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「嫌いな人」は自分でつくり出している

壁家屋(かべうちや)勇心(Yushin)です。

本日の話題は『嫌いな人』です。なかなか向き合いたくないトピックかもしれませんが、誰でも苦手な人や嫌いな対象があるものだと思います。

ついつい避けたり、関わらないようにしたり、物理的に距離を取ったり、はたまた相手を責めたり、是正しようとしたりと様々な形で反応していると思います。考えるだけでもストレスフルになりそうな予感ですが、そんな嫌いな人があなたの周りにいるのではなくて、あなた自身が作り出していると言われたらどうでしょうか?

「そんなはずはない!」と非難を浴びそうですが笑、この記事を読んでいただければ少しは理解いただけるかもしれません。そして、もしかしたら自分が作り出しているかもという前提に立って考えてみると、嫌いな人の存在を通して、自分自身についてもっと深く理解できるヒントが隠されていることにお気づきいただけると思います。

今回の記事では、『嫌いな人の存在は自分を知るための貴重な種である』というテーマでお話しさせていただきます。


はじめに


嫌悪を向けたくなる対象は誰しも持っているものだと思います。多くの場合は、嫌悪を向けられるべきものが外側に自分とは関係のない形で存在していると思いがちです。

しかしながら、実際は『自分の中にある嫌いな自分の投影』です。嫌いな自分とは、自分が受け入れることのできない自分ということができます。

つまり、嫌いな人=嫌いな自分です。

嫌いな人や嫌悪を向ける対象が多いということは、同じ分だけそれを自分に許さない自分がいます。それは、自分が受け入れてあげられる自分の幅が狭い状態といえます。

そうして自分自身を受け入れることが難しいと、自己肯定感や自己受容感は下がります。自己受容感を高めること、そしてどんな自分でもあってもいいと受け止められると、自然と嫌いな人や嫌悪を向ける対象は減ってきます。

嫌悪に悩ませられる方へ、解決のヒントをもたらすことができたら嬉しいです。

「嫌いな人」はこうして生まれる


最初に、嫌いな人が自分の外側で生み出される仕組みを一緒に確認していきましょう。

まず、この人は『嫌いな人』とレッテル貼る場合、その対象の言動が不快であると感じています。それは、「これが嫌だ」「これが受け入れられない」「ここが許せない」というものです。

それに対して、本来はこうあるべきであるという思い込みがあるはずです。
『本当は〇〇であるべきじゃん』という思いです。そこには、これは良い、これは悪いと無意識に評価や判断を下している本人の基準が存在しています。本人は、〇〇であるべきと正当化することで、いかにも私の基準が正しいかのように捉えていることが多いです。

その次に、なぜそれほどまでに『〇〇であるべきじゃん』と正当化しなければならないのかを考えてみます。『〇〇でないと何でダメなの?』と問うてみると、大抵は、『そりゃそうでしょう。だってもしそうじゃなかったら△△じゃん』という主張が出てきます。そこに本人の思い込みや強い固定観念が含まれています。本人が『〇〇であるべきじゃん』と思っているということは、自分はそこから外れないように努力しているはずです。

そして、そこから外れてしまったら、つまりそれは『ダメな自分』として捉えることになります。そのダメな自分を心では決して許さない作用が働いています。そんなダメな自分を許せないのには理由があります。
それは、自分が〇〇であらねばならなかった原体験がその人の過去にあるからです。『〇〇であるべき』ということに本当は従いたくなかったかもしれないですが、自分自身を保つためには、当時はそうするほか仕方なかった状況がそこにはあったはずです。

その体験は本人にとって心的な『痛み』を伴う出来事です。その痛みを感じなくて済むように、正当化することで自分の痛みを和らげようとします。

ここで大切な探求ポイントは、『私の痛みとは何だろう?』という問いです。
嫌悪の対象にして対して、その気持ちを外に出さなかったとしても、心の中ではボロクソに言い放ちたくなるものです。少なくとも私はそうでした笑

でも、それをするということは、自分自身をそのように扱っているということでもあります。嫌悪の対象への矢印だと思っているものが、実際は自分自身をボロクソに扱っているという、これほど悲しく残念なことはないでしょう。だってそれは、自分自身の内面を外側に投影した受け入れられない自分なのだから。

私の具体例:できる努力をしない人を許せない


ここまでの話を、私が実際にした体験に照らして見てみましょう。

私の対人支援としてのキャリアは、英語コーチから始まりました。英語習得を頑張ろうとする人をコーチングの手法を通してサポートする仕事です。正直、成人になってからの英語習得は、生半可な覚悟や片手間でできるものではないと思っていました。(いまでもそれは変わりませんが笑)

しかし、英語習得における方法論は十分と思えるほど明らかになってきています。学習のためのための方法やツールは溢れているので、自分に適切だと思うものを選んで、ただ粛々と取り組むだけです。やることは明確で、ただ決められたことを自分のペースで取り組むだけなのに、やらない人を目の前にすると『甘いこといってんなよ』とか『それくらいの努力はしろよ』と、かなり辛辣に評価を下していました(決して口には出しませんでしたが、、笑)。

