タイトルに「書店」、「本屋」、「本」の文字を見つけると、まず、図書館で予約しておく。
ぼくが暮らしている町の中心には、“コア”と呼ばれるエリアのセンター施設があり、その二階に市立図書館の分室がある。
気になった書籍があると、市立図書館の蔵書リストを検索して取り寄せてもらう。分室からリクエストした本の到着を知らせるメールが届くと分室に受け取りに行く。
分室まで徒歩4分。まことにありがたいサービスなのだ。
受け取った本を熟読して、「一回読めたから、もういいや」、「また借りて読めばいいな」、「よし!これは買いに行こう」、いずれかに選別する。
不良老人に無駄使いは禁物、買い込む本は値段も含めて吟味する。
なんて言ってるくせに、買い込んだ書籍を抱え、昼酒を飲める酒場を探して徘徊なんかしてると本代の数倍酒代が嵩むことになるが、『モンテレッジオ小さな村の旅する本屋の物語』、『書店主フィクリーのものがたり』、『セーヌ川の書店主』、『この星の忘れられない本屋の話』、『The BOOK SHOP』、『グレゴワールと老書店主』なんかはそうして出会ってきた。
韓国の作家、ファン・ボルムさんの『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』を読了した。
その読後感、ちょっと、ご無沙汰の心地良さだった。大袈裟でなく。
綴られているのは、街の本屋さんの日常、集客の工夫、努力。
掃除、本の管理、これはと思う本にはさむ寸評メモ(平台のPOPの代わりに本にはさむ。おもしろいアイデア)、読書会とか、書き方講座とか、
併設カフェで使うコーヒー豆へのこだわりだとか、
架空の存在なのに、「ああ、これは良い本屋さんだ」と思ってしまった。
フィクションなのに“嘘”が書かれていない、と感じる本屋さんの日々が、著者の誠実な人柄を想わせ、“ファン・ボルムさん”と“さん”をつけさせた。
コンテンツに四十項の小見出しのようなフレーズが並んでいて、「ヒュナム洞書店」の日々と、「ヨンジュ」という書店主の「本屋」への思いが語られていく。
最初の小見出しは「書店はどんな姿であるべきか?」です。
常連さんになりつつあるひとなのだろうか、いつも夕方に来るスーツ姿のお客さんが、開店前のお店を覗いています。
そこへ出勤してきたヨンジュが言います。
「夜のあいだに少し匂いがこもっていると思います。夜の匂いと本の匂い。それでもよろしければ、どうぞ中に入ってご覧ください」
スーツ姿のお客さんは、開店した後、また来ると遠慮する。微笑んで見送るヨンジュ。
店主とお客さんの何気ないやり取り。
何でもないようなシーンに、何でも無くない想いが行き来する。
この国の数ある小さな商店街の、たとえば、散髪屋さん、総菜屋さん、自転車屋さんなんかで、今日もこんなやり取りが交わされているだろうな。
次に暮らす町は、そんな町がいいな。
そして、開店前に“夜の匂いと本の匂い”を解放してやる「ヒュナム洞書店」がそこにあるなら、ぼくは日に三回は通うと思う。
コンテンツの次にある「ヒュナム洞書店に集う人々」リスト。
本文に行く前に“集う人々”を一覧しながら、さて、このひとはどんな役回りを割り当てられているんだろう、と妄想してみる。
ヨンジュ ヒュナム洞書店の店主
ミンジュン ヒュナム洞書店のバリスタ
ジミ コーヒー豆の焙煎業を営む女性
ミンチョル 男子高校生
ミンチョルオンマ
ミンチョルの母。本名はヒジュ
ウシク 会社員の男性
ジョンソ 編み物が趣味の女性
スンウ 兼業作家の男性
サンス 読書好きの男性
ソンチョル ミンジュンの大学時代の友人
読み進めていく。
高校、大学受験がその後の人生を決める、と言われる韓国。
有名大学を出ても希望する就職が出来ない。今は、超優良企業でバリバリ働く、いわば学歴社会の勝者たちが、ドロップアウトするケースが目立ってきているらしい。
「ヒュナム洞書店に集う人々」も、高校進学に何の意味があるのかと悩み、就職して家庭を持ってその先は...、組織と自分の関係に、家族の関係に、それぞれ悩みを抱えているひとたちだ。書店主のヨンジュも同じように深い傷を負って、「ヒュナム洞書店」をまったく未経験から始める。
本の内容に触れるのは、ここらで止めよう。おもしろさを半減させてしまうから。
思い出したことがある。
「スターバックス」のことだ。
まだ現役で、企業のSPをお手伝いしていた頃の記憶にこんなのがあった。
「スターバックスはコーヒーではなく、お好みのコーヒーを片手に、心穏やかに過ごす時間と空間を提供している」
ソウルの架空の町にある「ヒュナム洞書店」。
町が暮れてゆく。
明かりの灯った小さな本屋は、今夜も、そこにある。
まるで「灯台」みたいに。
「本屋大賞」の翻訳部門第一位だと知ったのは読了後。
不良老人のうっかりは、いよいよ加速する。