雨後
いつまでも、あの時の感覚が甦るのは寧ろ、忘れるなという本能の自戒なのだろうか。
鋭利な刃物で他人を皮膚を刻んだような、その刃物の柄を震える手で握りしめていた惨めな自分の劣情。彼の哀しみを精一杯に押し込めた顔の細部、歪みを隠そうと動く眉毛や治りかけの頬のニキビだとか。
あの頃の自分はまだ思春期で未熟で子供で、と年齢を言い訳に出来る。それは今だったらしない、大人になった俺は成長したのだ、過去の幼い故意を打ち消そうと言い張りたくなるが、それでも耳元に残響が渦巻いているのだ。
若い彼の心がグシャリと潰れた破裂音。
「俺の怪我があって良かったな」
今だって大事なことを伝えようとする時には緊張して、目を逸らそうとしてしまうのに、あの時は彼をあんなにも真っ直ぐ見据えたのだろう。嫉妬や焦りは無様に助長ばかりして、普段の自分を簡単に砕く。
大会の数週間前に練習中に怪我をした。
小学校に上がる前からボールを蹴りだして、まともな怪我をしたことがなかった自分の初めての大怪我だった。勿論、初めて救急車にも乗った。
初体験の激痛、しかも膝だ。いてぇ、いてぇと呻いたが、少し経つと歩こうと思えば歩けたから大した事もないのでは、と膨張してパンパンになる不安を何処かへ蹴りだそうとしたかったけれど、直後の激痛を思い出してただ青褪めるだけだった。
入院を伴う手術。全治6ヶ月の診断。
挫折、を初めて味わった。自分の力というものは何も役に立たないと思った。エースナンバーの輝きなんていうのはピッチ上だけの光なんだ、と項垂れた。
周囲の励ましがこんなにも苦しく重たく感じるのは、自分の心が弱いからか。あの選手はこんな大怪我を乗り越えたよ、その手の話は腐るほど見聞きした。自らも有名選手の手記などを手本に前向きになろうとしたが、羅列する美しさばかり際立つ文章はなにも響かず、福音の影すらない。
自分と他人とを切り離し過ぎていたのかもしれない。
もちろん、自分はまだ若く、プロになりたい熱意だってある。目の前の目標としていた大会や、この1年は棒に振ってしまうけれど、人生の全てをサッカーを諦めた訳じゃない。そういった瑞々しい希望もある反面、生来の負けず嫌いの扱いに自分でも手を焼いた。
絶対に負けたくない、という強い気持ち。その衝動のような激しさはサッカーに関しては、とても良く働きかけたと思う。
試合では最後の一秒までゴールを諦めない、練習でも誰よりも点を取りたいから努力を怠らない。本当は苦手な早起きだって、地味な基礎練習だって全てサッカーの上達に繋がるのならと率先してやった。
だが怪我でサッカーから離れることになると、こんなにも不安定だ。
必ずプロになると思って、いや思い込んでいた。それを信じて自分を信じて、それしかないと思い込む。それは夢を実現する術だと思った。
入院中、生活の中にサッカーの無い人々を見て、カルチャーショックを受けたくらいだ。それくらい自分の生活にサッカーは欠かせないものだった。けれど、その当たり前は世の中の当たり前じゃない。
自分でプレーするしないに関わらずとも、サッカーのある生活を送る大人はこんなにも少ない。
不意に脳裏を過るサッカーのない人生。
振り払うように頭を左右に動かした。けれど、大きな恐怖となって幼い心を巣食い恐怖で枕を濡らした。
手術は無事に成功し、リハビリの日々が始まる。
リハビリを担当する中年の先生は、ユースチームのエースナンバーを背負う自分の情報を知っていたようで、プロ選手のリハビリを担ったこともあるよ、と微笑んだ。
思うように動かない足、そしてリハビリ中の痛み。
手術は本当に成功したのか?自分を騙そうと医者も両親もしているのではないか?と疑うほどだった。
