詩と哲学は共鳴する。そして詩に描かれた猫は哲学する。
『失われた猫』 (2011年12月20日/光文社刊)
作:森 博嗣
画:佐久間真人
Wシリーズ最終巻『人間のように泣いたのか?』に出会ったのは銀座の本屋さんだった。
人間以外の、何が人間のように泣いたのか?
このタイトルが、ぼくの興味を一気に掻き立てた。
結局、最終巻を読んでから第一巻に回って、また最終巻を読んだ。
その後、他のシリーズにも手を出し、今、WWシリーズの第三巻を読んでいる。
SFではないが、たぶん2012年ころに購入したのがこの『失われた猫』で、家人へのプレゼントだった。
その時は、パラパラめくって、テクストが面白い。イラストもいい。猫好きの家人に見せたら喜ぶだろうくらいの気持ちで購入したような気がする。
『失われた猫』はいつの間にか、家人の書棚から、ぼくの書棚に移って来ていた。 ちっとも気が付かないでいた。
優れたSF小説は哲学の書でもあると思っている。
森さんの小説を購入したり、図書館で借りたりして読みふけった背景には、そうした思いもあった。
あらためて向き合った『失われた猫』。
森博嗣が上質紙に刻んだ詩は、やはり哲学だった。
そこに描き出された猫たちも、やはり哲学している。
ぼくのこころに引っかかった詩を、ひとつー
大切なことは、いつも遠くを見ることだ。 猫はそれを知っている。
遠くを見ていれば、やがて自分たちに訪れる運命を知り、
それに自分を適応させることができる。
一番大事なことは、運命と自分の一致だ。