【心に残る一冊】少年と犬(2020年 馳星周 著)

ふだんは読んだ本に関して、あまり他人の評価を気にすることはないのだけれど、この作品については、ほかの人がどんな感想をもったのか興味が湧いた。人によって、とくに犬を飼っている経験があるかどうかで、だいぶ共感の度合いが異なるだろうと思ったからだ。

もっといえば、犬を飼っている人の中でも、その種類によって違うのかもしれない。先にぼく自身の話をすると、子どもの頃、実家ではシェパードを飼っていた。まさにこの小説に登場する多聞とシンクロしてしまうような犬だ。

ぼくが6年生の頃に、生後2ヶ月ほどでやってきたうちのシェパードとは、文字通り一緒に育った。「ペット」とか「飼う」という感覚ではない。「かわいい」すら思ったことはない。完全に家族、兄弟の感覚だった。向こうもぼくとは対等だと思っているから、命令なんて聞かない。でもとにかくたくさん一緒に遊び、ケンカをし、また仲直りをして遊んだ。親に怒られたときは、外の犬がいる小屋にもぐりこみ、その体温に癒されながら寝たこともある。そのパワーで、つないでいた鎖がいつも間にか切れることもしばしば。家から4kmも離れたぼくの中学校の校庭に突然現れ、校内をパニックに陥れたこともあった。騒ぎを聞いてあわてて飛び出してきたぼくに、いつも家でやっているように体当たりをかまし、得意げにしていた表情は忘れられない。ぼくが実家を離れ、たまに帰省するときには、まだかなり遠くにいるときから察知して、ずっとそわそわしていると親が話していた。病に倒れ、もう朝までもたないと動物病院で言われたときには、ほとんど意識がない中で、駆けつけたぼくの呼びかけにうっすらと眼を開けてくれた。

この小説は、人によってはリアリティが感じられないだろう。関わる人がたくさん死ぬことへの違和感を覚える人もいるようだ。でもぼくの感想は違った。人は誰でもいつか死ぬ。死に方はどうあれ、彼らは寿命を全うしたに過ぎない。そして、最期のときに多聞が一緒にいてくれたことで、彼らはどれだけ安心し、救われた気持ちになっただろう。

この「少年と犬」は、ふとした情景の描写もふくめて、作品全体を通して、作者という「人間」から「犬」への愛と感謝を形にしたものであり、ストーリーもその装置でしかないという印象をもった。

小説を読みながら、目では文字を追っているが、そこに見えているのは我が家のシェパードそのものだった。文章で描かれる多聞を通して、自分の目が、耳が、手が、その存在を思い出していた。美しく黒い眼。顔を舐めてくる大きく長い舌。熱い息づかい。冷たく湿った鼻。ときおり見えない闇に向かって吠えたてる声。厚い胸板とたくましい四肢。外側はゴワっとしながら内側は柔らかい毛の手触り。やんちゃで、強くて、優しかった。

その表現を通して、一人ひとりの心のうちに風景を呼び起こし、空想の世界を広げる。それが文学の役割だとしたら、この小説は間違いなく「犬文学」の最高傑作だと思った。

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