【インタビュー】これを最後のエッセイ集にしよう それぐらいの気持ちで書こう『いのちの車窓から 2』星野 源
撮影:干川 修
取材・文:吉田大助
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2024年11月号からの転載となります。
『いのちの車窓から 2』星野 源インタビュー
前作から実に、7年半ぶり。俳優でありミュージシャン、そして文筆家の顔も持つ星野源が、最新エッセイ集『いのちの車窓から 2』を刊行した。本誌で2017年初頭〜2023年春にかけて連載したエッセイのほか、書き下ろし4本が収録されている。首を長くして待っていた、という本誌読者は多いはず。
「最終回から1年半ぐらい経ってしまいました。去年はあまりに忙しすぎたのと、書き下ろしを多めに書きたかったんです。ちょっと時間が欲しいですと編集さんにお伝えして、ようやく出すことができました」
1編目の「新年」で記されているのは、母方の祖父母が眠る霊園へ墓参りに行った、2016年12月27日の思い出だ。正月休みでは体調を崩してしまったものの、部屋の片付けをしているうちに熱も下がっていって――。〈忘れてはいけない存在への挨拶と、さよならするべきものとの別れ。そのどちらも達成できた時、初めて自分の年が明けたと思えた〉。その後に続くオチの一文でグッとくる、『いのちの車窓から』らしいエッセイだ。
「肉体という乗り物に己という精神が乗っかっている、その“車窓”から見える風景を書く、というコンセプトで始まった連載なんですよね。なので、実際にあったことを、できる限りそのまま書くように意識していました。自分の感情はあまり書かないようにして、この人に会った、こんな風景を見た、これこれこういうことがあってこんなことが起きました、と。でも、どう考えてもそこには僕の心の変化がくっついている。それくらいのバランスを目指すことで、読んでいる人が“車窓”の出来事を追体験できるようになったらいいなと思っていました」
ただ、2巻では車窓の外側ではなく、内側にカメラが向けられる機会が増えている。
「やっぱりコロナ禍は大きくて。家の外に出られない時期も長かったので、“車窓”の景色が変わらないから、自分の心の窓みたいなものにフォーカスしていったなと思います。その時々の自分の心の感触を描くためには、ものすごく自分を見つめなければいけない。自分と対話する感じですね。自分と向き合うとか、自分を描写するとか、自分の心のポートレートを書く、みたいな」
2020年11月、コロナ禍真っ只中に発表されたエッセイが「出口」だ。忙しかった1年を振り返ってみると、死について考えた1年でもあったことに気が付いた。「死にたい」という言葉が浮かんだこともあった。そんなことを思ってはいけない、と思うことが、自分を追い詰めてしまう。だから――〈堂々と思っていい〉。
「コロナ禍は悲しいこともいっぱいあったし、世の中が不安でいっぱいで混沌としていましたよね。自分が考えていることを改めて整理して、自分の気持ちはどこにあるのかっていうことをちゃんと精査しないと、雑念に引っ張られてしまう。『そう思っちゃうのはしょうがないよ、だってこんなやばい世の中なんだしさ』って自分を許してあげるというか、自分を救いたいって感覚だったのかもしれないです」
自己と対話し自分を救おうとする星野のエッセイを読み、その試みを追体験することで、救われたと感じた読者は多かったはずだ。本になることで、その声はさらに大きくなっていくことだろう。
連載の最終回とは違う
本当の最終回になった
連載は約1年半の休止期間を経て、月イチから3カ月に1回ペースに。さらに「POP VIRUS」から、1回2000字から4000字程度に文字数が倍増した。エピソードか別のエピソードへの連想と転調の面白さが、上乗せされている。
「2000字の時はいつも“足りない!”と思っていたんです。4000字になったら今度は“長い!”と(笑)。1個のエピソードでは足りないので、キーワードだけ決めて、いろいろな時系列のエピソードがどんどん入れ替わって出てくる、という書き方に自然となっていきました」
今の視点から過去の自分の言動を検証し、過ちを認めることで、価値観のアップデートを試みる。特に4000字になって以降のエッセイでは、過去の自分との対話が色濃くなっている。「実は、全部のエッセイがそうなんです」……その真意とは?
「これは『ダ・ヴィンチ』の取材だから言えることなんですが、編集さんから2巻を出しましょうと言われて、連載の原稿を読み返してみたら、これじゃ出版できないなって思う回がいくつかあって(笑)。なぜかというと、自分の精神がとても弱っている時期だったり、忙しすぎて書くことが仕事以外に何もなくて宣伝だけになっていたりして、単行本向きではないものもあった。だから、収録するエッセイの取捨選択をしつつ、書き下ろしとは別に、同じテーマで1からほぼ全部書き直した回もあります」
「今を生きる」というエッセイでは、驚きのリライトを施していた。
「2012年にくも膜下出血で倒れて、手術をして。2014年に日本武道館で復活ライブをした時に、当時の自分が考えた演出を、“今だったらこういうライブをやる”というふうに話が進んでいくんですが、連載の時の感覚が古いと感じたので、そこをさらに今のアイディアに書き直しました」
連載最終回から1年半もの時間がかかったことには、そんな背景もあったのだ。
「本にする作業を始めた時から、最後のエッセイ集にしよう、それぐらいの気持ちで書こう、という思いがありました。だから、中途半端なものは出したくない。1冊の本として読んだ時に、一人の人間の人生の流れを感じられるものにしようという気持ちでした」
加筆修正作業を進めながら、書き下ろしエッセイにも力を注いだ。「東榮一という人」「喜劇」「あしびなー」の3本を書き終えた後、 本書の最後に収録された、4本目の書き下ろしエッセイに着手した。エッセイのタイトルは、「いのちの車窓から」。
「いつもそうなんですが、書きたいことは特にないなぁと思いながらなんとなく何かを書き始めて、その続きを書いているうちに、書きたいことがだんだん出てくる。このエッセイで言えば、自分にたまに訪れる不思議な“ある感覚”を久しぶりに体験したので、とりあえずそのことを書いてみたんです。なんでこんな気持ちになるのかを突き詰めながら、向き合いながら、自分を見つめながら書くといういつもの作業をしていくうちに、『いのちの車窓から』のテーマとか、書いてきたほぼ10年間が急にこのエッセイに集まってくる感覚になった。気がついたら、連載の最終回とは違う本当の最終回になっていました。このエッセイはこんな感じで終わるんだぁと」
その言葉通り、完璧な最終回なのだ。だが、だからこそ逆に――。
「次回作にご期待ください、みたいな感じがちょっと出ましたかね(笑)」