「学校には行きたくなくなった」TOKIくんの言葉
1.映画「夢見る小学校」
映画「夢見る小学校」を観た。
教育の問題がどれほど人間の根幹に深く深く関わる問題なのかを改めて知る映画。
子どもたちは、余計なことをせずに信頼しきりさえすれば、どれほど大きな自ら育つ力を持っているのか。
それをそばで支える大人たちの姿が実にイキイキしてかっこいい。
この大人たちの姿にカルチャーショックを受ける映画。
「この学校で育ったら、世界が怖くなくなるな。」
と感じた私は、私の中にまだある、世界への恐怖心を見つけることとなった。
この恐怖心はいったいどのように植え付けられたのか。その答えが映画の中に浮き上がった。それは、私たちがよく知っている学校と、この映画に出てくる学校との違いの中に。
子どもたちが自ら電話をかけるシーンがある。社会見学や修学旅行の計画を自分達ですべて立てるので、アポを取るために。
「〇〇〇小学校の□□□と申します。」
そう電話をかける姿が、好きなことに夢中になっている姿とひと続きなのだ。
子どもたちが、
自分ではない何者かにならずに、
いつでもどこでも誰の前でも、
自分自身であり続けながら、
わくわくを燃やしながら、
他者とも繋がれる。
そんな子どもたちの姿がたくさんあった。
この映画に関しては、私がこれ以上感想を並べ立てるよりも、まだ観ていない人はぜひ機会を探して観てほしいと思う。各地で自主上映会も行われている。
そして、同じオオタヴィン監督の「夢見る」シリーズ第2弾「夢見る校長先生」が8月4日から公開される。
「夢見る小学校」で紹介されるのは私立の小学校がメインだが、次作の「夢見る校長先生」はすべて公立の小中学校を扱う。
「ゆうて私立やん。公立はそんな自由なことはできないから。」
と言わせないために作ったそうだ。ヴィン監督、攻める!
通知表を出さなければいけないとか、校則を作らなければいけないなんて法令は、一切ない。公立校であっても、校長先生の権限でかなりのことが変えられる。理想とする学校を好きなように作れるのだ。それを実証する公立校の校長先生たちが紹介される。
2.TOKIくんのライヴ
映画を観た翌日、友人に誘われて行ってみたオーガニックロッカーTOKI(清水十輝)くんのライヴ。なんだかわからなかったが、ピンときた。普段はかなり腰の重い私だが、「わからないけどピンときた」ときに限ってパッと動く。
TOKIくんのキーワードは、シェアハウス育ち、ホームスクーラーで学校には行ったことがない、クリスタルチルドレン……etc.
なんだこの魂をゆすぶる歌声は。彼がどんな言葉を歌おうと涙がこぼれてしまう。彼に流れるスピリットは、昨日の映画に見た子どもたちと共通するところがある。全身全霊で音楽する若者たち、TOKIくんと相棒のパーカッショニストNOBUくん。
これから、こういう人たちの世界かもしれないな。
TOKIくんは広島県三次市で、かなりガチな古民家リノベーションを行いながらサバイバルな暮らしをしている。4歳と2歳の男の子の父。
「一人の力で世界を変えることはなかなかできないけど、小さなDIYを積み重ねて自分にとっての心地いい環境を自ら作っていくことはできる。人のせいにしない。不満を言っている奴ほど、自分は何もしていない。
ある日水道管が壊れたら、『あの水道工事屋め~!』とならずに、『大変だ、直せ~!』ってなる(笑)。」
「みんなの学校」で、自分たちで一から遊具や靴箱や渡り廊下の屋根を設計して作り上げる子どもたちの姿と重なる。
TOKIくんが歌う。「学校には行きたくなくなった」と。
歌ったあとに、
「TOKI は学校に行きたくなくなったことはないんだけどね。だって、行ったことがないからね!」
と落とすTOKI くん。
でもみんなはこんな気持ちなのかな、と連帯する気持ちで作り、歌っているそう。
「これはとても平和な歌なんです。何かを違うと否定したら、そこから争いが生まれてしまうでしょ。だけど、ボクはこうなんだ!と表明しているだけだから。」
3.昨日と今日はセットだった!
前日の映画「夢見る小学校」とTOKIくんのライヴ、これは完全にセットだった。
TOKIくんはライヴの前日、また別の会場で行われた教育トークライヴにも出演している。
それが「夢見る小学校」の上映会とバッティングしたことを、2日間通しての主催をした友人が残念がっていた。ヴィン監督にもぜひTOKIくんのトークと歌を聴いてほしかった、と。私もそう感じた。
「夢見る小学校」の上映会のあと、せっかくの監督トークショーの前にぞろぞろ会場をあとにする一行がいて、私は不思議に思っていたが、TOKIくんのトークライヴと梯子した人たちがいたんだとか!(ほら、セット。)
TOKIくんのライヴには、前日の深夜に「そうだ!」と友人からのメールを思い出せたから、たまたま来られた。だけど、来なければならなかった。
「自分自身で生きているかい?」
「わくわくしているかい?」
「挑戦しているかい?」
そう問いかけられる2日間だったな。(2044文字)