オタクが病まないための「干される勇気」
現在、Jams Collectionの津代生誕@大阪と全国ツアー@大阪に参加のため、夜行バスに乗って大阪に来ています。
写真は道中で立ち寄った土山サービスエリアでの一枚です。
早朝着だったために、あまりにも時間があるので、ライブまでの間にこの記事を書いています。
はじめに
僕が人生の羅針盤にしているものに、アドラー心理学という学問があります。
著書で言えば、「嫌われる勇気」というものが有名です。名前だけでも聞いたことあるのではないでしょうか?
そうして、このアドラーの考え方はオタクにも求められることだと思うのです。
なぜなら、アドラー心理学によれば、悩みの全ての原因は人間関係であり、それはオタクと推しの関係でもあるからです。
つまり、オタクに必要とされるのは「干される勇気」です。
「じゃあ厄介なオタクになればいいの?」と思われるかも知れませんが、そうではありません。
これは「嫌われる勇気」においてもよく取り違えられる部分なので、まずはそちらから説明をしてゆきたいと思います。
本当の「嫌われる勇気」
実は「嫌われる勇気」という書籍には少し問題があります。それは、「嫌われる勇気」という言葉が誤った解釈をされがちであるということです。
このことは、著者の岸見一郎先生自身も、プレジデントの記事にて指摘しています。
嫌われる勇気とは、嫌われ者が「嫌われてもいい」と思って身勝手に振る舞うことではありません。
むしろ逆です。
「好かれなくても」構わないと思って、相手に尽くそうとすることが、本当の嫌われる勇気です。
そしてこれはそのまま、オタクとアイドルにおいても重視されうることになるのです。
見返りを求めてしまうオタク
アイドルオタクの中でも、地下アイドルとオタクの距離感は群を抜いて近いと言えます。
そうしてその関係は、あまりにも見返りを求めがちです。
地下アイドル現場における見返りとは、以下のようなことです。
・認知して、オタクのことを知ってくれている
・タグ付けツイートへのいいね
・ライブ中にレスをくれる
ここで、アイドルに認知され、気に入られているオタクのことを「推され」ているオタクといいます。
逆に知られていない、煙たがられるオタクは「干され」といいます。
オタクはたくさん現場に通い、推されることでさらに狂っていきます。
そうして、しまいには「推される」ために現場に通うようになります。
こうなってしまうと、オタクの精神状態はアイドルの思うがままです。
いいねが貰えないから、病む。
レスが貰えないから、病む。
認知して、自分のことを知ってくれないから、病む。
自分の人生の主導権を、相手に握られてしまうことになってしまいます。
干される勇気とは
こうならないために必要なのは「干される勇気」です。
しかし、くり返します。
「干されてもいい」と考えて、厄介オタクになることではありません。
むしろ逆です。推しから見返りが来なくても、構わないという気持ちです。
「推される」かどうかは、関係ない。
自分が推すと決めたから、推す。
これが、「干される勇気」です。
「推されたい」オタクは、推しを愛しているのか?
「そんなオタクで、楽しいのか?」
「なんか、推しに冷たいように感じる」
そう思えてしまうかも知れません。
しかし、では「推される」ことを目的としているオタクは、果たして推しを愛していることになるのでしょうか?
推されたいオタクは、「アイドルが推してくれる」という前提を持った上でそのアイドルを推します。
つまり、「相手が与えてくれるから、自分も与える」という構図になっているのです。
これではもはや、自らの承認欲求を満たす道具でしかありません。
これに対して「干される勇気」を持つオタクのスタンスは逆です。
「まず自分が与えて、相手からの見返りは気にしない」という構図を持ちます。つまり、「自分が推す」だけで既に満足しているのです。
これでレスなんて返ってきた日には、もう幸福度マックスです。
どっちが幸せなオタクか、もうおわかりですよね?
おわりに
まとめます。
生殺与奪の権をアイドルに握らせるな。
以上です。
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