成果や結果が出る出ない以前に、できる努力をやろうとしない人に対して強い嫌悪や反感を抱いていたのです。そして、そんな人のことは信頼できない。認めることはできない人として、自分とは関係ないと切り離していました。今思えば、とんでもない英語コーチだったと思います笑。

そんなこともあって英語コーチになりたての時は、なかなか生徒が定着せず、2~3ヶ月で私の元を離れていきました。本当は、どんな状態の人がいてもいいはずなのに、それを許せない自分にも腹が立っていました。

当時の私の思い込みは、『できないことがあるのなら、それに対してできる努力は全部すべき』というものです。だって、それをしなかったら、周りから受け入れてもらえないじゃん、認めてもらえないじゃんと思っていたからです。しかし、他者へ持っていたこの厳しい視線を自分に向けた時、とても心が痛みました。

なぜなら、努力できない自分を私自身が一番許していないということに気づいたからです。自分を許せないのに、本当の意味で他者を許せるわけがないと。

だから、あらゆる方面で努力、努力、努力をしていました。そして、それができていない自分を見つけると、自分はダメな存在だと自分を責めて、その度に自己否定の感情に苦しんでいました。

そして、更に努力することでその痛みを乗り越えようとしました。しかし、努力は止めるべきではないという正しさの思い込みを強力にしただけでした。

正しさという思い込みの由来


そこで起こる疑問は、これほどまでに『〇〇であるべき』と正当化しなければならないのは何故だろうか?ということです。思えば幼少期を振り返ると、ずっと努力を重ねてきたことに気がつきました。誰かに強制されるわけでもありませんでしたが、努力をして成果を出して、だから周囲が受け入れてくれる、繋がれるはずだと思い込んでいました。周囲に目をかけてもらったり、認めてもらったり、受け入れてもらうために、私が無意識に選択した方法が、努力をしまくることだったということです。

それが、幼かった当時の私ができた唯一の方法だったんだと理解しました。
それくらい、私にとっては、コツコツ努力をして、それによって周囲と繋がれることは大事だったんだと。反対に、それを止めるということは、周囲と繋がれなくなるという怖れにもなっていたということです。

そう考えると、『〇〇であるべき』という思い込みを作り出したのは、本人にとっての『痛みの体験』ということができます。私にとっては、『周囲との繋がりが絶たれる』ことの痛みです。自分の存在意義や生存がかかっていると勘違いするほどに思い込んでいたからこそ、自分はそれをやめれないし、他者にもそれを強いるようになっていたと思います。

本人にとっては、いかにもその思い込みが正しいかのように見えますが、それは本質ではなく、本人がそのように解釈した、というよりそうする他なかったということだと思います。

こんな風にして、嫌いな人について考えてみると、結局すべて自分に帰ってくるということがわかります。それは、自分の内面にある『痛み』の体験です。それが見えるだけでも、世界の見え方は大きく変わりそうな気がします。

嫌いな人を深掘るワーク


ここまで読み進めてくださった方々、ありがとうございます。

なかなか抽象的な話なので、理解しづらい部分や腹落ちしないこともあると思います。でもここまで読み進めたということは、あなたはきっと何かにモヤッとや違和感を感じていることでしょう。

それが何かはわかりませんが、きっと何かがあるはずです。

であるならば、以下の問いについて、あなたの現在と過去を振り返ってみてください。きっとあなたが気づいていない自分の一面に気づくことができると思います。

◆深掘り質問
1. あなたが「嫌いな人」はどんな人ですか?
2. 具体的にどんな言動が嫌だと感じていますか?
3. その言動をしないように、あなたが自身が心がけていることはなんですか?
4. その言動について、本当はどうあるべきだと思っていますか?
5. 「〇〇であるべき」に対して、なぜそう思いますか?
6. 嫌いな人に対して、どのような批判をしたくなりますか?また、どのように責めたくなりますか?

おわりに


今回は、『嫌いな人の存在は自分を知るための貴重な種である』というテーマでお話しさせていただきました。

今、あなたはどんな気分ですか?嫌いな人を深掘るワークをやってみた方は、自身について新たな気づきはありましたか?

嫌いな人、嫌悪を感じるものが自分の外側に存在しているのではなく、それを生み出しているのは自分の内面である。ということに納得していただけましたでしょうか?納得しなくても、もしかしたらそうかもしれないなぁと思っていただけるだけでも結構です。

今日の話で、あなたの世界の見え方に少しでも変化をもたらすことができたなら大変嬉しく思います。

お知らせ


壁家屋では、随時個別の対話セッションを承っております。
初回限定価格でのご案内もございますので是非お申し込みをお待ちしております。

▼詳しくは公式HPから▼


<参考書籍>

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加々見 勇心(Yushin Kagami) プロフィール
(私についてはこちら
1994年静岡県浜松市生まれ。純ジャパ浪人偏差値28からイギリス大学院心理言語学修士をDistinction(優秀成績)で卒業。5カ国7拠点を渡り、語学留学、大学院留学、就業経験。1on1 対話サービス壁家屋(かべうちや)を運営。コーチ、カウンセラーとして200名以上のクライアントを支援。累計セッション時間2,200時間以上。趣味は料理と自然散策。


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