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サッカー観て 神社に行きたい。 浦和レッズ編

リーグ開幕も近付き、今週末にはFUJIFILMカップ!!!
こんにちは。ドキドキワクワクの止まらないかちこです。

我が軍、川崎フロンターレとFUJIFILMカップにて対戦するのは、天皇杯優勝の浦和レッズ!!
ガラリと選手の顔触れも代わり、どんな試合になるか楽しみですね。
ってことで、今回は浦和レッズ編です。

浦和でも~~サッカー観て、神社行きた~~い~!

歴史

まず、土地の歴史を調べてみました。
「浦和」の地名が、古記録に初登場するのは室町時代初期、日光輪王寺の般若心経奥書。
歴史好きとしては割りと最近の感覚です。(おかしい)

由来は定かではないのですが、浦和周辺は元々沼の広がる湖沼地帯だったので「浦(水辺などのこと)」、「和」=「は」=「端」という説もありますが、推測の域です。
浦和は「浦和宿うらわじゅく」として、中山道の宿場町でした。規模は大きく無いものの、市も開かれていたとのこと。

周辺は「見沼」と呼ばれ(大宮の氷川神社辺りも含む)、前述の通り沼地でした。
見沼は御沼、箕沼の表記もあり、みのぬま=巳(蛇神、水神)の沼や、御という字から、神の棲む沼の意味合いなども考えられます。
対して、沼が三つくっついたような形から「三沼」という説もあるようです。

江戸時代に干拓事業が始まり、沼は埋められるのですが、その後は新田開発となり、その田んぼの面影を「見沼田んぼ」が残しています。
20世紀後半になると、耕作放棄などで荒地になった土地を利用する事業があり、浦和レッズの練習場となっている「大原サッカー場」も、その土地を利用した事業のひとつだそうです。

浦和レッズのホームスタジアム「埼玉スタジアム2○○2」のある浦和美園駅ですが、浦和「美園」って?
浦和とつく駅は現在8駅。
浦和、北浦和、東浦和、南浦和、西浦和、中浦和、武蔵浦和、そして、浦和美園。

昭和31年に野田村、大門村、戸塚村が合併し「美園村」が誕生。
三つの村が合併なので「三」と「美」を懸けて「美園村」としたのですが、6年後に川口市と浦和市に吸収され、消滅してしまいました。
それでも、地元の方は「美園」という地名を支持していたようで、施設などの名称に使用し、2017年には「美園町」と町名として、地名復活。
埼玉スタジアムの命名の際も「美園スタジアム」を望む声が上がったそうです。

調神社つきじんじゃ

浦和レッズが必勝祈願する神社。

調とは貢物のことで、伊勢神宮へと運ぶ調物を納める御蔵だったのが、調物を運ぶ道が東山道(中山道)から東海道となり、
宝亀2年(771年)神社となったと伝わります。
歴史の項で述べた通り、周辺は沼地で荷物を運ぶ船が風災被害に遭い、多くの人々が無くなり、追福のために創られた説もあります。
927年成立の延喜式にも、式内社として記載のある歴史のある神社。

調=月、として「つきのみや」「月待の宮」「月読大明神」「二十三夜祠」「月読社」などと称されます。
ということは、ご祭神は月読尊かな?それとも、見沼だし龍神かな?なんて思いますが、ご祭神は天照大御神、豊宇気姫とようけひめ、素戔嗚尊。
何故かと云うと、元々、伊勢神宮への調物を納めていたからですね。
伊勢神宮のご祭神は、天照大御神です。伊勢神宮の外宮のご祭神は豊宇気姫で、この女神さまは食物・穀物の神様。
御蔵には調物として、穀物が納められていたのでしょう。

本来は「調」と「月」は音が違かったようですが、年月が経つうちに混合したよう。
「調」については、徴税の職を世襲した調つき氏(百済人で帰化した努理使主ぬりのおみの子孫)に関するという説もあります。

元々沼地だったので、調神社の境内を50m以上掘ると、貝が出てくるという情報もありました。

歴史はこれくらいにして、現在の調神社。
つき(月)ってことで、兎にまつわるものがたくさん!
狛犬でなくって、狛兎。
手水にもウサギ、池にもウサギ。
口から水を出すウサギにシュールさを感じてしまう…。
十二支の「卯」とは、あまり関係性はないようです。
昔は二十三夜仏といって兎を彫った石仏も多く造られており、氏子中で兎を殺したりすると祟るとも伝えられていたそうです。

