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【2011年、転職活動記~26歳はじめての転職活動でボクが考えたこと~】4

2012年2月5日:若者はなぜ3年で辞めるのか

昨日、一つ目の内定を頂いた。ダルビッシュの作文を書いたあの会社だ。あの日が人事部の面接と筆記試験で、その後、経理部長ら現場担当者との面接、最後に役員面接といった形で面接は進んだ。他社についても進行中ではあるが、たいていこのような形らしい。最後の面接のときには人事の方から、年収も提示していただいた(メーカーということもあって決して高い金額ではないが)。自分の価値がリアルなお金で表されたようで、誰しもはじめてお給料を頂いた時に感じただろう、働いてお金をもらうことの凄さをいま再び感じている。
エージェントには、内定を頂いてもしばらく他社の結果を待ってほしい、と伝えてあったのだが、会社は、いつまでも待ちます、と言っていただけているらしい。評価されることはやはりうれしいし、正直、心も揺らぐ。
けれど、第一候補群の結果はまだ一つも出ていないし、仮にそちらで内定がでるならば、心苦しいがダルビッシュを辞退させていただくだろう。こんなに良くしていただいているのに、冷静に判断できる自分はかなり冷たいやつだとも思う。でも、それだけ真剣に将来の事を考えているともいえると思う。一時の情だけで判断してしまうのはやはりリスキーだ。

面接は平日にあるから、土日は相変わらず友人と飲みに行けている。
最近、友人で集まると、たいてい結婚の話か、転職の話になる。僕等は2008年卒だから、今年が社会人4年目。このまま仕事を続けていいのかと悩みだす友人は転職を考えだし、仕事を続けることをほぼ決めている友人は結婚を考えだす。みんな、本気で将来の事を考え始めている。

僕もまさにいま真剣に考えている。
今日の活動記には最近ふと感じたことを書きたい。

数年前、「若者はなぜ3年で辞めるのか」という新書が流行ったのをご存じだろうか。僕がその本を知った時、大学生だったと思うが、その時は、根性のない若者が増えたものだなぁと思ったものである。まさか自分が3年で辞めた若者になるとは考えもしなかったのだ。
 本の内容としては、興味あればご一読いただきたいが、特にポジションに対して上司や先輩の数が多く、出世が見込めないことなどが主な原因となっているようなことが書いてあったはずだ。もちろんこの説明は一因であると思う。
ただし、この本が出る前からも、とりあえず3年は頑張りなさい、といったようなことはしばしば言われていると思う。この3年という期間は、どんなに苦しくても3年たてば報われるといった「石の上にも3年」理論が根底にあると考えられる。僕も辞めると決めた時にかなり迷ったものだ。ちょうど2年経ったあたりだったから、あと1年辛抱すれば何か見えてくるかもしれない。いや、見えてこなかったとしても、3年を待たずに辞めるということは「辛抱のない若者」というレッテルをはられることになり、転職の際に「石の上にも3年」理論に支配された大手企業には嫌みの一つでも言われるのではないかと思ったものだ。
 
でも、辞めたいと思いながら過ごす日々は想像以上に精神的にこたえるものである。周りの先輩を見ている限り、あと1年いたところで何かが見えてくるとも思えない。いや、あと3年いたって5年いたって同じように思える。この20代という社会人としての第一次成長期の数年をそんな風に過ごしているかと思うと、いてもたってもいられなかった。僕の場合には、ちょうど主査を任されるタイミングだったこともあり、思い切ってそれを断り、退職した。
 
僕は間違っているだろうか。
真剣に将来を考えて、出した結論だとしても3年待たずに辞めてしまうことはダメなやつのすることなんだろうか。

「石の上にも3年」理論について、最近、僕はこう考えるようになった。すなわち、人間が現実を受け入れ、合理化を行い始めるまでの期間がおおよそ3年くらいなのではないかというように思うのだ。どんなに苦しいことや、つまらないことをしていたとしても、自分が3年も継続して行ってきたことなのだから、その期間を否定したくないと本能的に思い、「よく考えれば、そう悪くもなかったのかもしれない」なんて合理化するのではないかと思うわけだ。そうして、みんな聞き分けのよい大人になっていく。後輩にもとりあえず3年は我慢しろという。なぜか。それが自分の通ってきた道であるし、自分を否定したくないからだ。

僕らの世代はいわゆるゆとり世代だし、そりゃ昔の人からすれば甘ちゃんかもしれない。けれど、経済がなかなか成長しない現実を見て、時にはリストラされる人々の姿や自殺者増加のニュースを見て、育ってきた世代でもある。入社しても、明らかに上の世代が詰まっていて、自分の出世はうまくいったとしても、そう早くはないだろうなとひしひしと感じている世代でもある。いままでとは状況が違うのだから、「石の上にも3年」理論とは違う論理が必要なんじゃないだろうか。
 
もちろん、苦しいことから逃げろ、と言っているわけではない。それどころか苦しい事をしないと人間として成長はないと思っている。寿司職人が下積みなしでいきなり店を出してもいいとは思わないし(いや、出したとしても成功の可能性は極めて低いだろう)、相撲取りがちゃんこも食べず、稽古もせずにいきなり土俵にあがっていいとも思わない(いや、たとえあがったとしてもまず白星はつかないはずだ)。

けれども、もしあなたがしている仕事が、あなたがいくら真剣に考えても将来なりたいと思う姿につながらないことならば、それに向かって方向転換することはいいことなのではないかと思う。たとえ3年を待たずとも。
苦しいことでも頑張れるのはそれが自分の将来のなりたい姿とつながる事だからだ。寿司職人になりたいのにちゃんこを食べて、稽古したってしょうがないし、相撲取りになりたいのに寿司の下ごしらえをしてもしょうがない。

苦しいことから逃げるためだけに転職を考えるのは確かに逃げだ。
一度逃げることを覚えると何度でも逃げてしまう。

けれど、成長するために転職を考えるのは、むしろ進んでいるんだ。


続き

2011年、転職活動記は以下6記事となります。他も読んでいただけるとありがたいです。
2011年12月21日:事のはじまり
2012年1月19日:楽しいこととすべきことは少しずれたとこにある
2012年1月24日:誰がダルビッシュを笑えるだろうか
2012年2月5日:若者はなぜ3年で辞めるのか(←本記事)
2012年2月23日:決断のとき
2012年4月6日:終わりと始まり


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