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問い続けたい〜メンバーの声編(1)

この記事は、Kacotam × 寄付月間2024の記事です。

Kacotamの東京支部のコーディネーターである「ゆっこ」が、活動を続ける理由について語ってくれました。

◆◇◆

私がKacotam(カコタム)でボランティアを始めたのは5年前、高校3年生の時だ。

コロナウィルスの存在が認知され、世間が不安に包まれ始めていたころ、目に留まった休校期間中の学習の在り方に関するニュースに触れ、自分にできることはないかと探してたどり着いたのがきっかけだった。

と、長く人に話してきた。もちろんこれは嘘偽りのない事実である。

自身の進学を機に初の道外拠点となる東京支部に立ち上げから携わり、支部発足後の運営まで担うことができているのは本当に嬉しく、活動ごとにメンバーや子どもから学びを得る日々である。
活動開始からしばらくはコロナに苦しめられた期間であったものの、それと同時に私がKacotamと出会えた運命の時期でもあった。
そこから多くの人の支えを得て、東京支部の継続、カタチ化実施やメンバー・子どもの増員など規模を拡大できるまでになっていることが、私の活動継続に対するモチベーションとして強くある。

しかしここでは人に話してこなかった、私が活動を続ける「もうひとつの理由」を書きたいと思う。

私は人と話したり、自分が知っていることを教えたりすることが好きだった。小学校から高校まで、授業の中で多くのボランティア活動があった。特に中高はそのような活動の多い学校に通っており、誰かの手助けをすることにいつも喜びを感じていた。
その一方で、では私はなぜボランティア活動が好きなのかということも考えるようになっていた。

私が学校外でもKacotamという団体でボランティア活動をしていることを知った人から「偽善者」という言葉を投げかけられたその時から、強く自分の活動意義を考えるようになっていった。

何が「善」で、何が「偽善」なのか。
私は自分の承認欲求のためにボランティア活動を利用しているのではないか。自分の関わる環境が良くなることに対してではなく、良くなった環境に関わった自分に満足感を得ているだけではないのか。
その問いは今も変わらず私の中にある。

高校時代、学校の後輩数名が、豪雨災害の被害を受けた地域で犠牲者の出た老人ホームに手紙を送るというプロジェクトを企画していたことがあった。
はがきが一人一枚配られ、期日までにメッセージを書いて学級委員に渡すよう言われた。

前日まで一緒に生活していた人が災害で突然命を奪われる。その瞬間のほんの僅かな立ち位置の違いが生死を分ける。自然災害に立ち向かうことなどできず、やるせない怒りと悲しみに苛まれる。明日をどう生きていったらいいのか、自分も周りも誰もわからない。

自分がその状況に置き換えられたことを想像した時、自分の元に遠方の知らない高校生から綺麗事を並べたはがきが届いて勇気づけられることなどあるのだろうかと思った。

その企画を後押しした先生になぜそれを許可したのかという理由を尋ねたら、「被災地を応援するという気持ちが大事であり、それを具体化しようとする生徒のことは応援したい。あなたが同意できないとしても、しない善よりする偽善ですよ。」と言われた。

私はそのはがきを書かずに白紙のまま捨てた。偽善者は誰なのだろう。

メンバーとして活動をする中で、自己満足のために続けているのではないかという自分の弱さや卑しさを問い、苦しくなったことが何度もあった。

しかし、活動の中にひと時でも偽善を感じたことはない。

それは、Kacotamが子どもの学びの機会を実現させようとする場であるとともに、私自身がここにいてもいいと感じられる居場所になっているからなのではないかと思っている。

難しい問題を一緒に解答しているとき。
学校の試験の結果を報告してくれたとき。
日常で嬉しかったことや困ったことを話してくれたとき。
たくさんの人には言えないような自分だけの楽しみを共有してくれたとき。

数えきれないほどの素敵な瞬間の積み重ねが、私をボランティアの活動に向かわせているのだと気づいた。

団体の名前の由来でもあり、活動において大切な「かんがえる・こうどうする・たのしむ」という要素がある。

メンバーだけが考えるのでは子どもの主体性に邪魔をしてしまうし、子どもだけが考えるのでは行き詰ってしまう。
行動を先走れば実情が伴わないアクションを起こしてしまうことにつながり、ひいては信頼を失ってしまうことにもなる。
楽しむことを忘れれば、子どももメンバーもその場所から離れていってしまうし、だからといって単純に楽しむだけが団体の目指すべき場所ではない。

この3つすべてに子どもやメンバーと一緒に取り組んでいくことにKacotamにおける本質があり、心から納得して活動を継続できるのだと思う。

私はこれからも、活動の中で得た納得感や楽しさを多くの人に伝えたい。そして、自分自身にも問い続けたい。

善か偽善かではなく、Kacotamのためにできることを探し続けているのか?と。

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