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本の“大量虐殺”工場で働くギレンは、『6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む』

★『6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む』
ジャン=ポール・ディディエローラン:著  夏目 大:訳
2019年4月17日/ハーパーコリンズ・ジャパン発刊


パリ郊外に住む主人公が、通勤電車で毎朝読書している、話ではなかった。

主人公、ギレン・ヴィニョールは、通勤客を乗せた電車の中で朗読しているのでした。

ドア右の小さな収納式座席に座り、大体10ページ分を下車駅までの20分を使って朗読する。
ギレンが朗読用の紙片を準備しているときに、誰かが咳でもしようものなら、他の乗客からすかさず「しいっ!」と声が飛ぶ。

みんな、ギレンの朗読を楽しみに待っているのです。

― ギレンにとって読む文章の内容は問題ではなかった。たた読むという行為だけが彼にとっては大事だった。文章がどのようなものであっても、同じくらいの熱心さで、明朗な発音で読んだ。ー

ギレンが朗読するのは、一冊の本の10ページ分ではありませんでした。
なんのつながりも無い、まったく別の印刷物のページの断片を読み終わったら次、次、その次と朗読していたのです。

さらに、その断片たちは意図的に座席下に外からは見えないように挟んでいくのですが、ギレンはそれを“救い出し”と思っているのでした。

ギレンの、この奇妙な朝のルーティン、儀式はなんなのか?

著者はフランスのヴォ―ジュ県在住で、短編で二度、ヘミングウェイ賞を受賞しているそうです。本作が初めての長編。世界36か国で刊行されており、2017年6月25日発行本にはフランスで26万部のベストセラーになっていると記されています。

「ヘミングウェイ賞」は知りませんでしたが、なかなかの感じの良い文体とリズムが、小さな「なぜそうなる、そう続く?」を、“そこはフランスだもの、フランス人は車内での朗読に寛容だもの”と消し去ってくれます。

ギレンが嫌々ながら向かうのは書籍など紙加工されたものを、もう一度ドロドロのパルプに戻す工場でした。
工場の中心には「ツェアシュトー500」というドイツ製のリサイクルマシーンが鎮座しています。
ギレンは、それを“それ”としか呼びません。

― “それ”は、物を砕き、押し潰し、叩き、切り刻み、引き裂き、溶かし、かき混ぜ、練り上げ、茹でる。ー

元同僚で友だちのジュゼッペは、その光景を見て叫びます。「大量虐殺だ!」

とても嫌な気分。
ギレンやジュゼッペと同じ、後悔と義憤、縁あった本を絶滅から救えなかった、数ある創造のほんの断片であっても、ドロドロにしてしまっていいのか、創る側にも売る側にもいたぼくの記憶がかすかに震えています。

ギレンが車内で朗読しているのは、断裁されたページの生き残り、ドロドロにされずに済んだ断片でした。

過去には、もっとひどいことがありました。
誤作動が続いていた「ツェアシュトー500」はジュゼッペの両脚も裁断し、ドロドロに溶かし、再生紙として書籍製作のルートに載せてしまいました。

おどろおどろしい話ですが、このフランス人作家の手に掛かると、ジュゼッペには失礼ながら、ドジな笑い話のように聞こえてくるのです。
なにせ「ヘミングウェイ賞」二回受賞ですからね。

事故はジュゼッペの飲酒癖が原因として、会社が支払った賠償金は脚一本につき8,800ユーロ。
怒り心頭のジュゼッペは奇想天外な手で反撃に出ます。

自分の両脚の骨と肉が混ぜ込まれた再生紙は、一体どこに行ったのか?

2002年4月16日製造の再生紙は、2002年5月24日、ジャン=ユード・フレシネ著『過ぎし日の庭と家庭菜園』、印刷部数:1300冊となって蘇っていました。
ジュゼッペの手には1冊/1300冊。ギレンは、この話に感動してくれた古本屋のおやじ連中の協力を得て、残り1290冊を探し始めます。

このアイデア、なかなかいいでしょ。湿っぽくないんです。前向きでもあります。
そう、この小説の裏側とか底の方には小さくたって“希望”を捕まえるとか、たったひとりでも“信頼”し合える仲間のために生きるとか、目には見えない確固としたテーマがひそんでいるように思えてなりません。

“希望”のなかのひとつ、小さいやつですが書いておきましょう。

ある日、ギレンはドア右の小さな収納式座席に挟まれていた赤いメモリー・スティックを見つけます。
それは、ジュリーというトイレ清掃員の日記でした。
いや、“ここでメモリー・スティック登場?”ではあるのですが、データ化されたジュリーの日常が、これまたおもしろい。

例えば、「シューケット・デイ」とは?
そこで食べるのが一番美味しいからと、ジュリーに4番トイレを確保させ、シューケット(検索してみて)を食べるご婦人がいたりするのです。

さて、さて、このセンスの良い日記の書き手・ジュリーとギレンは会えるのでしょうか?その先に未来は?

コンプレックスを抱え、言いたいことも言えず、極力目立たないように生きているギレン。
ただ、通勤電車で本の切れ端、残骸をひろい出し、その断片に朝のひかりを当てるように朗読する。それだけは決してやめないギレン。

ぼくは、そんなひとの側に佇んでいたい、いつでも。

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