毎日、体を動かしていたのに、こんなにも動けない自分。初めて体から心から嫌なくらいのストレスを抱えた。丸で呪いにでもかかったようだ。
リハビリの先生も大学までサッカーをしていたが、プロは実力不足で諦めたと雑談で語ってくれたが、それすらも自分の望む未来とは別の道があることを痛感する材料にしかならなかった。
嫌だ、サッカーのない人生は嫌だ。そう強く強く思うのにボールを蹴ることの出来ない自分。
驕っていた訳ではないけれど、才能があるだとか褒め言葉に浸っていた部分はあった。その皆が言う俺の才能というものは、努力によって更に高められると思っているけれど、怪我によって磨り減ってしまうことはないのか、と焦りがジリジリと湧いてくる。
信じなければ。未来を、自分を、自分の夢を。
手術後にチームメイトがお見舞いに来たこともあった。お互い気を遣ってしまい、終始、微妙な空気だった。正直、早く帰ってくれ、とさえ思った。そう思った自分が卑屈で嫌な人間に思えた。怪我に対する不安を拭えず、それらを隠匿して仲間たちに笑いかけることも出来ない。
自分のことだけ考えている内はまだマシだった。自分を信じればいいと妄信的になるのも何処か楽だった。
その盲信は未来への希望だったから。怪我を乗り越えて、俺はプロになるんだ。練習を見に来たトップチームの強化部の方々の意味ありげな視線を思いだし、奮い立たせる。
けれど、その盲信の隙間に入り込んでくる、目の前の現実。
筋肉の落ちた体、なのに成長期で身長は伸びて行く。高さは欲しかったから喜ばしい筈なのに、上にだけ伸びて貧相な感じがする。
入院中にも自分の鬱屈さに辟易していたから、なるべくチームのことは気にしないようにした。けれど、大会が始まると思わず情報を追ってしまった。
結果、苦しみばかりが堆くなった。
大会初戦、ベンチに自分の背番号のユニフォームをメンバーが置いた。仲の良いサブメンバーのチームメイトが、写真付きでメッセージをくれたけれど、嬉しさを感じられず、ベンチ外の選手ですら羨ましかった。試合に出れなくても、あいつらはボールを蹴られる。
そんな自分が嫌で仕方無かった。前にチームメイトが怪我をした時には先頭を切って彼を励まし、早くお前とサッカーやりたいよ、などとメッセージを送っていた癖に。そんな励ましと思っていたことすら、自分本意のものだったのだと、殊更に辛くなる。
自分の入っていたポジションには、今までは別のポジションを務めていたチームメイトがコンバートされていた。自分の欠場による苦肉の策だとも言われていたが、結果は順調だった。
パスを出す側だった経験が活きて、彼は得点を奪っていた。それでいて守備意識も高い、と評価されていた。丸で自分が否定されているような気がした。とても傷ついた、心が痛くて痛くて堪らなかった。今までの自分も、怪我をしたことも嗤われているような被害妄想にとり憑かれた。他人の活躍でこんなにも落ち込むことにも嫌気がさした。
それらが大きな塊となって、たまたま遭遇した彼に呪詛を吐いたのだ。直後は不穏さを誰かに吐き出した爽快感すらあった。
だが、それは嘔吐と同じで吐瀉物はそれは醜いものだ。そして、その姿を曝したという恥ずかしさが後を追う。
それでも、その辛いリハビリも乗り越え、自分はピッチに戻ってきた。走れた時の爽快感や、ボールを蹴る感触が嬉しくて自然と笑顔になった。
サッカーが戻ってきた生活で、やっと自分は自分に戻れた。そんな気がした。怪我をして卑屈になっていた自分は自分じゃない、と勝手に思い込んだ。才能は怪我によって失ったりしないんだ、と自信も取り戻した。
誰かを深く傷つけたことすらも、記憶の底に閉じ込めて。
