「生きているだけでいいんだよ」と言えない親心 ~やっぱり学校に行ってくれると嬉しい~
こんにちは。カブトムシの母です。
あっという間に6月ですね。
昨年の9月から起立性調節障害で学校に行けたり行けなかったりの息子。
中2になって心機一転、がんばってはみたものの、2週目からはまた欠席することも増えてきました。
それが今週は月曜日から金曜日まで、休まず行けました!
(もちろん遅刻してですが)
そして、なんと、びっくり。
塾の夏期講習に行くと言い出しました。
体調がよくなってきて、少し余裕が出てきたのか、
出られていない授業が増えて、さすがにヤバイと思い始めたのか、
理由はどうあれ、私としては、正直、めちゃくちゃ嬉しかったです。
(中尊寺のご利益か??)
昨年、学校に全く行けていなかったころは、「学校嫌い」「勉強嫌だ」と
学校や勉強を拒絶しているような感じだったので、
一体この先、どうなってしまうのだろうと不安しかありませんでした。
息子の名誉のために言っておくと、勉強嫌いと言いながらも、勉強はできる子でした。
塾の昨年の夏の模試では、県で一番いい高校がA判定でした。
(塾は具合が悪くなってからやめました。)
ただ、発達の凸凹があるので、集中できない、面倒なことはしたくない、
じっと座っているのは苦痛…という中、「過剰適応」の状態で
ずっとがんばってきたので、壊れちゃったんだろうな…と思います。
せっかく能力があるのに、生かせないのは本当にもったいない。
でも、いい高校、大学に進学してほしいというのは、しょせん親のエゴ。
本人が辛いなら、もう無理して勉強しなくてもいい。
どんな道であれ、自立できて、本人が幸せになってくれればそれでいい
…と自分に言い聞かせてきたけれど、やっぱり学校に行ってくれると嬉しいし、進んで勉強すると言ってくれるともっと嬉しい。
「這えば立て、立てば歩めの親心」
と言いますが、このままだと
登校できるなら遅刻するな、
遅刻しないで行けるならちゃんと勉強しろ、
勉強できるなら上を目指せ!
…と、どんどん期待がエスカレートしそう。
だめだ、だめだ!
過度な期待は禁物!!
自戒をこめて、ごとうやすゆきの「生きているだけでいいんだよ」
を読みます。
この詩は、以前、小学校の読み聞かせグループで詩の朗読会をしたとき、
メンバーの一人が読んでいて、いいなと思った詩です。
素晴らしいと思うけれど、なかなかその境地にはたどり着けない…。
何歳になっても未熟な親です。
本当に「育児」は「育自」
今日も読んでいただき、ありがとうございました。