「多様性」という言葉は絶滅したほうがいいのかも
こんにちは。なんの脈絡もなくふと思ったことです。
SNS見てると、ここ数年日本で「多様性」という言葉を使う人が激増した気がしています。
「マイノリティーも大事にしろー!」
「我々の文化を理解しろー!
「多様性を認めろー!」
と強い声をあげている人が散見されます。
その主張に反論されると、「キィイーッッ!!(ꐦ°᷄д°᷅)」ってなる。
で、反対派の考え方や存在を認めないあなた自身こそが多様性否定してない?っていういわゆるパラドックスに陥ります。
この社会、多様性をはなから認識している人はわざわざ多様性を主張することはない。
一方、多様性を強く主張する人にとっては、何らかの理由で今の社会は都合が悪い。だから自分の正当性を示すためにも「多様性」という言葉を使う。
で、それが結局多様性を否定することになる。
・・・・ってなにこれ?w
ある意味堂々巡りだよね。
だから結局、「多様性」って言葉を使うことって無意味なんですよね。
「多様性」に関して話し合うこと、主張することは結局
何も生まない。何もしていないのと同じ。
多様性に正当性はないし、反論材料にもならなし、使うこと自体無意味。
そんな無意味な言葉をなぜか英語に変換して高らかに「ダイバーシティ」とか呼ぶ人までちらほら。
たようせい・・・・
ダイバーシティ・・・・
むしろ文字数増えちゃってるやん。
「多様性」という言葉は辞書からも消去していいんじゃないかとふと思いました。
言葉はさておき「多様性」を本当に大切にするなら、自分の正当性を主張するよりも自分と全く異なる考え方や文化に実際触れて、認める方が手っ取り早いかもね。
でも自分と異なる文化なんて認めないという主張を認めることもまた多様性っていう。。。
ダイバーシティはオールウェイズ ベリーディフィカルトだね。
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