異語り 136 招く手
コトガタリ 136 マネクテ
60代 男性
まだ小学生だった頃の話です。
家の近所に小さな金物屋がありました。
鍋やらザル、スコップや鍬など、金属の日用品を扱うお店です。
高齢のご夫婦が細々と営んでおられたみたいですが、そこそこ繁盛していたように思います。
店の奥が自宅になっている造りで、周囲をぐるりと椿の生け垣で囲ってありました。
毎年時期になるとたくさんの花を付けるので、冬場でも店の周りは華やいでいました。
ただ、私は少々この生け垣が苦手でもありました。
通学路でしたから毎朝、毎夕そのそばを通るのです。
アレを見たのは……まだ低学年の頃だったと思います。
年も明け、三学期が始まってすぐの頃。
その日は何故だったか1人で下校していました。
椿はまだ咲いておらず、背の高い緑の壁が続いています。
ただ、つぼみは今にも開きそうな程膨らんでいました。
その日は遊ぶ約束もなく、今日は何しようかな等と考えつつぼんやりと歩いていました。
不意に濃い花の匂いを感じ足が止まりました。
まだ花は咲いていないのに?
何の気なしに振り返ると、さっきまで何もなかった緑の壁に一輪白い花が咲いています。
あれ? 今咲いたのかな? それなら見たかったな
そんなことを思いながらふらふらと花の方へ戻りかけました。
すると、咲いたばかりの花がゆらゆらと頷くように上下に揺れ始めたのです。
ビクリと体が強ばり足が止まりました。
花の匂いがより濃くなった気がします。
ああ、もっと近くでみたいのに
そんな考えが浮かぶものの、足は動きません。
そして心のどこかでは
恐ろしい、早く帰りたい。
そんな気持ちもありました。
花はゆらゆらと頷きながらこちらへ向こうとしています。
ああ、ほら近くに行かなくちゃ
ダメダメ、逃げよう、いますぐ!
相反する気持ちがごちゃごちゃになって涙がにじんできます。
それでも足は動きません。
花はついにこちらを向きました。
花ではありませんでした。
真っ白な手
子どものような小さな手のひらだけがゆらゆらと手招いているのです。
高さは私の胸ぐらい。
生け垣は濃く詰まっており人が入れるような隙間はないです。
何より、直感が【アレ】は人ではないと告げていました。
「うわあぁぁぁぁぁぁ」
情けない悲鳴をあげその場にへたり込むと、同時に足の強ばりも解けました。
這いずるみたいに後ずさり、一目散に家へ逃げ帰りました。
なので、私はあの生け垣が苦手なのです。
それから数年が過ぎ金物屋の店主が息子夫婦に代替わりしました。
それでも店は変わらず賑わっていました。
さらに数年後
息子夫婦は店舗を改装。
それに伴って、あの椿の生け垣もなくなりました。
駐車場も備え品揃えも充実した綺麗なお店がオープンしました。
私の親も近所の人たちも喜んでいました。
ですが、なぜだか客足は徐々に遠のき数年後には店は閉店。
後は月極の駐車場になってしまいました。
幼い頃私が見た【手】はもしかしたお客を招く手だったのでしょうか?
招き猫ならぬ招き椿?
あの老夫婦であれば何かしら理由を知っていたのかも知れませんが、今となっては確認のしようもありません。
あの【手】は確かに人のモノではないと感じました。
ですが、畏怖はあれど恐怖ではなかったのではないか? と今更ながらに思い出してしまいます。