調神社の七不思議
①鳥居がない  
これは御蔵の頃の名残で、調物を運ぶ際に鳥居にぶつかるのでないらしいです。
②松の木がない
お正月の門松もなく、杉が代わりに飾られているそう。
③日蓮上人のけやき
④狛犬でなくて狛ウサギ
⑤池の魚は片目になる(今は現存しない池)
⑥蝿がいない(いるらしい)
⑦蚊がいない (いるらしい)

鹿島神宮などにも七不思議あるけど、あんまり惹かれなかったりする著者です。

氷川神女體神社ひかわにょたいじんじゃ

埼スタから歩いて行ける距離にある神社。

大宮にある氷川神社を男体として、対しての「女體(体)」になります。
「女體」は新字体だと「女体」です。
男体山、女体山。男坂、女坂。男と対になる。

武蔵国一宮は氷川神社ですが、こちらの氷川女體神社を一宮とする説もあり、東角井光臣家文書の文政2年6月に
「三室村簸河ひかわ一宮と御朱印にも御認有」と記載があります。
明和4年に作成されたご由緒にも「武蔵国一宮」とありますが、これは「一宮」であることを主張するもののようなので信憑性は如何に。

ご祭神は稲田姫命いなだひめのみこと三穂津姫命みほつひめのみこと大己貴命おおなむちのみこと
氷川神社のご祭神が素戔嗚尊なので、こちらのご祭神は妻である稲田姫命。
稲田姫命=奇稲田姫は、素戔嗚尊が八岐大蛇退治の際に櫛に姿を変え、素戔嗚尊がその櫛を身に付け戦いに挑みました。
櫛は魔除けの呪術の意味合いがあります。古代は先端の尖ったものは魔除けです。存在自体が魔除けとなった奇稲田姫が奉られてるので、厄除けを願うのも良いかもしれません。

氷川神社は、夏至に太陽の沈む西北西、氷川女體神社は冬至に太陽が昇る東南東に位置します。
鬼門の北東(丑寅/艮)、裏鬼門(人門ひともん)の南西(未申/坤)が避けられるかたち。
南東の方角は十二支で「巽(辰巳)」(龍、蛇)なので、見沼の土地と関係あるのか。氷川神社は「乾(戌亥)」

追記:戌亥は天門、辰巳は地門。
冬至は陰気極まり、陽気萌す。
陽、火の生まれる処は陰、水。なので、氷川女體神社は辰巳の方角に座すのかもしれません。
見沼付近の古地図を見ると、氷川女體神社は沼に向かうように建っていました。火の生まれるところ水の宮となったのか。

フォロワーさんより、春は桜並木が綺麗との情報をいただきました。
こちらは見沼の計画の一環で進められ、約20キロの桜回廊が続くそうです。

氷川の名前は、出雲の簸川ひかわからとった、という説があります。
簸川(肥河)は八岐大蛇やまたのおろちの棲んでいた伝承があり、見沼の水神(龍神)もしくは、暴れ川であった荒川を八岐大蛇に重ねたのかもしれません。
氷川神社のご祭神が素戔嗚尊なのも、水害を免れたい祈りからかもしれなですね。
一方で、氷川神社の昔のご祭神は「氷川神」であり、見沼の水の神だという説もあります。

「埼玉の正倉院」と呼ばれるほど、宝物がある…と情報でみたのですが、殆どが一般公開されておらず。
浦和市史で調べると、色々と出て来ましたが、古い鈴が年代不詳。
他は鎌倉時代、あと室町時代の武家からの奉納のものが多く目立ちました。刀、鏑、鉾、具足など武具がメインです。
古い時代の宝物を期待していたので、ちょっと拍子抜け。
けれど、調神社も足利尊氏に再興されましたし、氷川女體神社も武家からの信仰もあるようですし、昔から武蔵の国には、武蔵七党始め、以降も平一揆や白旗一揆と力を持った半農半士がいましたから、武蔵らしいのかもしれません。坂東武者ですね。
武士団とか一揆とか、そういった一丸となる力強さなんかは、浦和サポさんや浦和レッズのイメージに近い感じがします。

そんな坂東武者の面影を浦和レッズの選手たちや、サポさんから感じつつも、我が軍もディフェンディングチャンピオンとして立ち向かい熱い試合を繰り広げて欲しいですね!!

おわりに

みなさん、お察しの通りにこのシリーズ迷走しています。
今回は歴史たっぷりのガチトーンで進めてみました。
ノリも毎回異なりますし、迷走しながら続けて行こうと思います。
読んでくださる皆様、ありがとうございます!




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