トップチームへの昇格は叶わなかった。昇格したのは世代別の代表に召集されたこともあるゴールキーパーの選手だった。羨ましい気持ちはあったが、妬ましさはなかった。同い年の選手で集まって、昇格を祝うこともした。
あの彼は自分の復帰後、ベンチ外が続き練習でもBチームになった。言葉を交わすこともなく、視線すら合わせなかった。そのまま、ユース最後の年は終わり、違う大学に進学した。自分はサッカー推薦で入学したが、進学校に通っていた彼は受験したようだった。
大学のリーグでも良い成績を残し、3年の時にはプロチームから声も掛かった。これから、サッカー人生の本番が始まるのだと胸が高鳴った。
あの時、自分の代わりとして大会に出場した彼も、大学でもサッカーを続けていた。対戦することは無かったが、元のポジションを大学でもやっていた。だが、彼はサッカーを辞めて就職をするらしいと噂で聞いた。
プロサッカーチームでの練習参加をした帰り道、スーツ姿の彼を駅で見かけた。似合っていない黒いスーツに真新しい鞄。就職活動中であることは一目瞭然だった。自分は上下ジャージ。
サッカーのある人生、とない人生。
自分があの時、恐れていた人生を彼は歩む。
不意に声をかけようとした。あの時、言い放った言葉を謝ろうと思った。瞬時、今更なにを、と躊躇う。
雑踏の中、リクルートスーツの背中は人の合間に消えていった。
その後の俺のサッカー人生は順調とは言い切れないまでも、充実していた。
大学で出会った彼女とプロ3年目に結婚し、子どもも出来た。試合も調子を落とし、ベンチ外になることもあったが、大きな怪我もなくコンスタントに出場を重ねている。監督にもスタッフにも、環境にも恵まれていると思う。
自分のサッカーへの情熱がそれらを手繰り寄せたのかもしれない。
けれど、落とし穴は存在する。
幸せだ、と感じる瞬間。その直後にいつも自分は不安と戦う。
家族が目の前で笑っていても、ふと自分は心ない自分勝手な言葉で他人を傷つけたこともあり、他人を妬み、優しさを素直に受け取れない部分を持っている。
これから、サッカーが自分から奪われたとしたら、家族もそんな自分を見るのではないだろうか。サッカーがなくなれば、簡単に自分が崩れることを俺は自覚していて、その時に自分は優しく出来るだろうか。
あの時と違って、自分は成長した。
俺は大人になった。家庭を持ち、親にもなった。チームでも副キャプテンを務め、試合でキャプテンマークを巻くこともある。大学時代にキャプテンを務めた経験はあるが、ユース時代には無かった。
それは成長。あの時の自分とは違う、と心の中で喚くけれど
握りしめた不機嫌な鋭さの柄を握りしめた感覚は残っている。
彼に謝りたいわけでない。懺悔して救われたいわけではない。
当時の未熟さを猛省している。
それでも、本当の自分は汚くて、サッカーとか才能とか眩しいものに隠されているだけなんじゃないのか、と戦く。
失望して、失望されて 励ましも優しさも拒否をして。
揺らいだ彼の瞳の色は今でも鮮烈にこびりついている。
それは調子の上がらない時には特に頻繁に蘇り、余計に身体の感覚を鈍くさせる。
リラックスしても打てたシュートが入らない。
誰のせいでもない。自分のせいだ、と思うときに焦りと共に、あの瞳がこちらを見ているような気がする。
きっと、自分の潜んだ牙の怯えから解放され、彼の瞳ですら愛おしく思えるようになるのは
あれだけ、嫌がっていたサッカーのない人生に向き合うことになった時だろう。
そう、引退の先。
どうしたら、あの恐怖を拭いきれるのか。自分を信じられるようになるのか。
戦いはまだまだ続く。雨の後にも。