【書評】過去の過ちに囚われている人を解放してくれる物語――関かおる『みずもかえでも』レビュー【評者:吉田伸子】
第15回 小説 野性時代 新人賞受賞作である本書は、冒頭、主人公・繭生の“やらかし”から始まる。
中学の卒業式の後で、初めて父親に連れて行ってもらった寄席。「正直、なにがおもしろいのかまったく分からなかった」落語だったのに、「カシャン」という音を耳にした瞬間、繭生は魔法にかけられたかのように、落語の世界に入り込めた。その「カシャン」は、演芸写真家の真嶋が、シャッターを押す音だった。
高校卒業後、二年制の写真の専門学校に入学した繭生は、一年目を終えてすぐに真嶋を捜して寄席をまわった。自分の進む道を演芸写真家だと思い定めたからだ。真嶋をつかまえ、「写真のお手伝いをさせてもらえませんか」と頼み込んだ繭生は、「ふたつ、約束を守れるなら」という条件で、手伝いを許される。真嶋との約束は、「遅刻をしないこと」と「演者に許可なく写真を撮らないこと」だった。
それなのに。繭生は、ある高座を見て「撮らなければ」という強い想いが湧き出してしまい、その落語家に向けてシャッターを押してしまった。冒頭の“やらかし”とはそのことだ。落語家の言葉は寸の間途切れ、舞台袖に戻ってきたその落語家から、怒りに満ちた視線をぶつけられた繭生は、演芸写真家への道から逃げ出してしまう。
それから四年。繭生は専門学校を卒業後、ウェディングフォトスタジオ『ポラリス』に就職し、「自分が投げ打ったものを、何万枚ものウェディングフォトで上書きしていた」。そんな繭生の前に、ウェディングフォトの打ち合わせで、新婦としてあらわれた菅井水帆は、四年前、繭生がカメラを向けた先の高座で落語を演っていた楓家みず帆、その人だった。
みず帆は、繭生の出したウェディングフォトの提案を却下する。繭生が選んだ背景が、白無垢の生地の模様とそぐわなかったからだ。「あんたは、逃げ出したままなんだ」。つぶやいたみず帆の言葉が繭生を刺す。自分のミスに気がついた繭生が、「次は必ず納得のいくものを―」と提案しても、「そういう問題じゃない」「あんたに写真を撮ってほしくないの」とにべもない。
や、みず帆、根に持ってんな~、とも思うけど、四年前、繭生がしたことはそれほどに許されないことだったのだ。そして、それが許されないことであることを、繭生自身、一番わかっていたのだ。だから、逃げた。
逃げないで、まず謝れや、と思うのは大人の理屈だ。繭生は二十歳になるかならないかの、まだまだ子どもだったのだ。逃げるしかできなかったのだ。でも、逃げたことで自分が進みたかった道から外れてしまった繭生は、今の仕事に情熱を持てない。キャリア四年目のウェディングフォトグラファーとして、そこそこの評価は得ていても、それはうわべだけだ。みず帆はそのことを一発で見抜いたのだ。
このみず帆との再会をきっかけに、繭生が再び演芸写真家への道に戻るまで、が本書の肝だ。そのメインの筋に、『ポラリス』のアルバイトで、ちょっと癖の強い小峯のことや、白内障の手術を繰り返したのちに、ほぼ視力を失ってしまった、落語好きな繭生の父のこと、思わず禁を破ってしまうほど、繭生を魅了した高座の主役・楓家みず帆の結婚式でのドラマ等々が絡み、読みどころがたっぷり。これがデビュー作だとは思えない。なんというか、作者の関さんは、“語るべきところとそうではないところ”の勘どころをつかんでいるのだと思う。なので、物語がごちゃつかない。
何より、過去の過ちから、自分で道を塞いだり、諦めてしまったことのある人たちにとって、この物語がエールになっているのがいい。過ちは消えないけれど、それでも、諦めたくない気持ちに蓋をしてはいけないよ、と語りかけてくれているように思う。
同時に、写真とは何か、そして、写真家とは何か、という大きなテーマにも触れていて、作者が描き出したい“世界”の広がりが見えるのもいい。
楽しみな作家がまた一人誕生したことを、一人の読者として、寿ぎたい。
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