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疲れすぎて半日寝ていた

14時に起きた。
昨日は22時に寝たから16時間寝ていた。
正確には午前中に少し起きてご飯を食べたりアニメを見たりはしたが、気持ち的には16時間寝た気分だ。
休日はいつも外出しているので、こんなふうにして寝過ごすのは珍しい。
疲れている。

最近は仕事が忙しい。
給料は変わらないのにどんどんやることが増えてしまっている。
本屋も資本主義の荒波にもまれている。
そのしわ寄せがどうしても現場に来てしまう。
そして、それが目の疲れとなり、肩こりとなり、我が身体に蓄積されていく。

先週もこんな感じだったから、歩いて15分バスで10分かけてサウナに向かった。
ようやく着いたと思ったら、入り口には「臨時休業」の張り紙。
年中無休で営業している施設だったから油断していた。
あまりの衝撃に耳からAirPodsProを外し、イヤホンケースにしまおうとしたら、そのケースがない。
そこで脳髄に電撃走る。
イヤホンケース、財布、家の鍵が入ったトートバッグをバスの中に忘れてしまったらしい。
バスから降りたのは5分前。まだ間に合うかもと無我夢中でバスを追って走り出した。
サウナでゆっくりするはずが、トートバッグを取り戻す旅が始まってしまった。

「ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス」にハマっている。
ストレスにまみれた日常から逸脱するように、一目で"悪"とわかるゴブリンを殴り倒し、必ず一つの正解があるダンジョンの謎解きにいそしんでいる。
そんなだから楽しくなってしまい、仕事終わりに平気で2,3時間プレイしてしまう。
それが寝る時間を遅らせ、翌朝も疲れがとれないという負のループに陥ってしまった。
これはいかんと「ゲームは一日一時間」というマイルールを定めた。
小学生が親から授けられるようなルールだが、やはり小学生から言われているようなことはどこかしら真理に通じているのだ。

子どもが公園で遊んでいる。
その光景を見ると、子どもの体力の、その底が見えない無限性に恐ろしさを感じてしまう。
私にもそんな時期があったのに。疲れなんて意識すらすることのない日々が。
今は"疲れがない"というのがどんな感覚だったのかを思い出すこともできなくなってしまった。

この文章を書いている間も頑固な肩こりがその存在を主張してくる。
肩こりを感じるたびに思うのが、肩を交換できればいいのに、ということだ。
冷蔵庫に新鮮な肩がいくつか入っていて、肩こりが出てきたら古くなった肩を外し、新鮮な肩を装着するのだ。
肩こりからおさらば。

起きてからこの文章を書いて、15時をまわった。
やることを書いた紙には、皿洗う、洗濯物たたむ、掃除機、買い物、とある。
今からこれらをやるのかと思うとうんざりしてくる。
というか出来る気がしない。もうやらなくていいですか。
テーブルを見ると、蚤の市で買った陶器の蟹が両手を上げていた。

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