表参道ヒルズのツリー。サイズダウンだがシック。
伝え方も、美しさの基準も、そして生き方も急速に変わっていく。
本屋を巡回して表参道へ。
いつの間にか10年も通っているパーソナル・トレーニングのスタジオが真裏にある。
トレーニングと秩父宮でのラグビー観戦には、前職の仲間たちが贈ってくれたこいつにいろいろぶっ込んで持ち歩く。
建物の横に従業員入口兼自転車収納スペースがある。
ここを抜けることにしている。
トレーニング終わりのお楽しみはブルワリーと拾い読み。
IPAを啜りながら、哲学者、西谷修さんの『私たちはどんな世界を生きているのか』を開く。
読み返すたびに腑に落ちる個所が増えていく。
NHKの「100分de名著」、ロジェ・カイヨワの「戦争論」を解説する際の西谷修さんのぐっと引き締まった口元が、この人は信用できる、と思わせた。
そしてカイヨワをやさしくひも解く静かな語り口の裏に、行き着くところまで行ってしまったこの世界への怒りとまだ諦めはしない、という熱い塊のようなものを見たと思った。
その著述は冷静、いや冷徹といってもいいかもしれない。
巻末の「おわりに」に本書の構成がこう記されている。
まずざっくりと日本から世界の今を見渡し、それから今の日本で「世界」とみなされているアメリカと、その向こうのヨーロッパの二〇〇年を見直した。そのうえで、日本の直近で間近な対外関係をみて、さらにそこに至る日本の一五〇年を振り返ってみた。それも、歴史的にというよりも日本が関係構造的にどう作られ、どう変化してきたのか要点を押さえてみた。
時間の軸は二つになる。ひとつは西洋近代の二〇〇年(あくまで概略)、もうひとつが日本の明治一五〇年だ。そしてそれを劇的に交錯・転換させたのが世界戦争である。この時間の軸から全体の見通しは組み立てられている。
読むたびに、現在の日本、その日本に生きている自分の立って拠る位置を思い知らされるが、ぼくの左手はジョッキを手放さないでいる。
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