の若さゆえの苦さもさることながら、フォトスタジオでアシスタントとして働く小峯の至らなさや愚かさの描き方も絶妙だ。正社員で先輩でもある繭生に対して、小峰が「仕事やめたい人の気配ってなんとなく分かるんで。宮本さんは、そういう人っすよね」と切り出す場面がある。「じゃあその枠、俺にくださいよ」。熱意がないなら、そこをどけ、と言える若さが、恐ろしくもあり羨ましくもあり、彼が抱える屈託に息を吐いてしまう。
一方、病を得て視力を失った繭生の父や、体調を崩した真嶋、
文化勲章を授与された落語界の重鎮・楓家帆宝の「姿勢」も読ませる。リアル社会で言われても、右から左に抜けてしまいそうなそうした年長者の言葉が、耳の奥で響くのだ。
消えていくもの。それでも残るもの。目には見えぬもの。それでも感じられるもの。読後、タイトルの意味が深く沁みる。
これから始まる。また動き出せる。その活力がここにある。
(藤田香織 書評家)
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